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何かを始めるのに年齢は関係ない
スペイン語で「Nunca es demasiado tarde.(ヌンカ エス デマシアド タルデ)」という言葉がある。
「何事も遅すぎることはない」
わたしが住むスペインでは、年齢に関係なく何歳であろうが何かしら新しいことを学び、挑戦している人が多い。
45歳でスキルアップのため大学に通い始めた知人や、ご近所の仲良しおじいさんは、70歳を過ぎてからも大学に通い哲学を学んでいた。
何かを始めるのに年齢など関係ないし、遅すぎることはないとスペイン人から教わった。「Nunca es demasiado tarde.」
わたしは、この言葉が好きだ。
何歳になろうが、「なんでも挑戦してやろう」と思える。
挑戦することに意味がある
周りの友人も、30歳40歳を超えて新しいスキルを求めて努力している人が多い。
1番近い人物でいうと、わたしの夫も、趣味で34歳からベースを習いだした。夫はもともと音楽は好きだったけど聴く専門。音符やコードも分からなかった。
習い始めた頃は、ベースを触っているだけでも、ただただうれしそうで楽しそうにしていた。ひょんなことからベースを弾く人を探していたバンドに誘われ、そのうちレコーディングをするようになり、いくつかのフェスティバルに参加し、新聞にも載り、スペインで1番大きなラジオでインタビューも受けた。
夫は、「こんなことできたらいいなって憧れていたことが全部叶った」と言っていた。
他にも「自分より下手なベースを探すのは難しいと思う」とも。
本人は、完璧ではない自分を受け入れて、ただただ舞い込んでくる新しいことに全力で挑戦していた。
そんな光景を横で見ていると、年齢は関係ないし、自信がなくても、へなちょこでも、挑戦することに意味があるんだと思えてくる。
年齢が夢を邪魔する問題
今日、15年ほど前に大阪で働いていた美容院の先輩からメールが届いた。
いつもはグループメールで他の元同僚や先輩達と誕生日を祝ったり近況報告をしたりする。
その際にわたしが「美容師とライターを両立するために今がんばり中だ」と書いたら興味を持って、個人的に連絡をくれたのだ。
自分のお店を持っているその先輩は、今新しいスキルを学んでいるらしい。「体力的に美容師がキツくなってきて。新しいこと始めたいけど、もう45歳になるし、年齢的にな~」と言った。
この先輩のなかで、「年齢が夢を邪魔する問題」が勃発しているのだ。解決策を練ってみる。
まだまだ若いので何でもできます
わたしはそこでふと、『大家さんと僕』を書いた矢部太郎さんが、手塚治虫文化賞短編賞の受賞スピーチでおっしゃっていたことを思い出した。
大家さんがいつも、「矢部さんはいいわね、まだまだお若くて何でもできて。これからが楽しみですね」と言って下さっていたのですね。
ご飯を食べていても、散歩をしていても、ずっといつも言って下さるので、本当に若いような気がしてきて、本当に何でもできるような気がしてきて……。
これはあまり人には言っていないのですが、僕の中では、38歳だけど18歳だと思うようにしていました。だからいま、20歳(ハタチ)なんです。何を開き直っているんだと思われるかもしれませんが、これは本当に効果があって、10代だと思ったら大概の失敗は許せました。
この矢部太郎さんの法則でいくと、わたしは38歳なので18歳。その先輩は45歳なので25歳。
ピチピチだ。何も怖くない。
この法則でみれば、自信がないのは当たり前だし、最初はみんなへなちょこだもの。「つまづいたっていいじゃないか」と相田みつをも言っている。
何より挑戦しないと何も始まらない。わたしは10代。あなたは20代。
失敗を恐れず何でも挑戦していこうではないか。きっとその先に想像もしていなかった明るい未来が待っていると信じて。
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