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「習いごと」

初夏から、オンラインで手相を習っている。
丸2年の講座で初級から中級の内容を学ぶ。
昔からなぜだか手相に興味があって、酔っ払うとさらにその傾向がつよくなり、coya(以前営んでいた店)のスタッフの女の子が辞めるというときにも、その子の手の平をぐいっと引き寄せて、「新宿に行くかも」とかなんとか、直感で思ったことを酔っ払いの戯言のまま伝えると、後日、その彼女から「きこさん!新宿伊勢丹の支店に配属されました!」と連絡があった。本社はどこだったか、日本の首都圏にいくつかあるらしいその自然派コスメの伊勢丹店に彼女を訪ねると、すっかりきれいなお姉さんになっていて、もともとの整った顔立ちが品のいいメイクでさらに際立っていた。
でも、かといってプロに手相を見てもらったことは一度もなく、ananの手相特集を見ながら自分の手と照らし合わせては、「ほほう」と、にわか知識を詰め込むだけだった。それに誰かに何かを習う、ということは単発ではあるけれど、長きに渡るのは小学校の習字以来かも知れない。16歳から5年通った「セツ・モードセミナー」も、いちおう絵の学校(アトリエ)だけど、先生たちは技術を伝授するというのではなく、絵を描く自由やたのしみを共有する、ということに秀でていた。なりわいの料理も独学なので、わたしにとっては一大決心なのだった。ここで背中を押したのは、今の年齢48歳は惑星でいうと「木星期」にあたる。木星の意味するところは、「種まき、拡大、発展」。ここで重要なのは、「木星期」の次は「土星期」であるということ。社会の中で個人が最終的に到達できる(活動の枠)イメージの「土星期」は56歳から始まるので、そのときのために備えて、木星という最大にラッキーな星のご加護の元、せっせと自分を耕やすというわけ。

手相のよさは、ひとりひとり違うということに尽きる。その違いが手の平、それこそ手や指の形、そして手の出し方でさえ、「その人」が滲み出る。それに手相は変わる。これを実感するとけっこう感動するもんで、初夏に送ったわたしの手の平の画像と今とを講座で比べてみたら、「運命線が延びてる!」とびっくり。意識がそのまま反映される事象を目の当たりして、「手相は自分を顧みるために、皺として見せてくれているんだぁ」とその健気さにキュンとなる。
身体ってすごい。いくら心を閉ざしていても、「わかって欲しい」と言わんばかりに顕れる。

そんなわけで手相を習っているのだけれど、先生がまた最高にチャーミングな、まさに射手座女子。語学が堪能で、哲学好き、勉強好き、冒険好きの陽のエネルギー。ちなみに射手座の守護星は木星なので、木星三昧なのだった。

さて、手相を覚えてどうするのか?というと、いずれはスナックみたいなことが出来たらいいよねーと妄想猛々しい。
こんにゃくのピリ辛炒めとか、油揚げと大根の煮物とか、五目ひじき煮とか、ミジュンの南蛮漬けとかを小皿にちょいちょいって盛って、わたしはというと、人の手の平をつまみに「あらー、水星線出てきてるじゃない!いい感じなのね、一杯おごって」とか、「頑張りすぎで月丘凹んでるわよ。これはスタミナ不足だからレバーの生姜煮食べる?」とかなんとか言っちゃって。

ようやく腰をすえて何を学ぶ落ち着きが備わった、というお年頃なのだった。

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