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Nowplaying“Happy Ending”

自分が天に召されることがあるとして“残念だなぁ”と思うことは何があるのだろうか・・・と考えることがある。というか、この問いは学生の頃からずっと自分の中に存在している。振り返ってみると“残念だなぁ”と思うことが生きる原動力というか引力だったのではないかと思っている。

例えば、

自分が死んだらクラスのあの娘がどんな職業に就くのか見ることができないから残念

自分が死んだら阪神タイガースの優勝を見ることがなくて残念

自分が死んだらそれより後のCHAGE and ASKAの新曲を知ることができないから残念

まぁこんな感じ。

結局生きていてもクラスのあの娘の就職の行方などは散り散りバラバラになってわからないし、というか関心すら失っているし、阪神タイガースも優勝はなんとか2回(2003年と2005年)見てよかったけどじゃあ3回目はいつなのかだし、それに3回目を見たいという理由にこだわるのもどうかなぁと思っているし、3回目を見たら4回目ってなるからそれって結局死ねないってことになるね〜。そしてそしてCHAGE and ASKAの新曲も結局2007年を最後に聴くことができなくなって挙句に解散だからもう十分なのかもね。

と生き続けていても自分の心境や関心は変わるし、そしてその対象(阪神タイガースだったりCHAGE and ASKAだったり)も生き物だから事情や都合で永遠に同じことなんて続けられない。

それに到達するための40年だったのかなとも思う。


そして僕らは

振り返れば大滝詠一先生が亡くなって7年が過ぎた。この3月21日に日本の音楽史に燦然と輝く名盤『A LONG VACATION』の40周年記念盤がリリースされる。亡くなってなお大瀧先生の音楽は多くの人の心を捉えて離さない。

そう、大瀧先生はこの状態をどう思っているのだろうと思うのだ。自分の死後の世界・・・決して見ることができない世界で自分の音楽が聞き続けられてさらには新しい作品が出ちゃうって状況。

今もこの駄文を書きながら聞いているのが『Happy Ending』というアルバム。2020年3月21日にリリースされた“オリジナルアルバム”。亡くなってからリリースされる“オリジナルアルバム”って響きが気に入って個人的には好きだがこれって相当違和感のあることだろう。本人はどう思っているのだろうか。

いずれにしても自分がこの世をさった後も語り継がれるということはすごいなぁと思う。でもそれが自分ではわからないということは寂しいなぁとも同時に思う(それって本当?)。

などということを『pen』の大滝詠一特集“大滝詠一に恋をして”を読みながら思った。


最近、人生の終わるということと終わった後のことを考えることが多い。それはそれを自分の仕事にしようとしているからではあるが。

大滝詠一のことも考えているが吉田拓郎さんのことも考えがちの今日この頃。


そしてこの年齢になってもなお思う自分がいなくなって残念に思うことは

ASKAさんの新曲を聴けなくなること

だなぁ。だからまだ生きていないとね。

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