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興福寺(奥州三十三観音第10番札所)

第10番札所である大嶽山興福寺(おおだけさんこうふくじ)は、第9番札所箟峰寺の北に位置する大嶽山頂上にあります。

大嶽山は、標高約41mで、大嶽山一帯は「大嶽山緑地広場」として公園が造成されています。

興福寺にはいくつか参道があります。今回は北側にある「黒門」から参拝しました。黒門前には駐車場が整備されています。

黒門

参道はゆるやかな坂道になっています。参道には参拝者のための杖が用意されていました。

黒門からしばらく進むと、庫裏があります。参拝後はこちらで御朱印をいただきます。

庫裏からさらに坂道を登っていくと、宝永年間に建立された仁王門が見えてきます。

仁王門

仁王門をくぐり、石段を登っていくと観音堂に着きます。

観音堂

興福寺はたびたび災禍に見舞われ、記録が乏しく由緒などは不明な点が多いですが、寺伝によれば、大同2(807)年、坂上田村麻呂の蝦夷征伐の際、首領の軍を大嶽山で討ち滅ぼし、戦死者の遺骸を7か所に分散埋葬して各所に観音堂を建て、その一つがこの大嶽観音であるといわれています。

このとき戦死者を分散埋葬した場所として、大嶽観音(興福寺)、箟岳観音(箟峯寺)、長谷観音(長谷寺)、富山観音(大仰寺)、牧山観音(梅渓寺)、小迫観音(勝大寺)、鱒渕観音(華足寺)を合わせて奥州七観音と称します。

この観音堂は、五間(9m)四面で周囲に朱塗りの欄干のある濡れ縁をめぐらしています。

観音堂で特に目を引くのは堂の外側の板壁に描かれた中国伝来の二十四孝の物語です。

こんな感じで三面に壁画が描かれています。

堂外側板壁に描かれた中国伝来の二十四孝の物語

観音堂前にあるボタンを押すと、壁画の解説が流れます。ボタンを押すと境内に解説の音声が響き渡ります。各壁画の前には解説パネルがあるので、これを見ながら解説を聞きます。

本堂右脇にある階段を降りると、庫裏と六角堂の前に降りることができます。

六角堂

この建物は明治17年に建築された二階建て土蔵造りで、1階は洗出石、2階は漆喰となっており、東側にはベランダが設けられ、屋根が六角形になっていることから、六角堂と呼ばれています。

参拝後、庫裏にて御朱印をいただきます。私が参拝した時は住職さんが留守にされており、書置きの御朱印をいただきました。

住職さんは外出されていることが多いようなので、遠方から参拝の際は事前に連絡をしておいたほうが良いかもしれません。

【ご詠歌】のちのよも けふのみのりに おほたけの うまれぬさきの ちぎりふかしな

【宗派】天台宗

【本尊】十一面観音菩薩

【住所】宮城県登米市南方町本郷大嶽18


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