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【グレショー】質問箱への回答_0525

■重要なお知らせ
前回の記事について、一部有料に設定しましたが、番組の商業利用にあたることが発覚したため、該当箇所を削除し、無料に再設定いたしました。
予告なく急遽削除したため、「購入したが読めなかった」という方がいらっしゃいましたら、返金致します。ご面倒ですが、購入済がわかるスクリーンショットとアカウント名を合わせてご連絡くださいませ。
(noteでの返金処理をオフに設定してしまっていたため、個別に対応させていただきます。)

https://twitter.com/fuku_tokumei

***

質問箱への回答を消化していきます。

特に期限は設けず、だらだらと取り扱いますので、ご遠慮なく送りつけてくださいませ。楽しく読ませていただいております。
今回の記事は、ほとんど狂気としか言いようのないモチベーションを糧にした、常軌を逸した文字量です。誤字脱字も多いです。ご了承ください。

今回の作品はその性質上、演じる際の立ち位置や、登場する方向・ハケる方向の自由度がとても高いです。
加えて演出的なこだわりも薄かったので、役者が自己判断で「このときはこっちから出るようにしよう」「これが終わったらこっちにハケよう」と決定した際も、僕がそれに異を唱えることはほとんどなかったと思います。
末澤さんも、おそらく基本的に最短距離、自分に都合のいい衣装の配置や出ハケの設定をしたと思いますが、結果論としてカミシモの振り分けが激しくなってしまったと。佐野さんやリチャードさんは、多少動きの都合が悪くても「すべて片方に固まっていたほうが便利」と判断したのだと思います。
ということで、きっと何を優先したかの違いかと思われます。

選曲に演出家としての意図はありませんでした。
シンプルに「カラオケっぽいBGMで」というオーダーをしましたので、もしかすると音響スタッフの意図はあったかもしれません。
演劇はみんなでつくるものなので、こういうことはたびたびあります。
演出家といえども各セクションについては基本的に門外漢。僕は特に照明に関して、「ここは落ち込んでる感じなので、暗めで」というような、雑な発注をすることも少なくありません。
そのとき、照明家が「落ち込んでると言えど、心に一筋の光は差し込んでいるはず。それを描こう」と試みて、明かりをつくることがあります。
そして演出家が、その作為に気づかないまま、「なんかむっちゃイイですね!それで!」とオーケーを出したりするのです。

演出家はあくまで統括責任者であり、全知全能の支配者ではない、という感じですね。
全然違う話にトんじゃいますが、だからこそ僕は「紙の上のすべてを支配している漫画家に憧れる」みたいなところ、あると思います。

この手の質問、いくつか来ていましたが…。
白状します。むちゃくちゃ流し見・飛ばし見でした。
なので、かなり表層的な感想になりますが、
「銀河鉄道の夜スゲー。幕開けから一気に心持って行かれるわ。やっぱ鹿殺しヤベーなー」
「なるほどリーディングか。演劇の基礎体力づくりに持ってこいだよなー。おもしれー」
「パントマイムとかキャッチーでいいよなー。そういうわかりやすい武器が俺にもあればなー。…っていうかリチャードさんうまくね?」
「新喜劇っぽいつくりのわかりやすい演技はみんな得意そうだな。でも簡単に演じられてしまうからこそ、一軒さんのディレクションが光るなー」
「チャーハンさんこえー」

とか思っていました。

>そもそもなぜ限りなくリアルに近い世界線という設定なのか?

端的に言うと、作家性だと思います。
僕はこれまでも劇団において、「劇団」をテーマにした作品をいくつも作ってきました。劇団内での恋愛を取り扱ったものであったり、自称劇団員の先行きの見えない不安を取り扱ったものであったり。

ネガティブに表現すれば、自分の手の届く範囲のことしか書けない、ということだと思います。ポジティブに表現すれば、だからこそ体重を乗せて色鮮やかに書ける、ということだと思います。
とはいえ、西村賢太さんの書くようないわゆる私小説(作者自身の経験や心理を虚構化することなく、そのまま書いた小説)とは一線を画します。
(演劇で言うなら岩井秀人さんですね)

僕は「私小説っぽいフィクション」を好む作家です。
実際に劇団内に痴情もつれは存在しませんが、「あったとしたら」を空想し、「まるであるみたい」な光景を立ち上げることを、是としています。
そして一方で、「実際に劇団内に痴情のもつれがあったのならば、それを赤裸々に作品化する」ということは、非としているのです。

「オタクへの風刺」や「頭の中お花畑のオタクをあざ笑う」というつもりは毛頭ありません。ちなみに、僕は「オタク」という言葉も、できるだけ使わないことを意識的に心がけています。
ただし、「一部の人の心に小さな小さな不信感の種を植える」ことに関しては、全肯定・全信頼・一切の疑いを持たないという心の在り方をヨシとしない、という個人的な思想が関係しているような気がしますね…。
よって、この根本的なところで差異がある方にとっては、「なんでそんなことをするんだろう」としか思えない気持ちは、よくわかります。

というか…完結していない状態でアレコレ話すの、ほんと違和感ありますよね…(笑)
よかったら、また終わったらお話聞かせてください。

ええ……?
アカンよ…そんなん、違法アップロードは…。
どうお考えですかって…。
アカンもんは、アカンよ……?

そらまあ、……ねぇ…?
僕は…放送された著作物の権利者でもないし…自分の作品がいろんなところで見られるのは…まあ嬉しゲフンゲフン…ゲフンゲフン!
僕はラップも好きなので、サンプリング文化を愛してるし、それぞれの解釈によるBGMが与えられるのもおもしゲフンゲフン…ゲフンゲフン!

チミさぁ?
絶対こんなこと書いたらアカンから。マジで。
これ、冗談が通じる人なら許してくれるけど、こんな違法アップロードを肯定するみたいな文言、絶対に書いたらアカンから。
やってもうたやんけ。最悪やわ。
マジ、考えろよ?
どう書いてほしかってん?
なんや、ワシがシンプルに「違法アップロードはやめてください」って書くことがお望みやったんかえ?
そんなもん何もオモロないねんから、こないしてアホみたいにリップサービスしてまうに決まってるやんけ。こっちは病気やねんから。

おい、ジャニーズとテレビ朝日がむちゃくちゃこっち見てるから。
行くぞ。声を大にして言うぞ。

違法アップロードは犯罪です。見かけたら通報してください。

でもマジで、僕のTikTokには全然流れてこーへんから知らんかったな。
可愛い女の子の動画ばっかり見てるからやろうな。
見かけたらマジで通報押すんで。そこ冗談じゃないんでよろしくです。

別の記事で回答しちゃいましたね。
ラストは「元来の方言が露出する」という演出でした。
なので、「彼女はもともと方言を隠していたのか?」というところは考察・解釈の対象になるわけですが、①と②の解釈が僕と似ています。
③の「方言がうつった」は考えの外だったので、面白かったです。

僕は大阪の人間なので、大阪の話になりますが、伊丹にあるAI・HALLという劇場が好きです。
(これ兵庫県やわ)
(ワンセンテンスで鬼の矛盾を生み出してもうたわ)

大阪の小劇場と言えば、まあ相場はインディペンデントシアターですね。

ありがとうございます。
『選りすぐりの孤独』のような体験、僕もあったような気がしますが、えらいもんでほとんど記憶から消えています。
忘れられないのは、高校の文化祭で、男子と女子の制服を交換してパフォーマンスをするというような催しがありまして。
クラスの具体的な人数は覚えてませんが、男子21人に対して、女子が20人とかで、たしか一人足りていなかったと思います。
そして、僕の知らない間に、全員「誰と交換するか」の約束を取り付けていたんですね。

僕は文化祭の前日に、「僕と制服を交換する女子がいない」ということに気がつきました。……この先の記憶はかなり曖昧です。
これ以上思い出すと多分頭がおかしくなるので、今が幸せならそれでいいと思って生きています。
妻もできて、息子もできた。マジ危なかった。

あ、ややこしいですが、結果的に演技の振り幅が大きいのは、佐野さんですね。創作過程のメイキングなので、こういう矛盾は出ちゃいます。

グレショーの他作品に関しては、上記の回答をご参照ください。

ありがとうございます。
あ、これも上記の質問で答えてる感じになってますが…。

まあ、不仲なアイドル設定なのは、もともと「不仲な劇団設定」の『大暴力』という作品を選んだからですね。
そして『大暴力』を選んだのは、フラッシュフィクションがやりたかったのと、テレビとの食い合わせがいいんじゃないかと思ったからです。

そんで、じゃあなぜそもそも「不仲な劇団設定」の作品を作ったのかと聞かれれば、端的に「作家性」、詳しくは上記へ、という感じです。

ありがとうございます。
なんか、途中で「おもち」が出ちゃってますよ。
おもち、好きです。モチモチしてるから。

舞台俳優も当然噛みますし、いろんな失敗をしますよ。
Aぇ! groupが毎週のグレショーで噛んでいるところをほとんど見ないのは、「舞台俳優は奇跡的に噛まない生き物」というわけでもなんでもなく、努力の賜物でしょう。
もっというと、そういう努力の賜物は、噛まないという単純な効果をもたらすのではなく、「仮に噛んだとしても、それを気にさせない、あるいは記憶から消してしまえる演技を実現する」ところにおいて、強く機能するものだと思っています。

銀河鉄道の夜の印象的なシーンが印象に残っています。(雑)

着替えをシルエットで見せるのは、基本的には単なるサービスです。
エッチな意味ではなく、「目で楽しい。転換中も楽しい」というような。

とはいえ、企みとして「俳優を常に観客の眼前にさらすことで、ある種の暴力性を表現する」という作為もあります。
でも、それは大した要素ではないですね。
基本的には「着替えが見えたら楽しいっしょ?」という気持ちです。
ので、淡々とした着替えというよりは、「見られていることを意識した着替え」をオーダーしています。
よって、「ズボンを脱ぐ」というような不格好な動きはなるべく避けていましたが、それがさらされてしまう場合もあり、そのとき「俳優をさらすことで~」という暴力性が立ちあがる、という感じです。

全部ちょっとずつ見て、全部全部見てないです。
いらんこと書いたなぁ。ごめんなさい。

佐野さんに絶対に似合わない役、かー。
んー、ないと思いますね。
佐野さんに関してのみではなく、あらゆる役者とキャラクターにおいて、「絶対に似合わない」というものは存在しないと思います。

……でも僕がキムタクみたいにイケメンパイロットをやるのは無理やな?
やってやれないことはないけど、世にも奇妙な物語みたいになるよな?

そういう観点で考えると、佐野さんが「大変醜く、誰からも好かれない男」というキャラクターを、メイクもせずに素顔のまま演じるとしたら、それはまあ世にも奇妙な物語みたいになるとは思います。

①僕は標準語という言葉を、「東京弁」と区別したり、混在させたり、ちょっと曖昧なまま取り扱ってしまっています。基本的には標準語は「どこの地方にも属さない言葉」と解釈しています。なので、できるだけ意識的に「~じゃん」というような「東京弁」は避けているのですが、「(いやー…もうここは”じゃん”って言っちゃったほうが素直だな)」とジャッジすることもあり、極めてファジーなルールで運用しちゃっていますね。
イントネーションについても、アクセント時点を片手に稽古したことなんてないので、完全に「感覚」です。「少なくとも大阪弁のイントネーションをなくそう。そういうふうに気を付けよう」と思っています。

②個性についての考え方(表現法)…、ですか。うーん…。全体の個性に対するバランス…。ちょっと質問がバックリしている気がして、うまく答えられそうにないです。まあ、ごく当たり前に「怒鳴る人がいたら、それをいさめる人もいるよな」というような脚本づくりはしています。また「個性的なキャラをつくろう!」というつもりはなく、「みんな普通」だと思って作っているつもりです。

③福本さんについて、本人がインテリであるという属性に基づいた部分はありません。しかし「三城平は概ねの責任者である」という設定を、やや手掛かりにしてキャスティングしたところはあると思います。とはいえ、書いていただいているように、着替えのタイミングなどの事情とは分離不可能なので、「もろもろ鑑みて」が一番正しい回答になると思います。

小劇場作品の魅力は、その「荒さ」にあると思います。
ベテランを無視して語りますが、基本的には若手が「初期衝動のまま表現できる」場だと思っているので、それを魅力に感じます。

お芝居の魅力は、「生で眼前で見られること」だと思います。
演出も同様に、映像よりも自由度が低いからこそ、その制約の中で観客とイメージを共有し、一つの光景を目撃するという体験を創り出せるということが、その魅力だと思います。

公共の電波によって、「近くにあると嫌だ」と表現するのは憚られる施設はすべて代替しました。「どこかにないと困る」や「ぼくのまちに立てていい」ということよりも、前提となる「嫌だけど」という部分にまずやはり問題があるということで、みんなで考えました。

幼稚園や小学校も、「子どもの声がうるさい」というクレームが入るという現実があります。いやはや、ですね。

基本的に誰からも興味を持たれていない立場、というイメージです。
それが好意か悪意かなどさておき、いずれにせよ矢印が向いていない。
「好きの反対は嫌いじゃなくて無関心」なんてよく言いますが、公野は嫌われているわけではなく、まず興味を持たれていない、と考えています。

彼らの実直で誠実な向き合い方は、今後も維持されるといいでしょうし、そんなことを心配しなくても、確実にそうなると思います。

あえていうなら、これは完全に僕個人の考え方ですが、役者には時に思考停止が有効だと思っていて。思い悩んだり考え込んだりするのも大事ですが、一旦思考停止してとりあえずセリフを言う、という選択肢を持つのは悪いことじゃないと考えています。
「自分の中で納得・腹落ちしない限り、演技をしても無駄。稽古をしても無意味」というのも一定の事実ではありますが、「何も考えずにとりあえずやっていたら、何か見える」というのもまた否定できないのです。
どちらかというと、Aぇ! groupは現時点で前者を大切にしていると思うので、たまには後者を選択肢として並べてみるのもアリでは?と思います。

これはもう、偉そうなことを言い過ぎてるので、あとで右腕をもぎっておきます。それで許してください。

舞台をつくる上で大切にしていること、譲れないことは、あまりないです。
僕は非常に諦めのいい演出家で、それが良いところでもあり悪いところでもあります。こだわりを排す、譲ることへの抵抗力が著しく低いです。

ただ、今、こうして発信することのほうが、強いこだわりがあります。
こうして発信することを咎められたり、口をつむごうとさせられるとしたら、それには非常に大きなストレスを感じますね。

これはおそらく「最終的に僕が決める」ことが重要なのだと思います。こだわりを排すにせよ、何かを譲るにせよ、「それを僕が決定した」のであれば、まったくストレスを感じません。
あ、だからそうですね。たぶん「強制」が嫌いです。

だけど事前に選択肢があれば、それが実質的にほぼ一択だったとしても、満足できてしまうタイプだと思います。ただのプライド高慢ちき野郎ですね。
銀座のママ的な人が一番手玉に取りやすいタイプだと思います。

好きなワークショップは特にありません。

近畿大学の文芸学部、舞台芸術専攻の出身で、「学び」があったとしたらそこですが、振り返る思い出が全部「遊び」なので、ロクなもんじゃないです。

どちらかというと、僕は今現在も編集プロダクションに在籍していて、専門学校のパンフレットや企業の社内報などをつくる仕事をしているので、「人」を開いて「ひと」にしようなんて発想は、たぶんそこで身についたものじゃないかなと思います。

…ここまで書いて、『優しいひと』は8年前に書いたものであり、当時はただの日雇い労働者だったことを思い出しました。全然編プロの経歴関係ありませんでした。なんかずっと口から出まかせでした。左腕もぎます。

匿名劇壇を「壇」の字にしたのは、当時、「団体、チームとしてやっていくぞ!」という意識が希薄だったので、「文壇(文芸界)」や「画壇(絵画界)」に相当するように、「ざっくり、演劇界、みたいな」という広い意味を意識してそう名付けました。
ただ、結果としてめちゃくちゃチーム、劇団になったので、今となっては幻みたいな由来です。
「匿名」としたのも、「たぶん、座員を固定しないじゃね?」という考えがあったからです。でも全然固定したので、今となっては意味不明です。

基本的には①、暴力をテーマにショートストーリーをつくった、です。

これまでに匿名劇壇では、フラッシュフィクションを「恋愛編」「バイト編」「演劇編」で作ったり、「お金」をテーマにして作ったりしてきました。

いずれも、作る中で「これは恋愛編のつもりで書いたが、演劇編として再解釈可能だな」とか「バイト編で書いたこの作品、お金をテーマにしたカテゴリでもう一度取り扱えるな」とか、そういうことが起こっています。

ので、今回も「暴力」をテーマにすることを決めましたが、かつての「恋愛編」などから、「これ、暴力を軸にして再解釈できるな」と考えたものを引っ張ってきたりしています。

ということで、「一つテーマを決めてから、頭の中にある色々をサンプリングしている」という感覚です。テーマが先、ですね。

新しいものを作るとしたら、自分が今まさに体重を乗せて語れそうな「子育て」あたりをテーマにして、いろいろ考えたりすると思います。
そしてこういうとき、「(『タイムマシンで来た二人』は、子育てをテーマにして再解釈することは可能だな)」とか想像したりします。

僕も、誰の何も知らないです。
勝手に想像したり、えいやっと決めつけたりしながら、テキトーに生きてます。見くびったり、低く見積もったりしないように、注意深く暮らしたいですね。
何の作品か忘れましたが、「人を書き割りの絵のように扱うな」という至言が頭に残っています。漫画『鈴木先生』だったかな?違うかな?
なんやったっけこれ。忘れたわ。頭に残ってないわ。

安堂が再度録音を始めたのは、三城平から何らかの攻撃的な言動を引き出し、その記録を残そうとしたからだと思います。
三城平は、最初から録音していたと思います。
録音しているのに暴言・暴行を働くのは少し違和感がありますが、まあ自分のICレコーダーなんて、自分でいかようにでもできますからね。

三城平が録音しておきたくなるような言動が、これまでの安堂にあったんじゃないでしょうか。
あの安堂、ちょっと後輩にはやたら厳しそうだったりしません?

これまで、「ブロックを組み立てた人」と書いていて、一度もスタッフや裏方と表現しなかったのは、それが佐野さんであることを知っていたからでした。
佐野さんはAぇ! groupをモチーフに城をつくっていたことが発覚したので、カラーには意味が込められていたかもしれませんね。

ごく単純に、「6人芝居」が手持ちの脚本でありませんでした。
まったくの新作をつくるのは時間も実力も足りなかったので、「今ある財産」でなんとかしようと考えて、『大暴力』を選びました。
これは作品の性質上、改変も容易なので。

もしまた機会があるなら、次はめちゃくちゃ笑える・超伏線回収型のウェルメイドストーリーを作って、「こんなんもできるんや!」と思われたいという下心を爆発させようと思います。
(まあ…また機会を得られるということは、そこで多分僕に求められるのは「そういうことじゃない」と思いますけどね)

あ、転換については上記で答えちゃいましたね。
後ろのホリ部分に光が反射していることに、演出意図はありません。
反射してしまうことが現場で発覚して、僕がGOを出しました。

フラッシュフィクション、学生劇団にピッタリですよね。
「演技のおいしいとこどり」みたいなツクリなので、ぜひ若い人たちにやってみてほしいと思います。
まあ…『大暴力』はちょっとふさわしくないと思いますけども。

やっば。

えーと。
あまり公共の場で「うんこ」とは叫ばないほうがいいと思います。
また、うんこについて語るとしても、クローズドな場がよいと思います。うまくやれば、友達はどちらかというと増えると思います。

どうしても叫びたいなら、そうですね。
リンゴが英語でアップルであることと同様に、ウンコが宇宙言語で「ボキンオネガイシマース」であると思い込んでください。
まずはその思い込みを自分の中でつくり上げてください。
そんで、箱を持って、宇宙言語で「ウンコ」と叫べばいいと思います。

おお?さっきの方とは別人ですよね?(ウンコの人ではなく)

後ろのホリのキラキラは、足元のアクリル板が反射して光っています。
想定したものではありませんでしたが、まあこれはこれでキレイだし、意味ありげなのでGOを出しました。

照明で特にこだわったところは、『ガラスの水族館』の暗さですかね。
実際に劇場で目視できる明るさと、カメラで撮影できる明るさが、実は全然違うんですよ。
実際の劇場で、僕が望む暗さ、「ギリギリ二人の動きが目視できる程度」に明かりを絞ったところ、カメラを通すとマジで全然見えないということになってしまったので、そこを調整していただきました。

最近は舞台も「配信」があるので、こんなふうに「カメラを通したとき」を気にする局面も増えてきました。照明家さんも大変ですね。

匿名劇壇の映像は、「最後の稽古」で見てもらいました。
(みんなで見たわけではなく、時間がなかったので、各自見てほしいですとアナウンスをしたまでなので、結局見てない人もいるかも、です)
(もっというと、配信はされているので、稽古初期に自主的に見た人がいるかもしれません。そういう話をしていないので、わかりません)

映像を見せなかったのは、きっと彼らも若いので、匿名劇壇の映像を見たら、まず「同じことはしたくない」と選択肢から除外してしまうのではないかと懸念したからです。
その心意気やヨシですが、稽古の初期段階で選択肢が狭まるのは、あまり有益なことではないだろうと考えました。

ので、彼らが自分なりの演技を獲得した段階で、「さて、ここで劇団版の映像を見てもらって、選択肢をさらに広げてみてください。こうやって欲しい・こうして欲しかったということではありません。今、こうではない自分と、こうだったかもしれない自分に想いを馳せて、選んだ選択肢を愛してみてください」みたいなことを言いました。

うーん、ちょっと上の文章はカッコつけすぎてますね。
もっとたどたどしく、「あの、ね。今、劇団の、動画を見てもらったら。こういう選択肢もあったのかと、ね。ふふふ。思う感じの。ね」みたいな喋り方をしていたと思います。

最初のほうのnoteに書きましたが、『これはまだ本番ではない』のシーン中、まさに「それぞれが被らない、キレイな立ち位置を自然と選ぶ」というところがありました。
それはそれで舞台に必要な能力ですが、「客席からの視線」に有意識的すぎると感じたので、「もっとほんまの稽古場みたいに動いてほしい」ということを伝えました。

佐野さん、裏と表が違うんですか?
というか…。
僕はあまり、人間を「表・裏」で語ることに体重が乗りません。
二面なわけねーだろ、と思ってます。
もっと、正二十面体みたいなもの、もっというとトポロジー的なものこそが、僕のイメージしている「人間」です。

解釈に「正解」はありませんが、「感動」は狙っています。
(この場合の感動は、泣けることじゃなく、心が動くこと)

「どんなふうに心が動くか」は、その人次第だし、狙えるものじゃないです。ただ作り手としては少なくとも「心を動かそう」としています。

「ここでこう感じてほしい」とは思っていないが、「感じてほしい」とは思っている、という感じです。

当然わかりやすく「泣かせよう!」とか「笑わせよう!」としてモノづくりをすることもあるし、その反応が得られればその試みは成功なわけですが、その人の中で何がどうなって泣いたか・笑ったかは任せる、みたいな。

これは「批評」や「解釈」という行為がクリエイティブなものであるという理解がないと、ちょっとわかりにくいかもしれませんね。
岡田斗司夫さんの自分勝手な作品解釈とか、僕は大好きです。

『ガラスの水族館』は、テネシーウィリアムズ『ガラスの動物園』をモチーフにして名付けたタイトルです。
詳しくは前回のnoteをご参照くださいませ。

前回のnoteをご参照ください。
補足すると、個人的には『タイムマシンで来た二人』の榊は「結婚する、子どもができる」と言ってるから、公野とはカップルではない、という考えも、別に確定的なものではないと思っています。

榊が三城平に何もかも正直に話したとは思えません。もし仮に、あのとき公野と交際関係にあったとしても、その事実は隠蔽することを選んだんじゃないでしょうか。なんなら、公野がうっかりそれを言いそうなので、追い払ったように見えなくもないですね。

『ガラスの水族館』において、福本さんへの演技指導は行っていません。
(というか、全員に対して「演技指導」のつもりで接したことはないですが)

特にオーダーすることなく、福本さんの演技にお任せしました。
あれ、元々つっかえながら話す想定で、日本語として整っていないセリフが文字で書かれています。そもそもそれを原文のまま読むことが結構難しいので、その練習をすることが稽古の中心でしたね。
どんなふうに言うか、はテキストから十分にくみ取れたものと思われます。

「わ」…?

んー、誰タイプだろう。劇団で上演した際は、三城平のポジションを、国枝というキャラクターが担っていて、僕が演じていましたね。
まあでもここは設定が根本的に違うので、意味ない話ですけど。

僕はナットタイプのような気がします。
うーん、でも全員、ある種の自分の一面という感じはしますね。

前回noteで有料部分に書いて、ドタバタと削除するという無様な失態をしてしまいましたが、次週に落ち着いて書きます。

特に理由はありませんが、僕が大阪出身なので、「身近な方言と言えば広島」という発想があることによるものと思われます。
そしてどちらかというと「怖い」というより、「女の子の広島弁は可愛い」というイメージを持っています。

別に沖縄弁にして「やなゆくしむにーびかーし!」とか言わせてもよかったですけど、マジでキョトンでしかないと思うので、広島弁にしました。
(これは「嘘ばっかり言って!」の沖縄弁なので、「嘘くらいついたらいいでしょ!」の翻訳とは違います。ちょっとわからなかったです)

前回のnoteをご参照ください。

僕の解釈では、榊は、この時点で初めて罪悪感を覚えた、と考えています。
それによって涙した。
が、「罪悪感を覚えて涙した」ということは、「終わった出来事を咀嚼して再解釈した」ということに他ならないので、三城平はそれを否定した、ということだと考えています。

ありがとうございます。
お楽しみに。

『ガラスの水族館』の由来は既出ですが、『プリンとバイオレンス』は対極の単語を並べるイメージで名づけました。
「暴力・バイオレンスと一番遠いモノって何かな…。…プリンかな」みたいな。まあ別にお餅でもよかったですけど。
でもお餅は喉に詰まるので、バイオレンスですよね。

たしかに、小島さん、暴力振るわれがちでしたかね?
あまり深く考えていないので、結果論です。
まあでも、小島さんが暴力を振るうのは、「ちょっと冗談じゃなく怖すぎる」っていう気持ちがあったような気もします。
小島さんが暴力を振るう側になっていないのは、おっしゃる通り澄んだ目と無邪気なキャラクターが最高のスパイスになって、ちょっともう長編の主人公レベルというか、あまりに魅力的すぎるからかもしれませんね。

好きな顔は小島さんです。
「(この人、むっちゃくちゃ美形やな…)」とずっと思ってました。
「(ああもう…喋らんとけ喋らんとけ…!むちゃくちゃカッコええ顔してんねんから…!ボケんなボケんな…!)」とか思ってました。
(冗談です)

可愛いところあるなぁ~、と思った記憶はないです。
そういう目で見てなさ過ぎたからですかね?
まあ…男があんまり…職場とか取引先の男に、そういうことは思わないですね?

好きなのは今回のような脚本ですね。
得意なのは…どうでしょう…?
自分ではちょっとわかりませんが、少なくともグレショーは僕が『大暴力』を持って行ったわけで、先方から求められたものではないです。
そういう意味で言うと、僕が求められたことがあるのは、環状線物語とか『僕らは恋がヘタすぎる』のようなものなので、そっちのほうが他者からの評価は高いのかもしれないですね。

っていうか、『大暴力』みたいな作品、誰がプライムタイムのドラマで見たいねんって話ですからね。
これからもしこしこ舞台を続けますわ。

正解はないです。
……この手の「作家の解釈を知りたい!」というメッセージを多くいただきますが、僕の解釈は上演したものがすべてなんですよねー。
で、これを再解釈するっていうのは、作家にとっては「新作を書く」っていう話になるんですよ。
(まあ…ギリ、アナザーストーリー、二次創作を書く、とも言えますが)「実はこれがこうで、これがこうだからこうなっていて」とか、そういうことで説明できないナニカを、描こうとしたつもりです。

ので、これがミステリーなら謎は解き明かしたほうがいいでしょうが、ミステリーではないので、申し訳ないですがご勘弁いただけますと幸いです。

「お医者さん」という表現を褒めてくださっているのを他にも目にしました。特に精神疾患に関してですが、「病院」っていうフレーズはできるだけ避けてアプローチしたいですよね。
「病院行こう」だと、「病気」が確定してるニュアンスになりますが、「お医者さん行こう」だと、病気は未確定で、「そのジャッジ・診察をしてもらおう」というニュアンスが大きくなるような気がしています。

おお、ダブルで回答済みになっちゃいましたね。
お楽しみに!

いやはや、これも回答済みということでご了承ください。
これ、短文で返しているので冷たい印象になっている気がしますが、同じ質問が来るのはしょうがないですからね?
辟易している感じが出ていたとしても、それは皆さんの錯覚ですからね?

僕として、シンプルに、素直に返答してるつもりなので、ちょっとそこだけ誤解の内容にご理解いただけますと幸いです。
念のため、可愛げのある擬音だけ書いておきます。
ぽきゅぽきゅ。

「質問ではないただの感想」と書いてたので、油断して読んでいたら、急に質問が出てきたのでむち打ちみたいになりました。

撮影時期、ね。
ぶっちゃけた話、このnote自体、存在はややグレーというか、「ここがカットされた」なんて話も、推奨されるものではないと思っています。
放送されていないところのAぇ! groupの方々の振る舞いを勝手に話すのも、まあ芸人さんがラジオで話すみたいなものなのでルール上アウトではないですが、人間関係上はやっぱりグレーなわけです。

ので、その辺の罪はわりと自覚的というか、確信犯(誤用)でnoteやってまして…。
ひとえに、番組を盛り上げたい、視聴者を楽しませたい、という一心であることに偽りはないので、そこを番組や事務所サイドも汲み取って目をつむってくれるだろうという、驕り高ぶりのもと執筆しています。
そういう性質のnoteなわけですが、なぜ撮影時期を頑なにボカすのに、編集に関してはあっさり書いてしまうのかは、極めて謎ですよね。
倫理観バグってますよね。

ブロックの件はまた。

花畑さんは、三城平のアカウントを知っているアパレル業界の人、みたいなイメージです。ナットも共通の知人なのでしょう。
たぶん高本とかは「(なんかそういえばこいつらの話にちょいちょい花畑ってやつ出てくるな)」くらいの距離感だと思います。

はじめまして。
ブラック正門は、悪意・害意を出発点とするのではなく、正義感や道徳心を出発点にして辿り着いたというイメージです。

あー…そうですよね…。
これはもう、うっかり、です。
基本的にあれは、性質上完全にカンペというか、「実際にそこにいる俳優にとって必要なモノ」として設置していました。
あれは、役名のほうがよかったですね。
ちょっとテレビ舐めてたというか、こんなに映ると思ってなかったです。

そうそう、前回「ディズニーランドで時給を尋ねる行為」になぞらえて反省しましたが、これを「ディズニーランドのキャスト」と解釈している人を何人か見つけました。で、アンタの発言はそれどころじゃなく、「着ぐるみの中身を明らかにする」レベルだぞ、と指摘されちゃいました。

いやぁ、そうそう。キャストじゃなくて、「ミッキーマウスに時給を聞く」レベルと自覚した上で、例えに出したつもりでした。
(ぜったい時給じゃないですけど。だからややこしかったですかね)

ちょっとこう、男性アイドルと女性アイドルで、世界観がずいぶん違うというか、AKB48のドキュメンタリーや、BiSの存在なんかによって、「僕のアイドル観」が結構ズレちゃってたんだな、とも思いましたね。

基本的にグレショーのスタッフチームですが、何度かお世話になったことがある人がついてくれていたりもしました。
劇団の人、は誰もいませんが、ジングルやタイトル映像の制作は、これまでの劇団活動でお世話になった人にお願いしています。

TV番組と生の舞台の違いは、何よりも「テレビ放送」を前提としていることです。
これは内容もさることながら、そもそも「客席」という概念が、まったく重要じゃないんですよね。
それよりも重視すべきは「カメラ」「カメラワーク」です。

対象が観客ではなく、視聴者であることが、最も決定的な差だと思います。

回答済みということでお許しください。

たしかに、浮気してたかもしれないですよね。どうでしょうね。

>いかなる暴力もいけないことだと思いますか?

んー…?
その質問だと、答えは「はい」になります。
というのも、「いいえ」と答えるなら、「良い暴力もある」っていう話になるわけですから。「良い暴力」っていうのは、ないと思います。

で、多分本当に聞きたいことは、「良い暴力」は「暴力ではない」と解釈した上で、それを是とするかどうか、って質問だと思います。
が、これがあまり具体的に思い浮かばなくて…。

たとえば僕は、「子どもが危険なことをした。二度と同じ過ちを繰り返さないように、強めに叩いて指導した」っていうのも、「体罰じゃん?」と思うし、「暴力じゃん?」と思います。いけないこと、だと思います。

ちょ、あかんわ。ごめんなさい。
なんか具体的な暴力を出して、それがいけないことかどうかを考えるならできそうですけど、「暴力」から想起される大体のことがそもそも「いけないこと」なので、ちょっと思考が広がらなかったです。

苦しくさせてすいません。
そういう方には、この言葉を捧げます。
「この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません」。

皮肉でもなんでもなくて、僕は作り手として「本当にありそう」を極限まで実現しようとしますが、どっちにしたって「ないもんはない」という現実にまで、影響を及ぼすことはあり得ません。
これは完全なる創作です。

テレビドラマで悪役を演じた俳優を嫌いになってしまうような人もいらっしゃると思います。
俳優としては、それをめざしているところもあると思います。なんなら、そう感じてもらうことを成功と解釈する人もいると思います。
とはいえ一方で、その俳優を嫌いになってしまうのは、やや受け手のリテラシー不足なのではないか…というような側面も、否めないと思います。

矛盾するようなことを言ってイライラさせちゃうかもしれませんが、そんなふうにのめり込んで欲しいし、そんなふうにのめり込まれても困る、という両方の気持ちを、今僕は感じています。

ごちゃごちゃ言いましたが、僕がどうとか、質問者さんがどうとか、そんなことはさておき、とにかく確かなのは、「これは創作物である」という事実です。ので、上記の言葉を掲載することといたしました。

ありがとうございます。質問については回答済みとさせてください。

とはいえ時間は進むし、人は老いるので、どうかできるだけ幸せな時間を、なるべく多めに過ごせるように願っています。

匿名劇壇版では、できるだけエモーションによらず、極めて淡々と事実を適時する方法を選びました。
というのも、彼にとって今ここで起こっていることはドラマチックなことでもなんでもなく、ひたすら自分の身に起こり続けている「今」だからです。
訴えというより、「説明」に終始します。

福本さんは、感情的に、情動に任せて心情を吐露する演技を選びました。これは僕のオーダーではなく、福本さんのチョイスでした。
この演技を見て、僕は胸に来るものがあったので、そのままお願いしました。

最初のキャスティングの段階で決定した記憶があります。
たぶん福本さんから、「我慢」とか「辛抱」みたいなキーワードを連想したからだと思います。
実際の福本さんは極めて明朗快活なんですけどね。

衣装について、そんなに冬の格好多かったでしたっけ…?
そっか…。いや、季節はテキトーに振り分けただけのつもりでした。
福本さんの衣装は「小学生から時が止まったやつで」とオーダーしました。

へー…。それは、格闘技イベントなんですか…?
ドラゴンボールのイベント…?
まあなんでも…いいっていうか…ちょっと…はい。
結構…もう、興味ないかな…。

いやあ、僕の力では不可能ですね。
どう考えても皆さんの力のほうが重要だと思います。

んー。どうでしょう?
僕は今回の放送を経て、「アイドルってそういうもの」というのもある種の固定観念だった、と思い直しました。
要するに、「幻想を売る商売」みたいな価値観自体が、全然ステレオタイプというか。たぶん今はどちらかというと、「ありのまま」が主流だと思います。

そこでこの「ギアを入れる」という表現が「幻想に拍車をかける」とか「演じる」とか「誇張する」みたいなニュアンスが強いので、よくなかったと。

どっちかというと、「制限しない」ってほうが適切な気がしました。
自分たちと、周囲にいる人たちが、心の底から楽しくいられるために、「リミッターを外す」という言い方のほうがよかったかもですね。

「顔を近づけて歌ってみたり」とかも、演技・演出としてやってるということじゃなくて、まあちょっと恥ずかしかったり照れくさかったりするところを、心を開放して、一体感を楽しもうとしてるっていう。
これが「ギアを入れる」って表現だと、真逆になっちゃうんですよね。
ありのままいるために、「リミッターを外す」ことに慣れている、という表現で、ファンの方々には再提出したいです。

それぞれ微妙に内容が異なっていたりしますが、登場人物の名前が冠されたシーンは、劇団版にも存在しています。

ちょっともう…マジ…ギアの件…ギアの件マジで…。
ごめんやん…。
Aぇ! groupも…。ファンの皆さんも…。
ほんま…心の底から…ごめんやん…。

昨日、SNS見て「(ごめんやん…)」という顔をずっとしていたら、嫁に「あなたもう今夜Twitter禁止」と命を出されました。
それくらいのあれではあるから…ごめんやん…。

おっと…。
たしかに終演後に言えたのでしょうが、このnoteは「放送を見た感想」なので、「収録当時ははそんなこと頭になかった」というのが答えになります。また、仮に頭に浮かんだとしても、次の上演がない状態で「こうして欲しかった」と伝えるのはあまり意味を感じないので、控えたと思います。

で、じゃあなぜnoteに書いたかと言うと、対象が福本さんではなく視聴者の方に向けてだったからです。
つまり前回書いた内容、「ダメ出し」のつもりがありませんでした。「あえて本人のいない場」を選んだわけではなく、あくまで作・演出として、放送を見て、こう思ったという感想を述べた、という感覚でした。

ですが、きっと福本さんの演技について、あとから文句をつけているように感じたので、お怒りになられてるのでしょうね。申し訳ないです。

ということで、「あえて本人のいない場で、視聴者に対して演技のダメ出しを書き綴った意図」については、「あえて」や「ダメ出し」の部分に上記のような差異があるものの、おおむね「作・演出目線の本心を書くことで、読者を楽しませたい」というのが答えになります。

で、楽しくねーよ、ということだったと思うので、すいませんでした。

もう…ギアのくだり、やめて…。ライフ、ゼロやから…。
普通に…。
今、ギアとは全然別の軸でごっつ怒られたとこやし…。
もう…そろそろキツイから…。ごめんって…。

あ、質問については回答済みですね。
次回やるとしたら、「めちゃくちゃ笑える・超伏線回収型のウェルメイドストーリー」がやりたいです。
まあ多分やらないですけど。

『ガラスの水族館』『タイムマシンで来た二人』についての諸々は、回答済みとさせてくださいませ。

ああ…もう一人怒ってる…。
申し訳ございませんでした。

ごめんなさい、ちょっと最後のセンテンスが理解しづらくて、何の真意を問われてるか難しかったですが、基本的には「番組を盛り上げたい・視聴者を楽しませたい一心」でやっていました。失敗しました。ごめんなさい。

ただ、僕は「理想はこうだったのに、そうならなかった!ちくしょう!」というようなつもりで書いていたわけではなく、「作・演出の立場として、この作品の感想を述べるとしたら、こう」というつもりで書いていて…。
ま、言い訳です。すいませんでした。

ところで、質問文の「ここが良かったと褒めるのはわかる」が、「理想の演技がこうだったと発信するのは斬新(意訳:批判する神経がわからない)」っていうの、お気持ちはわかりますが…。
このロジックで行くと、本当なら「褒め」も控えるべきですね。
「褒め」だって、本人のいない場で、勝手に評価しているにすぎないので…。

前回の記事で、僕が福本さんを賞賛しているのは伝わると思います。「これはいい。これだけ残せ。こういうことだけを書け。」というのは、あまり健全ではないと思います…。

まあ…でも…気持ちはわかるので…健全かどうかとか…どうでもいいですよね。いらんこと書きました…。すいません…。

***

以上です。
書き始めた時点で質問箱に来ていた質問に、すべて回答いたしました。
鬼の作業でした。

なんかもう…結構怒られたし…クタクタです…。
このnote…もう…書かないほうがいいかもしれない…。

でも…ここでやめたら…さすがに…ねぇ…?
逆に「当てつけ」みたいになるし…。
別に、傷ついてるってわけでもないし…。

僕はただ…みんなを…楽しませたくて…。
今回も…これ…17000文字に到達していて…。

ひとえに…本当に…心の底から…「番組を盛り上げたい」「視聴者を楽しませたい」っていう想いしかなくて…。

まあ…ほんのちょっとだけ…「個人的に面白いと思われたい」とかもありますけど…。
あとまあ…承認欲求もすっごい満たされてますけど…。

僕は…いっぱい…間違えちゃったりするけれど…、どうか、お付き合いください。
あ…もちろん、無理して付き合わないでください…。

とにかく、ちゃんと反省するし、改善します。

ああ…もうなんか…シツモンバコナーズ・ハイみたいになってるわ…。

それでもまだ、質問箱はこちら。(狂気)


(了)

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