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「2024/3/26/寺尾紗穂ライブ@パラミツ」

昨年末に開催された、寺尾紗穂「ブルーローズコンサート」のアーカイヴ映像を、BGM代わりに繰り返し見ている。
CDとは違い、曲のあいだに紗穂さんのMCが入るので、ファンとしてはなんとも耳福である。

そんな紗穂さんのしゃべりを聞いていた末っ子が、「このひとってさ、いつも泣きそうだねー」と言った。
そういえば確かに、ぽつりぽつりと途切れ気味の独特の話し方は、聞きようによっては、まるで今にも降り出しそうな雨、のよう。

水をたっぷりと含んだ海綿。ラムをふんだんに浸み込ませたサヴァラン。

わたしは、元気溌剌とか威勢がよいとかテンション上げるとかは、たまにでよくて、この淡々とした暮らしに寺尾紗穂はちょうどよく、しっくりくるのである。


波羅蜜(パラミツ)での寺尾紗穂ライブは今年で通算6年目。
途中、コロナがあったりしながらも、なんとか毎年続けてこれてよかった。

いつもライブのはじまりは、待つお客さんがざわついている空間をぶった斬るように唐突にピアノが鳴る。
「はっ」とするも、愚直なまでに沁み込んでくる音にこころは捕えられ、いちねんの間に溜まった澱を洗い流してくれる。
客席には泣いている人も結構いて、なんならわたしもそうだけど、はじめから泣く気満々なのであった。


歌っていないときの紗穂さんは(打ち上げのときなど)、どちらかというと積極的にしゃべるタイプではなくて、こちらの話に控えめに相槌を打ち、ときにケラケラと高らかに笑ったりするのだけど、その「控えめな相槌」と「高らかなケラケラ」のコントラストが、じつに紗穂さんだなぁーと感じるところ。


去年、紗穂さんが、「オファーがあれば誰にでも曲を作ります」という、個人への楽曲提供の話しをしてくれた。

そのとき曲をオーダーをした男性は、ずいぶん前に別れた奥さんがどうしても忘れられずに、そればかりか想いは募る一方で、「今の自分の正直な気持ちを曲にして欲しい。そして、勇気を出して元奥さんをライブに誘ったら、そのときにはその曲を演奏して下さい」
ということだった。

紗穂さんはその人からひと通り身の上話を聞いて、やがて曲は完成した(のだろうか)。その続きはまだ聞いてないのでどうなったのかわからないけれど、紗穂さんのそういうところがすごいと思うのです。
勿体ぶらないというか、よい意味でとても軽い。
「音楽だけは苦労せずにどんどん作れるんです」
天から与えられた才能は、ワンオペで娘3人を養育する母の肝力もあって、岩のようにどっしりしている。


音楽家の顔もあれば、エッセイやルポタージュといった文筆家でもある紗穂さんの最近の本は、「日本人が移民だったころ」である。
戦前戦後に南洋や南米に渡った日本人たちの軌跡をたどった本。
読んでいるうちに、たちまち当人の語るたったひとつの物語に引き込まれ、「これはわたしだったのかもしれない」と重ねては、気が遠くなる。

紗穂さんのライフワークとして、「ちいさな声に耳を傾けること」は、おおきな意味を持つのだと思う。
たとえば、苔むした(とうの昔に忘れられた)石碑の一文からうまれた曲(やくらい行き)や、日雇い労働者のおじさんやコミュ障の気が弱い男性(君は私の友だち)や戦争で気が触れてしまった母とある愛のかたち河童売られるロバ行方不明の猫など、1曲1曲がフワッと凄みある物語を紡ぐ。

1月、那覇のライブハウスで紗穂さんの弾き語りがあった。
波羅蜜以外で聞く紗穂さんは久しぶり(高円寺でのマヒトゥとのツーマン以来だろうか)。
いっしょに行った潤ちゃんに至っては、ほぼほぼ初の他所で聞くライブ。
帰りの車で「俺、ようやくちゃんと聞いたような気がする。すごくよかった」と言っていた。
いつもわたしばかりが「いい、いい」と盛り上がっているから、その合致は正直すごく嬉しかった。

来たる3月26日は、「いい、いい」の集会である。












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