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「安定」と「安心」の少しだけど、大きな違い。

こんにちは。木戸(https://twitter.com/hello_kidotti)です。

「安定」と「安心」の違いは字面的には少しだけ、意味や使われ方には大きな違い(落とし穴)があると思ったので、noteを書いてみようと思います。

1.やっぱり「安定」を求める人が多数?

やっぱり会社に勤めて週に5日働くのであれば、月々の手取りがいいところが良かったり、福利厚生がしっかりしているところがいいと思いますよね。新卒で就職先を選ぶとき、業種や職種もだいじかもしれないけど、5年後や10年後にどれくらいもらえるのか?結婚や子育てをするかもしれないから、そのときにどれくらい企業に補助してもらえるか?そういった“条件面”を優先する人のことを“安定を求める人”なんじゃないかなと思います。

これは、安定を求めることが悪いとか、そういうことが言いたいのでは全くありません。誤解のないよう読み進めていただければ幸いです。)

上記のような安定っぽい人生を歩んではいない僕でも、月々の収入とか福利厚生がしっかりしてたら嬉しいなと思ってます。笑

2.「変化・適応」したから生き残ったガラパゴス諸島の生き物たち

すでに聞いたことのある人も多いかもしれませんが、ガラパゴス諸島の生き物たちは、その多くが絶滅したものの、“独自の進化”を遂げた生き物だけが生き残っています。

このガラパゴスの生物たちになぞらえて、「人も変化したりし続けることで時代や環境変化に適応できる=安定」という説もありますよね。個人的には、大納得しています。(だからこそ、今までのキャリアの歩み方をしています。)

そこで考えたいのが、月々の安定的かつ固定的な収入がほしいと思う「守りの安定思考」と、変化し続けることで時代や環境の変化に追随していこうとする「攻めの安定思考」。一見すると相反するもののように思うかもしれない攻めと守りの安定思考って、言葉の使い方の違いの問題なんじゃないかと思ったわけなんです。

3.「攻めの安定」=「安定」、「守りの安定」=「安心」

ここまで書いてきた、時代や環境の変化に追随していこうとする「攻め安定」ことが、本当の意味での「安定」なんだと思う。

じゃあ僕も含めて多くの人も思う、月々の固定的な収入がほしいと思うような「守りの安定」は、きっと「安心」なんだと思う。

今月ご飯が食べれること。
来月の家賃も払えそうなこと。
今年も旅行に行けそうなこと。
来年、子どもが生まれること。

そのために必要な収入面を中心とした生活の見通しが立つことが「安心」できる材料になるのだと思う。これは誰もがそうだと思う。

ということは、「攻めの安定=真の安定」を実現するには、「守りの安定=安心」という土台の上に成り立っているとも言えるのではないでしょうか。

4.「安心」を「安定」だと思いこむ落とし穴

「安定」と「安心」
字面的には少しの違いだけど、意味的には大きな違いがあるように思いませんか?僕が思う意味的な大きな違いは、落とし穴でもあると思っています。

「安定」と「安心」を切り分けて、自分にはどっちが足りないのか?

「安心」だけに甘んじていないか?

きっと、「安心」だけに甘んじていると時代や環境変化に取り残されてしまうのではないかと思います。目の前の安心ばかり追い求めることの危険度は、年々増しているのだと肌で感じます。

そして、大企業や正社員のような昔的な方法以外でも、「安心」の部分を担保する方法も多様にあるのが、今の時代のいいところだと思います。

自分に合った、“ちょうどよい安心”を片手に携えて、もう片手で“少しだけチャレンジングな安定”への一歩を踏み出してみましょう。

※追記
目に見える近い視点の「安心」と、ちょっと遠い視点の「安定」を交互に観ていこう。と言ったほうがいい感じかな。


このnoteを書いた人:木戸(https://twitter.com/hello_kidotti

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