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家紋

我が家の家紋

ご先祖様をたどる手がかりの1つとして「家紋」があることは、気づいていましたが、家内に「ところで我が家の家紋は?」と問われ、はったと困ってしまいました。

羽織や紋付きなどついぞ見る機会がなくなった昨今、『家紋ってどこで‥』と思っていた矢先、母が他界したことでお墓の修繕をお願いしたところ、新しくなったお墓にくっきりと家紋が浮かび上がっているではありませんか。

家紋

そして周りのお墓は見回してみると、あるわあるわさまざまな文様の家紋が一斉に視界に飛び込んできました。いかに人は物を見ているようで何も見ていないのだなということを痛感したしだいです。

現在日本には241種、5116紋以上の家紋があるそうです。

大除城主大野氏の家紋

そんなこんなで我が家の家紋は、丸に木瓜(もっこう)紋ということが判明した次第です。そこで前々から関係が気になっていた大除城主大野氏の家紋を確認したところ、こちらは「木瓜に二つ引両」でした。

木瓜に二つ引き

同じ木瓜紋ではあるが、『どうなんだろう‥』と、さらに調べてみると、かつては、「本家」に対する「分家」や「主人」に対する「家来」などに、家紋をひき次いだり与えたりということがよく行われていたようです。

その際、オリジナルの家紋に対して、丸や菱で囲んだり、白黒反転させるなど何らかの要素を加減する事によって、関連性をもたせつつ、違いを表すことで「主人」なり「本家」対しての主従関係の意味合いを持たせていたようです。

ということで我が家と大除城主大野氏との関連性が、少し見えてきたかなと思いつつ、木瓜紋について深掘りしてみました。

木瓜紋の由来

木瓜紋(もっこうもん)の由来については、その名が示すようにウリを輪切りにしたその断面を図案化したものとの説もありますが、定説では無いようで、鳥の巣を図案化したなど諸説が語られています。

木瓜紋の図案自体は、家紋として用いられる以前から、公家社会の中で、伝統的に用いられてきた図柄で、簾(すだれ)の縁飾りの織り模様として描かれていたようです。簾の織り模様が描かれていた部分を帽額(もこう)と呼んだことから、後にこの模様が家紋として一般的に用いられた時に、その音から転じたとする説が有力です。

もこう

中でも古代豪族の大伴氏が好んで用いていたようで、後世その後裔の武家が家紋として木瓜紋を用いています。

伊予大野氏の家紋が木瓜紋であることも、始祖が大伴吉良喜でることから大いに頷けるところです。また大伴吉良喜が伊予大洲に下向した際、京都の八坂神社から分祀したとされる大洲八多喜の祇園神社の社号標には、五葉木瓜が刻まれています。

祇園神社神紋

神紋は、その神社にゆかりのある公家や武家の家紋を用いる事がめずらしくなかったようで、八坂神社が大伴ゆかりの神社であることが見て取れます。

ちなみに五葉木瓜は、織田信長の家紋でもあることから「織田木瓜」とも呼ばれています。

丸に木瓜紋の有名人

我が家と同じ「丸に木瓜紋」を使っていた有名人としては、新撰組の沖田総司、トヨタの創始者豊田佐吉、読売新聞の正力松太郎、森喜朗元首相、桂歌丸、出島、オール巨人などがいます。また三船敏郎はこの家紋をそのまま三船プロダクションのロゴマークにしています。

丸に木瓜

余談になりますが、ルイ・ビトンの代名詞といえる模様の中の花のデザインは木瓜にヒントをえているそうです。



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