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1/10:ルームメイトとのお別れ

写真は先日行ったワルシャワのアメリカンレストラン。生バンドの演奏も含めて最高でした。

今日は朝からBusiness Analysisという少し重めの科目があったことに加え、午後にはBusiness Englishのテストがあったので、家に着いた夕方には結構ヘロヘロであった。

しかしながら、ルームメイトが母国のカザフスタンに帰るということで、一緒に部屋を掃除したり、タクシーを呼んで荷物を積み込んだりした。

色々細かい問題(ネタになるようなことも実はたくさんあった)はあったけど、文化の異なる人と一緒に同じ部屋で生活することの大変さと楽しさを教えてくれたという意味では、ルームメイトには本当に感謝している。

文化の違いを理解した上で相手のことを尊重することの大切さは、本や学校でも教えてくれるけど、実際に寝食を共にするほどの密度で関わらなければその本当の難しさは、わからないことだと今は思う。

ルームメイトではないけど、同じ寮の共同洗濯機の前のスペースに女性物の下着が干してあったことがあった。

それに加えて、共同施設(特にキッチン)の使い方が汚いと不動産管理会社に皆で注意されたことがあった(16人で使うにはキッチンが狭いことや皆の使い方が本当にひどいので、自分は一度使って使わなくなった。ご飯食べるのに3時間待ったりするのは本当に非効率だと思ったこと、さらに近くに安いご飯屋があったので、そこで食べることで問題がなかったこともある)

その頃はワルシャワに来たばかりということもあり、早く生活に慣れ、がっつり将来のことを考えたり、勉強したりするぞ!と燃えていた時期だったので、朝から学校に行き、終わった後もカフェで勉強して、家に着いたその時に、そのような洗濯物の光景を見て、すごくがっかりしたのを覚えている。

自分は将来グローバルに経営関係の仕事をしたいと思っていて、そうすると異文化の人とも仕事をすることは確実だし、相手の悪いところではなく、いいところを見つけて、やっていこうと思っていた(今でも思っている)。

そうした自分の思いがある中で、その時はこうしたことも注意というか、常識?として伝えなければならないのかと思ってしまった。

寮での外でのこと(希望に溢れている?未来につながること)と、中でのこと(日常生活のリアルさ)のギャップが大きすぎて、自分はただグローバルに働きたい、皆で良い方向にやっていきたいと思っているだけなのに、あまりにもその本題の仕事に入る前にやることが多すぎるのではないかと思って、予想以上にその日は疲れてしまったのを覚えている。

例えば、キッチンなんて使い終わったら、使う前の状態に戻すだけなのに、なぜそれができないのだろうと本当に考え込んでしまった。

こうしたことに対する妥協点というか、自分なりの気持ちの整理としては、すべてを理解し合う必要はないというものだけど、文化の異なる人といて、何か違うなと思った時にこれを思い出すようになってから、かなり楽になったように思う。

さて、学校の方であるが、授業自体は、1/23で終わりで、その後にテストと重めのレポートの提出が合わせて4つある。

終わりよければすべて良しではないけど、最後まで頑張りたい。

考えてみれば、今までこんなに学校にちゃんと行き、勉強したことはなかった。

日本にいた時は、基本的に先生は敵だと思っていたので、好きな先生を除いて、勉強をしっかり教わる態度では恥ずかしながらなかった。

そのような中の高2の冬のテストで、不登校生もいたクラスでビリになった。そして、これはいよいよまずいぞと思って、相変わらず学校の授業は聞いていなかったけど、自分で受験勉強はするようになった。

勉強できなくても勉強したことがなかったら当たり前だし、まあ別にいいかなと思っていたけど、その時まで何も本気でやったことがなかったので、それはまずいし、やりたいことをするために学歴も必要そうだったので、とりあえず勉強くらいしとくかといった感じのスタートだった。

大学は自分で好きなところに入り、勉強したかったことがあったので、それなりにしっかり聞いたこともあったけど、自分のやりたかったことをするのが難しいとわかってからは正直気持ちが入らなくなってしまっていた。

そんな学校嫌いの自分が今のように海外の大学院で勉強しているのだから、他人の人生だけでなく、自分の人生も何があるかまだまだわからないぞと本当に思う。

ところで、寮の管理をしている会社にかなり問題(実は今日も管理者と話し合った)があるので、1月末で寮を出て、友人の富豪ポーランド人の家に、ルーマニアに帰るまでの一週間程度住まわせてもらうことにした。

ルーマニアに帰る前に2泊ほどアイスランドに行くので、実質は一週間もないけど、現地人と交流できるのはやはり楽しい。

それにビジネス的に成功している人なので、ビジネスを勉強している身としては、リアルなところを知れて、為にもなる。

彼の周りの友人も日本でいうヒルズ族みたいな人ばかりで、こないだも、会社で働くと給料もある程度決まってくるし、割に合わないと、会社を20社以上経営するベラルーシ人は言っていた。

こうした人の多くは、1989年にポーランドが民主化する前から、親が成功していて、その成功の秘訣みたいなのを子供に教えているパターンが多いよう。

その結果、多くの若い起業家は、大学を出ていない。学校で教わる知識よりも、より実際的なビジネスのノウハウを教わっているので。

南北戦争を題材にした、『風と共に去りぬ』のレットバトラーは、国の始まりと崩壊ではどちらも金が儲かるが、どちらかと言えば崩壊の時の方が稼げるチャンスがある的なことを言っていて、彼も実践していたけど、おそらくこれは真理のように思う。

もうロスタイム的な時間しかないけど、最後までワルシャワ生活を充実させたいと思う。

そういえば、先日-6度までなったけど、去年ルーマニアで-20度を体験しているので、全然余裕があった。

ありがとうルーマニア。笑
見えないところで力をくれて。笑

寝る前にスペイン語を少し勉強しながら、今書いています。

心配してたポーランド語は、すでにテストが終わり、何とか単位をもらえた。

あとは来週のスペイン語で語学は終了。それにしても専念できれば違うのかもしれないけど、他の科目に比べて語学は楽しいけれど、負担がかなりある。

今日のおやすみ音楽
こないだ聞きに行った横山 起朗さんのピアノを彼のサイトから。

http://www.tatsuroyokoyama.com

最後の三枚の写真は、先週末に行ったワルシャワ近郊のリゾート施設。一枚目のホテルは、古城をホテルに改造したんだとか。ポーランドはそうした建物がわりと残っているみたい。

結局、行こうとしていたプールが混みすぎてて、泊まらずに車だったこともあり、帰ってしまったけれど。

その夜に海外で初めて記憶を飛ばすほど飲んだ。ビール、ワイン、ウォッカ、スピリタスを6時間以上飲んだ。

自分は途中で寝てしまったけど、、

本当にポーランド人お酒強すぎる。

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