見出し画像

【グレショー】最終話の放送の感想

担当した『THE GREATEST SHOW-NEN』の最終話を見ました。
こちらで見逃し配信を見ることができます。

6月5日(日)1:00 までです。

これまでの感想記事はこちら。

視聴者に向けて書くので、ネタバレします。
また、裏側の種明かしや作品の解釈も含むため、根本的に「ヤボ」なnoteです。
気にされる方はご注意くださいませ。

***

さて、まずは最終話を迎えたということで、各ターゲットを想定した感謝のメッセージを書き残したいと思います。

1、番組スタッフや関係者へ

お疲れさまでした。本当にありがとうございました。面白かったです。
数十時間にわたる稽古と、約75分のお芝居に併走し、そのすべてを収め、各話で端的にまとめ直し、一つのコンテンツとして発信する。その苦労、並大抵ではないと思います。
きっと僕のnoteをハラハラしながら、ときにイライラしながら読んでいらっしゃった方もいるかと存じます。編集について言及したりしてごめんなさい。

その咎を自覚し、やや確信犯的(誤用)にnoteを書いていたところもありました。
ひとえに「番組を盛り上げたい」「視聴者を楽しませたい」という一心で始めたことではありましたが、「表現者として誠実でありたい」というような気持ちを消すことができなかったので、若干ネガティブな表現もあったかと思います。……カットについての言及なんて、まさにそうですよね。カットを肯定する・否定するを問わず、そもそも「その事実を適示する」こと自体が、アンチマナーであると感じてはおりました。

かつてネットでバズっていた漫画が、ずっと頭の片隅にありました。

「いいわよね、作家は…。好き勝手な仕事して、失敗は全部人のせいにしてネットで同情されて…。ウチは炎上リスク抱えたまま何もできないし、会社じゃ失敗は責任問題なのよ。ほんとうにクリエイターってのは、社会経験のないクズばかりね…」

……まあ、ここまで言われるようなことは書いてないと思っていますけども。
とはいえ、後出しじゃんけんであることは事実です。僕がこうして好き勝手なことを思いのままに書けるのと正反対に、番組サイドがコンテンツ以外で何かを発信することも不可能だと思います。アンフェアな環境に追いやってしまってすみませんでした。

別に謝って許されたいというわけでもないですけども。
というか、すでに許されていると思うので、そのことをきちんと発信して、「懐の広い良い人たちでした」と読者に伝えたいという気持ちで書いています。
とにかく、感謝しています。本当にありがとうございました。
そして今一度、お疲れさまでした。

2、もの言わぬ視聴者・読者へ

テレビなんてものは、TwitterやSNSで感想を発信する人のほうが圧倒的に少数派で、おそらく9割以上が、物言わぬ視聴者であると考えています。「いいね」も「リツイート」もしない人間がほとんどでしょう。
このnoteを熱心に読んだり、質問箱にコメントをくれたりする人は、数パーセントにも満たないマイノリティだと判断して、このパートは、そうでない人向けに書いています。

ので、ま、届かないと思いますが…。
見ていただいてありがとうございました。
あなたたちのことを、僕は常に意識していたいです。
ついつい、見えやすいところにいる人ばかりが目について、それが全体だと誤解したり、良い感想や悪い感想に心を乱高下させたりしちゃっていますが、こんなのはお戯れです。
大したことじゃありません。サバンナでライオンが眠っています。

もの言わぬあなた方にこそ、きちんと感謝を伝えたいです。
ボトルメールを海に投げるような気持ちで、どうもありがとうございました。

3、Aぇ! groupへ

お疲れさまでした。読んでんのかな。僕やったら読んでしまうな。
いやはや、勝手なことを書き綴ってすいません。
この後の記述と、後日の質問箱への回答で、また余計なことを書くと思います…。
なによりも、そちら側の反論というか、補足というか、なんでもいいですが何らかの発信ができない(制限があるというより、スタンスとして)ことを憂いています。
「そんなことあったっけ?」とか「そうじゃなかったよね?」とか、いろんなこと思ったでしょうね…。もっと言えばnoteなんて関係なく、稽古の段階からいろんな言葉を飲み込んだり、想いを隠したりしたことでしょう。

このnoteはあまりに煩雑で、膨大なので、真意があちこちに飛び散っています。
僕が皆様に感じた想いは、STAGE SQUARE vol.57のコメントに、シンプルに詰め込みました。感じたことは基本的にあれ以上でも以下でもなく、ここではピーチクパーチク、自分本位な鳴き声を繰り広げているだけとご理解ください。

稽古も上演も、本当に楽しかったです。
いつか、また別の現場でお会いすることがあれば、僕は人見知り&人間関係リセッターなので、絶望的によそよそしい態度をとります。よろしくお願いいたします。

グレショーの本番が終わってから、僕はあなたたちが出演する番組や、YouTubeを、頻繁にチェックするようになりました。
まずはいちファンとして、皆様の活動を応援するところから日々を過ごそうと思います。
頑張ってください。疲れたら休んでくださいね。

4、熱心な視聴者・読者へ

ありがとうございました!
余計なことをくっちゃべらず、とっとと解釈とか書けよとか思ってますよね。

まず、この『大暴力』という作品のコンセプトを書いてみます。
収録中、僕はたしかカメラの前でこんなことを言いました。

たとえば『あいのり』や『テラスハウス』、『バチェラー』など、ノンフィクションやドキュメンタリーを称するコンテンツに相対したとき、視聴者はそこにフィクションを見つけ出そうとする。ヤラセを探す。作為を疑う。ところがその反対に、「これは創作・フィクションである」と称して生み出されたコンテンツに対して、視聴者は事実を見出そうとする。「作者の思想」に言及したり、『逃げ恥』における星野源と新垣結衣の恋模様を現実のそれとなぞらえてみたり、NGシーンやメイキングが本編より楽しかったり。

僕は、そうした視点が円環する構造の作品を作りたいと考えていました。
セミドキュメンタリーやモキュメンタリーとは異なります。そういうふうに受け取られた方もいると思いますが、やはりこれはジャンルで言うと「メタフィクション」です。
「ドキュメント」の要素は、皆無。フィクションのテーブルに、フィクションのクロスを敷き、フィクションの皿やグラスを並べて、ザッとテーブルクロス引きを披露して、「じゃーん!フィクションのテーブルでーす!」と宣言した、みたいな作品です。
その「芸」を訓練したことと、達成したことだけが事実です。

たしかに意地の悪い作品で、悪意がないと言えば噓になります。
しかしそれは「悪意を込めた」というより、あらゆる創作物において、「悪意が混在することを避けることはできない」という、個人的な哲学が基礎になっている気がします。
むしろそのことに自覚的であるだけ、ちょっとマシだとさえ思っています。

エゴサーチしていたら、下記のAぇ! groupへのドッキリ動画についてどう思うか知りたいというようなツイートを目にしました。(あ、質問箱だったかも…?)

僕としては、この種の試みこそ、悪意があり、品がないと思っています。
超大好きですけどね。
『水曜日のダウンタウン』とか『月曜から夜ふかし』とか『ロンドンハーツ』のような、ある種の「裏晒し」をエンタメ化する番組を、僕は心底「下品だ」と感じています。
死ぬほど好きですけどね。上記のAぇ! groupへのドッキリとか、超面白いです。
その、好き嫌いとは関係のない評価軸、「下品か上品か、意地悪かそうじゃないか」っていう話をしていると思って聞いてください。
上記のような「ドキュメンタリー/事実/ドッキリ」と比較すると、僕の「フィクション」は、極めてお上品というか、「上記のようなエンタメのほうが露悪的で、趣味が悪いと思うけど…?」と思っていたりします。
僕は一切、彼らの本当・本音なんか見せていないし、見せようともしていません。そもそも本当・本音なんか、全然関係ないです。どうでもいいとさえ言っていい。「さも」を描いてるだけですから。

ま、認めた通り、『大暴力』だって意地悪ではあるし、悪意の存在は否めないんですけどね。だから、比較してもしょうがないんですけど。

ネガティブな感想を目にして、路駐で捕まったときに「いやいやアイツも停めてるやん!なんで俺だけ切符切られんねん!なんやったら俺、数分やんけ!?」と吠える気持ちで書いちゃいました。

うん。結構、この作品の楽しみ方を言語化できた気がします。
どうですかね?

5、作品の振り返り

正直、質問箱がギチパンなので、そこに答える過程で、今まで書いてきたような感想やらが書けるような気がしています。
ので、ちょっと今書くと重複して大変すぎるので、控えたいと思っています。
また、もう終わったし、さすがにここに至って書くことなんてないというか。
もう十分でしょう。
これで伝わらなかったことはもうきっと伝わらないことだし、伝わったことを繰り返すのも退屈だし、ねぇ?
質問箱で答えるので、ちょっとそっちに来てもらえると嬉しいです。

総論としては、非常にいい作品ができて、楽しかったです。(小並感)

なんか「ゲネのほうがよかった」みたいなことを前回の記事で書いたので、「本人に言えよ」みたいな感じで怒られて、「ごめんなさい、そのときは思いついてなくて…」とか謝りましたけど、本人にも言ってましたね。
めちゃくちゃ忘れてましたわ。ま、僕は基本的に「裏で言えることは表でも言う」「直接か間接かで内容を変えない」というスタンスで生きています。すいません。

6、ラストシーンについて

あ、ラストのことを書こうかな。
ラストは福本さんのセリフ「これでいい?」までが台本で、正門さんが「オッケー!」と言ってからは、一切テキストがありません。
ここでは、「その上演で起こったトラブルや、新たな発見について、楽しく話してください」とオーダーしています。

匿名劇壇で上演した時も同じでした。
これをすると、「仮に何事もなく、スルスルッと終わってしまったとき、何を喋るん…?」みたいになるのが少し怖いですが、えらいもんで、絶対になにかしらあるんですよね。
演劇って恐ろしいです。
今回で言えば、末澤さんが傘を無くしたくだりなどを話していましたね。

これは「演じていないはずなのに、演じているみたい」という光景を立ち上げたくてそうしています。
本来の演劇やドラマがめざす「演じているはずなのに、演じていないみたい」をマルッとひっくり返した形です。そういう面白さをめざしています。

このラストで、Aぇ! groupや福本大晴という固有名詞が出てくるので、びっくりした人もたくさんいらっしゃいましたね。まあそれまで某アイドルグループとして取り扱っていて、登場人物にも役名がついていたので、面くらったと思います。
でも、そもそもこの劇はAぇ! groupの固有の楽曲『Firebird』から始まっているわけで。なので、どっちかというと「某アイドル」なんて表現の方が、欺瞞です。
最初からAぇ! groupを連想させていることは火を見るよりも明らかなので、僕としては大した仕掛けのつもりじゃなかったですが、やはりファンの方は痛みを覚えた様子でした。

袖にハケたあと、正門さんが手持ちのカメラを回し続け、手を振ったりしていることが「作品の一部か?」というような言及も見ましたが、全然一部じゃないです。
グレショーの稽古シーンとか、それこそこのnoteとかは、「作品」じゃないです。
まあフツーに、回ってるカメラ持ってハケたら、みんなで手を振ったりするよねっていう、当たり前の行動だと思います。
僕があそこを「作品」として組み込んでディレクションするとしたら、「袖にハケた途端、何の余韻も躊躇もなくカメラを止めてください」と言ったと思いますね。袖にハケたあとを作品に組み込むのは、あのカメラにどう振る舞ったとしても、さすがに話がややこしくなるだけなので。

とはいえ、もちろん「袖にハケたあとの彼らの振る舞いも、まるで本番が続いているかのように見える」のは、めざしたところがありますけどね。
まあでも、そんなもん関係ないです。あれは『大暴力』の一部ではなく、フツーにグレショーのワンシーンとご理解ください。

7、カットされたシーンについて

先日、番組公式ツイッターで、劇中で末澤さんが破壊し、福本さんが回収するブロックを、実は佐野さんが組み立てていたことが明らかになりました。

以前、先出しで有料販売して、ドタバタと消した内容ですね。書きます。

『これはまだ本番ではない⑤』のあとに、登場人物の名前を冠した作品『安堂世志輝』が存在していました。
ここで安堂は、劇中で破壊されたブロックを、自分が組み立てていたことを吐露します。そして、「これが壊されていたとき、僕のこと見てた人、この世にいます?」と問いかけて、「まあそんなん無理やってわかってますけど」と諦めて、終わります。

これは、「実際に“佐野さん”が組み立てたかどうか」とは無関係です。
あくまで劇中に言及されるリアル、架空のドキュメンタリーの話。安堂世志輝の話であり、劇中の架空のアイドルグループの話として存在しています。

ので、番組ツイッターで佐野さんが組み立てた光景が発信されて、本編での安堂の言及がカットされたことにより、僕は「フィクションと現実がひっくり返った」というような感覚を覚えて、そのことをnoteに書きたくなった、という次第です。

さて、こういうところに現れているんですが、この劇、そこが面白くて。

僕はこの『大暴力』をつくるとき、「実際のAぇ! groupと限りなく近づけたい」という想いを持っていました。
とは言いつつも、「これは実際のAぇ! groupとは、明確に区別されるべき」という考えも、同時に捨て切ることはできませんでした。

登場人物の名前を冠した作品の存在や、冒頭での本人たちの楽曲使用、ラストシーンでの福本大晴さんの宣言などは、「Aぇ! groupと『大暴力』内のアイドルグループとの区別があいまいになる」という、非常にセンシティブな要素であったと言えると思います。

一応補足としては、『大暴力』という作品は、「これはまだ本番ではない」の謝罪シーン、「ごめんなさい」で完全に完結しており、その後の「三城平教祐⇒福本大晴」以後のシーンは、ピクサー映画のエンドロールのようなおまけ、CGキャラクターがカメラに向かって演じていたことが冗談として明かされるみたいなもの、と解釈することで、その唐突な固有名詞の登場も納得してもらえるんじゃないかなとも思います。
(一文がクソ長いな。意味伝わったかな…)

8、批判について

別に書かなくてもいいことですけども、先日ツイッターで「傷ついてワロタ」とか書いちゃったことを補足しておきます。
これ、ホント難しくて…。こういう意見を圧殺するつもりはまったくないんですが、書いてしまうとそれも避けられないですよね。最近、ハラスメントのこともよく考えますが、もう、そもそもの立場が絶望的に違うので、「関わること自体がペケ」とも思ったりしますが…。

全然、批判を書くのはいいですからね。
それはそれとして、傷ついてワロタ、っていうだけの話で。

今回のは、劇団ツイートを引用してくださっていたので、「まあじゃあいっか」と思って取り上げちゃいましたが、特にタグ付けせずにバシッとゴリパンチくれてるのを自分から見に行って、傷ついたりもしています。そんで、それはもうただのマッチポンプだと自覚してます。

皆さんが何を書いてもいいのと同様に、僕が「傷ついてワロタ」って発信するのも、まあ許されたいなと…。
なんならこれについて「そんなことで傷つかないで!」と応援するようなメッセージもいただきましたが、正直な話、「(…なんで俺が傷つくかどうかを、他人が決めんの…?)」とも思いました。
だって、俺の心だし…ねぇ?
別に、傷つきくらい、するやろ…?
そんで、傷ついたときは、まあ「傷ついてワロタ」くらい書ける世の中が、いいよね…?
これを耐えだしたら…だって…ねぇ?
死ぬんじゃない?マジで。
傷ついてないふりをしたり、傷つかないほど鈍感になったら、結構死ぬやろ。人は。キツイっしょ。メンタルが。
そんな感じで、お互いフラットに行こうぜ。
マジで何書いてもいいし、そもそも先に僕があなたを傷つけたところもあるわけだし。まあ誹謗中傷は普通にナシにしてさ。
こっちもこっちで傷つくし、タイタイで行こう。
「そんなことで傷つかないで」という応援は、とても嬉しい反面、長期的にみると、そっちのほうが俺の心を蝕むと思います。
そういう世界観で生きてます。

だからマジで、好きなように発信していきましょう。
誰かの発言を咎めて制限するんじゃなく、全員が自分の気持ちを素直に発信できる世界を作りましょう。

9、標準語のシークエンスについて

あ、そうそう。
途中、音楽をかけて、標準語でこれまでのフラッシュフィクション作品を稽古するシークエンスがありますが、あれが、「劇中に言及されるラストシーン」の想定です。
「エモい系の曲を流して、暴力的なシーンだけピックアップする」という。それでいて、お互いの痛みへの配慮に満ちた光景を立ち上げることで、「暴力を乗り越えた」というラストにするつもりで、某アイドルグループは稽古している、って感じです。
この辺、メタすぎてややこしいんですが、彼らが稽古している作品が、『大暴力』かどうかは、全然定かではないんですよね。
「稽古場でカメラで収めたことがそのまま劇になる」と言われているその劇が、『大暴力』であるとは、示されていないはずです。

おお…えぐ……あかんわ。むっちゃわかりにくい書き方しかできひんわ。
たぶん質問箱に来てると思うから、また改めて考えますわ。

10、匿名劇壇『大暴力』台本

<宣伝>
匿名劇壇で上演した『大暴力』の台本をnoteに有料で設置しています。

(もちろん、グレショー版とは異なります)

11、まとめ

いやはや、6週間、誠にありがとうございました。
また追って、質問箱に回答する狂気の文字量をしたためますね。

次のグレショーが始まって、とうに興味を失った頃に回答することにならないように、できるだけ急ぎますが、もう、エグイ量なの、そろそろ察するでしょ?僕、全部と向き合ってますから。

嫁からも「答えたいやつだけでよくない?」とか「似てる質問はまとめれば?」とか言われたりしましたが、僕としては、「全部」だから意味があると信じています。
ここに、恣意的な編集を入れたくないんですよね。
「全部」を取り扱うからこそ、この行為には価値が生まれると信じて取り組んでいますので、よろしくお願いいたします。

(了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?