見出し画像

「空飛ぶサマーベッド、他」

ここだけの話、夏はサマーベッドで寝ている。
ホームセンターで3000円くらいで買ったと思う。
季節になると引っ張り出してもう8年くらい経つから、全体を支えるワイヤー紐はやれてるし、片方にちょっと重さをかければ背もたれがバイーン!と跳ね上がるし。

この夏はとくに布団のマットレスが暑いのなんの。熱帯夜率高し。

サマーベッドはメッシュ素材が背中に涼しく、ぎこちないながらも3段階に角度が調整できる。
寝心地だって「寝台車」と思えばさほど気にならず、うちには2台のサマーベッドがあるが、主にわたしと長男が率先して使っている。

昨晩のことです。
うとうと・・・そんな「まどろみ」のときだった。
頭のほうからものすごい力で引っ張り上げられ、そのままわたしはサマーベッドごとビューンと天井を突き抜け、放り投げられたのだ。
体感的にはまるでジェットコースターで、内蔵が突き上がるあの感じはとてもリアルだった。
「怖っ!」
とっさに目を開けたときのわたしは、きちんとサマーベッドに収まっていた。ただただ全身は恐怖のせいで粟立って、しばらく心臓がバクバクしてた。

なんだったのだろう。夢、なのか?

怖いし奇妙だし不気味なので、サマーベッドを(グースカ寝てる)長男の側に並べて、とりあえず今夜はそこで寝ることにした。

その日は朝からずっと天王星のことばかり考えていたから、もしかしたら星から召喚されたのだろうか。空飛ぶ絨毯よろしく、空飛ぶサマーベッド。
そういえば昔、大宜味村のおじいから聞いた話しで、おじいは空飛ぶ畳に乗せられて、「ロシア上空からタイガの森を見下ろしたよー」と言っていた。
おじいの両サイドはミグ(戦闘機)に乗った空軍がピタッと側を固めてたから、「安心だった」と。
おじいは度胸がある。わたしはのっけから無理だった。
__________________________________

長女がamazonで買った、「魍魎の匣」(京極夏彦著)が先ほど届いた。
「うわあ、ぶっとい。こりゃ鈍器だね」
厚さ5cmはあるだろうか、箱枕にもなりそうなくらい単行本としては異形である。が、わたしはこの分厚さに懐かしさを覚える。

この郷愁の元は、かれこれ25年くらい前、「魍魎の匣」を携えて西安に行ったからである。
成田エクスプレスからチャイナエアラインの機内まで、ひとり没入してページをめくっていたせいか、いざホテルに着いてもなかなか「西安きたーっ!」ってなれずに、ついに「お腹がすいて死ぬ」ってまで読み耽った思い出がある。
当時、まだまだわたしたちは新婚の域の若い夫婦だったけど、わたしが籠城するせいで、潤ちゃんはひとりで知らない街を探索するはめになった。
「勝手な嫁と呆れる夫」
そんな構図がこの旅を含め確立できたことで、のちのちお互いの自由を獲得することができた。大袈裟だけど、そう思う。

長男相手にそんな思い出話しをつらつらとしたら、「で、その小説ってどんな内容なの?」と問われた。
はて?どんなんだったかなぁーって、微塵も覚えてない。
「それだけ夢中になって読んだのに?」
「『面白かった』とだけはしっかり覚えてるんだけど・・・」
読んだ本の内容を片っ端から忘れるのは今に始まったことではなく、がしかし、マドモアゼル愛さんいわく「人間、死ぬ間際は感情で帰結するんです」と。
どんなに財産があろうがなかろうが、ひとりでも大勢に囲まれていても、「ああ、いい人生だった」と、こころが納得すること。
火土風水。この並びで最後に水がくるのは、水は感情をあらわすからだろうか。
読んでしばらくはあれこれ多少はむつかしいことを考えたりもするけれど、あとはきれいさっぱり忘れてしまう。でも、「面白かった」という感情は今も残っている。
それでいい。
__________________________________

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?