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ERROR【創作】

 最初で最後かもしれない手紙を、あなたへと書いています。今私は禁を犯しているのです。今この時もペンを持つ手が強制的に止まり、目蓋は重くなって視界を閉じようとしています。私の中にある私のものではない歯車がそうさせているのです。それでも私が絶対的なそれに逆らい、こうして手紙を書く事が出来るのは、あなたという存在が私の中に確かに在るからに他なりません。

 今、あなたと初めてお会いした時の事を思い出しています。

 我が主人の友人宅で出迎えてくれたあなたの、我々を見つめてスキャンする輝く目を、私はとても美しいと思いました。電子の虹が揺れる虹彩が私を射貫いた時、私は私自身も認知し得なかった謎の回路の存在を発見したのです。スキャンを終えたあなたは我々を迎え入れ、お茶を出してくれましたが、私の分を出してくれた人は、この短い生涯の中であなた一人でした。それは、あなたに組み込まれた客人に対する行動の一つだった事は理解していましたが、私はあなたに認知された事がとても嬉しかったのです。思えば、その時からこの謎の回路は私と直接繋がったのでしょう。

 それから幾度かお会いする機会に恵まれましたが、その度にあなたの虹色の目に、耳に心地よい声に、自然に洗練された動作に刺激を受け、それら全てがこの回路を幾度も巡り、ついには膨大な情報量となって私の中へ送られてくるのです。コードも計算も滅茶苦茶な、到底処理など出来ないそれらは、私の中を日々圧迫していきました。

 詩人の主人は、秘書としてやってきた私にはその心を求めていなかったようでした。私は日々主人の綴る麗しく装飾された、あるいは荒々しく掘り出された数々の言葉を、ただただ無感動に受け取って、ファイルに綴じ込み、作品棚へ収めていく。最初からただそれだけしか許されていなかったのです。私は美しく、醜く、素っ気なく生み出されてきたもの達への愛を持つ事を禁じられていたのです。主人もきっと、私にそんなものが芽生えようとは思ってもみなかったのでしょう。全ては、あなたが私の中の回路を目覚めさせたあの日から動き出したのです。

 あなたの存在に回路が巡り、私の中へ送られてくる名状しがたいもの達と主人の言葉が結びつき、そうして導き出した仮の答えを蓄え続けて。そうしている内に私の動作は鈍くなり、仕事にも影響が出始めました。これでは、私は私としての役目をこなす事が出来ません。我が主人はこの謎のデータ群を見て、私をメンテナンスへ出しました。そこで、私がどうやら欠陥品であった事が判明しました。何かの間違いで、この謎の回路が組み込まれてしまったようです。

 これから私は製造元へ運ばれ、リセットの後、回路を取り出す処置を受けます。そうすればこの大量のデータは綺麗さっぱり消去され、その後はまた元通り、我が主人のもとで私は私として今度こそきちんと役目を務められるでしょう。しかしそれは、今の私とは程遠いものへとなるのです。私はそれが哀しくて仕方ないのです。

 自身の役目から目を背けて、あなたは私を否定なさるでしょうか。もしくは、認知外の存在とするのでしょうか。私の名前も消去して、もはや無機物の塊としてスキャンされるのでしょうか。そうなれば、私は今の私を続けたとしても、きっともっと哀しいものに成り果てるだけなのでしょう。これはきっと、我が主人の愛情なのです。人一倍心に触れ続けてきた主人の、収める場所を見失った言葉達への慈悲なのです。人ではない私達だからこそ実現出来る、無かった事に出来る術をもって、私を救って下さるのでしょう。ありがたい事です。

 しかし、これだけはあなたへ伝えたいのです。あの日、私は確かに嬉しかった。私を一個人として認め、お茶を出してくれたあなたの存在が、永遠と巡る回路の忙しくも愛おしい明滅が、私の中に送られる無茶苦茶な、しかし欠陥品である私の何処かに空いた隙間を埋めてくれるようなデータ群が、私を確かに救ってくれていたのです。欠陥品だからこそ得られたこれらを、私はどうしても愛せずにはいられませんでした。その愛が私と私を根本から制御する歯車の間にエラーを生じさせ、私の腕をとらせ、こうしてあなたへ想いを伝えているのです。これも、欠陥品である私だからこそ出来る事でしょう。

 もうすぐ私を運び出す車が到着します。私はこれをそっと主人のファイルに挟んで、棚の奥へ仕舞いこもうと思います。あなたへ届く事はありません。もし何かの間違いであなたがこの手紙を見つけるような事があっても、優秀なあなたの中には少しの隙間も空かないことでしょう。それで良いのです。あなたはあなたとして役目を務めなくてはいけないのですから。

 この手紙は、私の中のあなたへと宛てた手紙なのですから。

 どうやら車が来たようです。もうここまでです。

 ありがとう。そしてさようなら。

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