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カタカムナが伝えてくれたこと


わたしはいつも、友だちや仲間たちと会ってたくさん話して、楽しい時間を過ごした後、家に帰り、
パートナーにその日の会話や感じたことをよく話す。
(内緒の話はしないよ笑)


パートナーは、会ったこともないその人たちのことをとてもよく理解する。
わたしは、『そうそう!そうやねん!なんでわかるん?そうやねん!』と、いつも嬉しかった。
わたしの大好きな人たちのことをそのまま理解してくれるから。


わたしはこの人はやっぱり感性がフツーとちゃうなーと思っていたのだが、つい先日そんな話になった時に彼は、

『きみえちゃんってさ、友だちと会って帰ってきたら、その人のエネルギーみたいなものをそのまんま持って帰ってくる感じやねんな。話を聞いてたら、ホンマによく見える。きみえちゃんがその人を映してるみたいな感じ』と言っていた。


なるほどなーそうなんかーと思っていたその直後、友だちが教えてくれた"カタカムナ"の本を読んで、言葉や文字に宿っている意味を知った。


カタカムナとは、中国から漢字が伝わるもっと前に日本(だけではないが)で使われていた古代の文字で、その48種の文字(音)にそれぞれの思念を表したものだ。
宇宙の法則や言霊と言われるものでもある。

そして驚いた。
キミエと言う名の

キ=【エネルギー】
ミ=【実体】
エ=【写る・映る・移る】

えーっっ!!!待ってなにこれパートナーが話してたことそのまんまやん!!!すごい!!!となった。


友だちが悩みなどを打ち明けてくれて、そこで色んな話をした後、彼女たちは、自分の内側にあるその答えに気づくことが多い。
あなたのおかげだと感謝してもらえることが少なくないが、わたしが何か天の声のようなアドバイスをしたからというわけではなく、彼女たちはいつも心の中を洗いざらい話して、それで自分自身をわたしに映していたのだ。
わたしに映った自分を客観的に見て、『あれ?これってもしかして…』と、ハッと気づく。
それが一番しっくりくる。

名は体を表すとはまさにこの事だ。

わたし達の人生の旅の中で、自分の望みや自分を苦しめている思考に気づくことの喜びは大きい。偉大だ。
そこから派生する考え方、使う言葉の変化。
声の大きさまで変わることがある。
細胞が生き生きしだすのを感じることもある。
発するエネルギーが見事に変化する。

まさに気づきを重ねて、本来の自分に還る旅をしているのだ。
その偉大な気づきを得た嬉しい顔を見ることが、わたしの得も言われぬ喜びだった。


でもそれは友の役に立ちたいと思えば、自分じゃなくても誰にでもできることだと当たり前のことだと長年思っていたが、パートナーはずっと意義を唱えていた。


今はその意味がわかる。


***

先日、初めてふたりでたくさん話した栄養友が、
わたしのことを愛がダダ漏れな人と言ってくれた。

いつもたくさんの思いを共有する友が悩みを話してくれた時は、
『あなたは本当に人をガイドする人!わたしまた前に進める!!』と喜んでくれる。


今までなら、いやいやそんなことないよと思っていたが違う。
わたしはいつも無自覚に愛を送っていたのだ。
それはわたしの中から溢れる愛とは別に、目の前にいるその人たちの愛を映して見せているのだと思う。
それはまさにわたしの魂の仕業だ。


もうすでにあるその愛というエネルギーを普段からそのまま感じている人、受け取る準備ができている人は、安心して信頼して、わたしに自分の心の中身を話してくれる。
そしてそれを咀嚼したわたしは彼女たちの真の姿を映して見せる。

それが気づきを生むきっかけになっていたのだ。


***

わたしは今、遠い昔、日本にあったその言葉の意味を知り、たまらなくワクワクを感じると共に、自分が求めている喜びや自分の使命を知る大きな助けを得た。
人生の設計図、ホロスコープと合わせて見てもドンピシャなのだ。

あの日カタカムナを教えてくれた友は、無意識にわたしの背中を押しに来たのだ。
ピュアなエネルギーを持つ彼女らしくて、本当に有難い。


今までも、わたしの周りの人たちが、これでもかこれでもかとメッセージを送ってくれていたのに、

『こんなことは誰にでもできる、わたしじゃなくてもいい。』
などと、本気で思っていた。

そして人の役に立ちたいと願ってやまない自分の魂の声を無視していたのだ。

どちらに対しても失礼だ。
もうこの思い込みは手放す。
本当の意味の卒業をする。


わたし達は、自分が意図することでエネルギーを変化させることができる。
でも怖いのだ。
気づきは喜びでしかないが、自分を変容させることは怖い。
今までと違う自分になることは、エゴが危険だと判断するからだ。

それは根性がないのでも勇気がないのでもない。
だから、決して責めてはいけない。

でも自分の意図通りに生きたい世界へ引っ越すには、危険じゃないよとわかってもらう他ない。
『大丈夫やで。怖くないで。ほら?な??』
みたいな感じでいくしかないと、この前の瞑想の時に浮かんできた。

怖れがとても強いというカルマを手放すという使命もある。

これを体現してみようと思う。
人の役に立ちたいと願う魂さんを待たせ過ぎて、
「退屈でたまらんわ」と言われ始めているが、
怖いので少しずつ少しずつ、ジリジリと進もう。

でも単純で熱いわたしのことだから、
『ええい!もうじれったいねん!めんどくさいわ!!』となって飛び出すかもしれないな…
などと、"意図"しながら笑。


***

近々、開業届けを出します。

セッションで、たくさんの人たちとたくさん話して、愛と喜びを共有することにします。

心も体も頭も全部繋がっているので、何か名目をつけてのカウンセラーや、セラピストという言葉も自分には合っていないように感じているので、
"オカンの愛を添えて話聞くからみんなしゃべりに来てな!"
みたいな感じでまいります。

まさに魂の会話、魂のセッションができるように。
心の奥の紐が絡まってるなら、一緒に解いていくように。


自分のワクワクや望みを叶えられるのは自分しかいないから。

ーーーーー

たくさんの気づきを与えてくれる宇宙の友全員に感謝を込めて。

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