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書物の転形期:和本から洋装本へ

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このエッセイでは日本で洋装本が登場してから定着するまでの時期、すなわち十九世紀後半から二十世紀初頭までを対象として、書物の技術と当時の新聞広告や目録の記述などとを照らし合わせつつ…
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#和刻洋書

書物の転形期05 洋式製本の移入2:幕末の洋装本

蕃書調所・洋書調所・開成所の洋装本  1856年、蕃書調所は江戸幕府によって「西洋情報や技術の翻訳・移植直轄機関」( 宮地正人「混沌の中の開成所」『学問のアルケオロジー』東京大学出版会、1997)として設立された。蕃書調所は数多くの洋書を備えるとともに、「活字所」を調所内に開設し、スタンホープ印刷機を使った活版印刷で教本や辞書を翻刻していた。蕃書調所とその後継機関である洋書調所(1862)・開成所(1863)の出版物の多くが洋装本である。福井保『江戸幕府刊行物』雄松堂、二版1

書物の転形期04 洋式製本の移入1:幕末の洋装本

江戸期の洋装本 江戸期に最も洋装本にふれる機会があったのは、阿蘭陀通詞と蘭学者である。しかし洋装本の製作が試みられるのは、確実なところでは、長崎に設けられた活字判摺立所で1856年から1859年の間に製作された長崎版和刻洋書まで下る。ただし、それ以前に製作されたと覚しい洋装本も複数報告されている。現在、洋装本の蘭書や洋学書はほとんどが貴重書扱いで、製本の内部構造を確かめることは難しい。しかし、貴重書ゆえに文化財の修復や管理の専門家による解体も含めた調査が行われており、近年は数