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どの世界観に重心をおいて生きるか?【ティール組織】

フレデリックラルーさんの話でもある社会の未来の話と、先日の嘉村賢州さんの話(2/9@京都)を聞いて共通点があったし、「自分はどの世界観に重心を置くのか?」ということのお話。

フレデリックがマッキンゼーを辞めてからティール組織のプロジェクトに取り組むきっかけのエピソードに中で、「リッチな会社をよりリッチにするために貴重な自分の人生を使いたくない。」という話がある。

最初に 聞いた時は、フレデリックもそういうことってあるんだな〜。くらいにしか思っていなかったが、少し違うように感じた。たぶん正確には、「『機械の世界観』の中では、自分のエネルギーが無くなる。」という感覚なんだろう。

嘉村賢州さんも似たようなエピソードを語っている。10年近くを組織変革ファシリテーターとして活動し、1年間の休養と旅に出た時、アメリカのカンファレンスである人から「賢州は、OD(オーガニゼーション デベロップメント/ピラミッド型の組織を開発する)よりも、オーガニゼーション セオリー(新しい組織の形)に興味があるんだね。」と言われたらしい。本人の自覚、無自覚に関わらず、機械の世界観ではないNew worldな世界観に可能性があると信じていたのだと思う。その一歩先を行っていたフレデリックのことは師匠とも呼べる存在だろうと想像できる。

ここでタイトルに通りに問いかけたい。「どの世界観に重心を置いて生きるか?」

重心という表現をしているのは、ティール組織やインテグラル理論ではおなじみの「超えて含む」という概念があるからである。それを念頭に置いた上で、どの世界観に重心を置くのか?は、自分のキャリアとこの世界での役割を一変させる問いなんだと思う。

なぜなら、どの世界観に重心を置くかによって、役割が変わるはずだからである。機械の世界観の中で、それを自覚した上でホスピスのように役割を遂げる人生もあるだろう。New worldの世界観の中に新しい自分の役割を見出すこともあるだろう。同じ業界や似たような職業だとしても、全くことなる人生になると思う。

こんなことを考えながら、今、機械の世界観における“当たり前”を疑い、個人と組織の新しいリテラシーのレシピづくりをしていくためのプロジェクトのパーパスを探求している。出来れば実験的にティール組織風な運営コミュニティにしたい気もするし、出来るだけじっくり深い探求をしたいとも思っている。ティール組織を探求していく上で、実際問題の壁になる課題とか(例えば、パーパスを組織のメンバーと共有して回り始めているけど、社外の顧客やリクルートの際にどのように伝え発信するのか?)や、働き生きる上での個人の問題(機械の世界観から脱出して、どうやって複数の組織や人と関わりながら仕事やキャリアをトランジションしていくか。個人的には、退職転職という機械的な概念の世界にいないので、パーパスに基づく自然な形での所属や仕事の変化=キャリアトランスフォーメーションと名付けてみた。)を探求し、料理のレシピみたいにしていく。この活動があることで、日本におけるティール組織への進化と普及が2〜3年早まることの貢献したい。

最後に、感想やアイデアや疑問など、何でもコメントしてもらえると嬉しいです。地味に地道に、でも深く、そんな探求と社会実装を繰り返したいと思います。


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