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作り込むことへの心地悪さの正体

正直テレビがあまり好きではない。

偏見かもしれないが、予定調和のオンパレードのように感じてしまうことが多いからだ。わりと昔からそれが不思議なくらい心地悪いと感じていたのだが、最近それが顕著なのだ。

これについて少し考えてみたくなった。


昨年の年末に家族と紅白歌合戦を見ていて、そのアーティストが実際に歌っているのかどうか気になって楽しみきれなかったことがあった。


それはなぜだろうと漠然と思っていた。

同意を求めたくてその話を家族や友人にしてみたが、不思議がられるだけであった。


最近ふと、その現象と現在の私の人生状況がリンクしているように感じた。


私はこれまで努力家、頑張りやの看板を掲げて、自分をよく見せようと必死に繕ってきたところがある。

目標を設定して、小さなゴールを決めて、左脳的に計算高く生きていた。でも、それがいつの日か嫌になった。

そういうなんだか機械的な生き方に違和感が出てきた。自分の大事な“今”を物のように扱うのはもったいないように感じたのだ。


自分自身の細胞も、感覚も、心も、いまこの瞬間も変化し続けていると思う。

そういう意味で、私はそのなまものである今この瞬間を味わいたい。

人生のできるかぎり多くの時間を、自分を守ることじゃなく、味わうことに使いたい。


もちろんリスクある程度のリスク管理はするが、やりすぎず、いい塩梅でやりたい。


そういう思いが、テレビのような作り込まれた予定調和を嫌う私の心の正体なのだと腑に落ちた。


私はちょうど今、リスク管理のための逆算人生から脱皮しようとしている。だからこそ余計に今の私にとっては違和感だったのかもしれない。


周りに迷惑かけないように色々を管理するより、多少は迷惑かけあって今を感じて生きたい。


できれば画面の向こうからも、その場の今の空気感を感じたい。私はそういう生きた何かを今日も求めているのだと思った。




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