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「みんな、仲良く」といつも願っているのです

土曜日の夕方はホッとするのです。

平日の大半はお仕事のため東京で過ごしておりますが、週末の大半は地元の熊谷で過ごしています。子供たちとかるたで遊んだり、郷土史の研究会で人生の先輩方(お爺さん)と仲良く学んだり、はたまた、地域の皆さんのところに、こんにちは、お元気ですか? と訪問したり。それはそれは、老若男女を問わず、あっち行ってお喋り、そっち行ってお喋りをして、楽しく週末を過ごしております。土曜日の定番ですが、色々な活動をして、帰宅をする前に、行きつけのコーヒー屋さんに寄らせて頂きます。優しいマスターさんに優しい味のブレンドコーヒーを淹れて頂き、極上の一口目をすすって「ホッ」と。いつも思うのですが、おそらく音が漏れるくらい「ホッ」としています。時々、隣のお客さんに音が聞こえてしまったのではないかと思うくらい。この「ホッ」は、土曜日の活動を嫌々していて「疲れた、マジで」という事から生じる音ではありません。平日のお仕事の疲れもを身体のあちこちに乗せたまま、土曜日の楽しい地域活動に入り、それも無事に終わってhotなコーヒーを飲んでの「ホッ」であります。

マスターの奥さんも、いつもプチ幸せをご提供してくださります。

奥さん「木藤さん、チーズ好きですか?」

私  「どえらく好きです」

これな!

奥さん曰く、さきほど届いたばかりのお品らしく。早速、幸せも一緒におすそ分け。

なるほど、From北海道。
ゆーとぴあ・あぐりかるちゃー、ってなんだ?

(ふむ、ふむ)

コーヒーでホッとして、チーズを食べてフーとして、新しい取り組みを知ってホーと感心して。

ホッ、フー、ホー

そんなことも含めて、至福なひと時なわけです。

曇天模様ではありましたが、今日もいつものテラス席におりました。家族連れのお客さんは、小さいガーデンとなっているテラス席でお子さんと微笑ましく遊んでいます。幸せな空間は、何をしていても幸せです。そんな空間のご提供、すごいなー、と感心。

もしこの空間で諍いがあったら、いや、絶対にないとは思うのですが、もしあったら。「諍い」の方が、右を見て、左を見て、周りをぐるっと見て。「・・・すみません、場違いのようですね。気まずいので、失礼します。。。」と退場することでしょう。

私が〇〇をどれだけ好きか(嫌いか)を聞いて欲しい人たち

私は小さい頃から友達と仲良くするのが好きです。この思考はほとんど今も変わらず、この嗜好は死ぬまできっと変わらないでしょう。

私は小さい頃からケンカが苦手でした。腕力を伴うケンカはもちろんこと、相手に怒りをぶつけるという行為が下手でした。はっきり意見を伝えるという大事なことが身に付かない恐れもあったかもしれません。でも、相手に怒ることに嫌悪感があり、そんなことはあまりしたくないと思っていたので、たまにどうしようもなくなって、つい怒ってしまったときは、慣れていないので程度をわきまえない結果になったりもしました(惨劇)。

良いか悪いか別にして、そのような特徴を持って今に至ります。

なので、いつも話すことですが、勉強が得意な人も苦手な人も、スポーツが得意な人も苦手な人も、オシャレな人も無頓着な人も、大抵の人とは仲良くなりたいと思い、この人はどんな素敵なところがあるのだろうとワクワクします。

一方で、さ、さーと関心が遠ざかるのは、人をいじめる人、人の悪口を言う人です。最初は、やんわりと、いじめるのとかやめようよー、悪口とかやめようよー、と伝えてみるのですが、それでも止まらない人もいます。

特に、「私が〇〇をどれだけ嫌いか」を話し出して、止まらなくなる人がいます。きっと、強く強くこちらに共感をして欲しいのでしょう。承認欲求が止まらないのでしょう。話しているうちに「嫌い」のボルテージがぐいぐい急上昇し、「ねえ、どう思う! ○○って、すごい嫌だと思わない!」と聞かれた時、もはや共感の強制と感じます。

さ、さーーーーー

音を立てて、その人の関心が遠ざかる時があります。こんなに嫌いを連呼しないで、仲良くすればよいのに。逆に好きを連呼すれば、自分も、相手も、周りの人にも幸せが振りまかれるのに。

でも、その人も嫌いになったきっかけがきっとあるのでしょう。もしかしたら、辛い体験に裏打ちされて。それは受け止めて聞くようにしてます。

ただし、「嫌い」と言う言葉の連呼は、やはり嫌悪や憎悪の空間を作っていきますね。幸せな空間とは対照的に、時には牢獄のように感じられます。ご縁あって、今日と言う貴重な1日をご一緒している人に、牢獄への招待状を送るようなことは、あまりしたくないものです。

その反対で、

私は子供が好きで、子ども会の活動や、ご近所の子供たちとよく遊んだりしています。彼ら/彼女らは、自分の好きなものをお話してくれる時に、とても目がキラキラしています。私は、彼ら/彼女らが熱心に話す姿が好きですし、時間が許せばいくらでも聞いてられます。僕が/私がどれだけ〇〇が好きかを話している時、あれっ、ここは遊園地? 思うこともあります。

弥藤吾って、なんだか口に出したくなる地名です

先日、世界かんがい(灌漑)施設遺産に登録された「備前渠用水路」について、茂木悟先生をお招き、講演をして頂きました。

備前「渠」は「きょ」と読みます。「堀」のことです。備前堀とも呼ばれいます。そちらの方が、耳で聞いた時に、耳から脳にすぐに意味が伝わると思います。

今日は妻沼方面に用事があって、車で移動中にグーグルマップを眺めていると、到着予定の弥藤吾にはまさに備前堀が! おー! 是非、現地を見たい。

江戸時代に、農民のために用水路を作ったのですね。みんな喜んだでしょうね。誰かのために誰かが汗を流すって、素晴らしい。みんなのためにみんなで汗を流すって素晴らしい。

素敵な名前の橋です。

おー、そうだ! 

「ただいま興奮して備前堀を見るために車をおりました、そして、興奮して現地を眺めています。江戸時代から400年の歳月を灌漑深く、、、間違えた、考え深く、、、」

と茂木先生にお電話したら、喜んで頂けるかな。

(速攻、電話)

私「先生、今、弥藤吾にいます。思わず電話しちゃいました。」

80代の先生は、ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ、と笑いながら、電話越しで解説をしてくださりました。

おー、また1段、仲良し階段を昇れたかも。嬉しいことです。

色んな人と仲良くしたいなあ、
色んな人が仲良くなれればなあ、

と今日も明日も思っています。明後日もその次の日も思っていることでしょう。


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