人生をもう一回

僕の人生とは何なのか。ガクヅケというお笑いコンビの木田。本名は渡 光世。1993年9月19日に奈良県奈良市で産まれた。今年で29歳。26歳の時に、自分の事を25歳だと思っていて、ある時ふと「いや木田今年26歳だよ」と言われて鳥肌が立って、視界が揺れた。そんな僕が29歳になる。これを書いてる今はまだ28歳。自分とは何なのか、人生をもう1回、振り返ってみる。

第六感と運動にまみれた保育園時代

保育園時代を振り返ると、一番覚えているのはお祖父ちゃんの死のタイミングを当てた事である。これはすごかった。いつも通り保育園からの帰り道、お母さんとバスに乗っていて帰路についていたのだが、急に猛烈に(おばあちゃんの家に行かないといけない..!!)と思ったのだ。とにかく何をするでもない、いち早くおばあちゃんの家に行かないといけない、自分でも何故だか理由はわからないでも、行かないとやばい、という思いを当時の僕はきちんと言葉にすることができず、「今からおばあちゃん家いく」というわかりやすいメッセージを全力で泣き叫びながら伝えるという子供にのみ許された方法で伝えると、見事お母さんはブチ切れながら「そんな言うんやったら連れてったるけど、今日は絶対迎えにいかへんからな。おばあちゃんの家泊まりや」と僕を連れて車でおばあちゃんの家に行ってくれた。

玄関を開けると、おばあちゃんと、おばあちゃんと一緒に住んでるお母さんの妹が驚いた顔でこっちを見て「今おじいちゃんが風呂場で死んだ!」と言っていた。僕はその時「死」というものをあまり理解しておらず、慌てているおばあちゃんとお母さんとお母さんの妹という非日常感が楽しく、笑いながら盆踊りのような動きをしていると、その様子を見てさらに動転したお母さんの妹が「光世何踊ってんの!おじいちゃんが死んだんやで!」と言って僕の顔を掴んで風呂場で倒れてるおじいちゃんを見せてきた。見ると、おじいちゃんは普通に湯に浸かっていて、ほんのり笑っているように見えた。母妹は子供にいきなり死体を見せるのはヤバい、とハッとしたのか「やから、あっちいっといてな」と冷静に優しく僕はリビングに座らされた。ドタバタと走り回る音を聞きながら、おじいちゃんは死んでしまったのか、と一人で思っていた。

僕は結局中学、高校をサボりがちになるのだけど、その傾向は保育園時代からあり、とにかく僕は保育園に行きたくなかった。行ったら行ったで楽しいのだけど、行くまでは地獄のように辛く「あんなアホたちと遊ぶのは嫌や」と他を見下した発言をし続け「保育園に行くくらいなら死ぬ!」と最近得た「死」の知識を活かして母を脅したりしていた。母は母で仕事をしていたので、僕に根負けした時はおばあちゃんの家に僕を預けて仕事に行っていた。おばあちゃんの家は僕にとっては天国で、ずっとビデオのドラゴンボールとドラえもんなどを見て過ごしていた。保育園で遊ぶというより、保育園に行く未来が決まっているのが辛く、とにかく家にいたい、俺を放っておいてくれ、と強く感じていたのを覚えている。

群れを嫌った小学生時代

そうして僕は小学生になる。先程書いていなかったが、僕の保育園はおそらくかなり特殊な保育園で、校庭や園内では基本土足を推奨されていた。泥を踏みしめて走って足腰を鍛える、というのがテーマとしてあるらしく、汚れを嫌う子が、最初は靴で遊ぶところから初めて、靴遊びに慣れたら今度は片足だけ裸足、それに慣れたら両足とも裸足になるという文明とは真逆のオリジナルの進化をしていた。喧嘩なども、ある程度はやらせて、本当にやばそうになったら止めるという地下格闘技のレフェリーのような判断基準で止めていた。子供は痛さや限度を自分たちで覚えていく。

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