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いい親ってなんだろう

子どものことを真剣に考えている親、児童や生徒に対して親身になっている教師、社員や会社にとってなくてはならない社長。そんな人達がいる。

いい親、いい教師、いい社長と呼ばれる。

それを見た他の親、教師、社長達は、自分もそんなふうになろうと思って、いい親、いい教師、いい社長はこういう時にはこう考えてこう行動するものだと、その人達の考えや行動を一般化して、それを自分に当てはめようとする。

こうすればいい親になれる、こうすればいい教師になれる、こうすればいい社長になれると、誰もが使えるガイドラインを作って、それを信じて、まねをする。

でも、いくらいい親、いい教師、いい社長と呼ばれる人達がやっている通りにしても、誰もがうまくいくわけではない。

そりゃそうだろう。「親」も、「教師」も、「社長」も、相対的なポジションなのだから。そこに子どもがいるから親になるのだし、児童や生徒がいるから教師になるのだし、社員や会社があるから社長になるのだ。

そしてあくまでも、一人ひとりの親や教師や社長に対して、その親のその子ども、その教師のその児童生徒、その社長のその社員や会社があるのだ。

まちがっても、いい親やいい教師やいい社長と呼ばれる人達が、一般的に単独で独立しているのではない。

いい親と呼ばれている人は、自分の子どものことをまず考えて行動しているからいい親なのだ。自分の子どもにとってなにがいいのか、親として自分の子どもにどう接すればいいのかを考えて行動している。少なくとも、一般的ないい親とは何なのか、というイメージをまず作って、それに自分を当てはめることはしていないだろう。

もちろん、それぞれの親が、「いい親」と言われている人から学ぶことも、たくさんあるだろうし、「いい親」をイメージすることから得られることもあるかもしれない。

でも最後は、「自分の子どもの親」として、「自分の子どものこと」を考えて行動すべきだろう。

少しきついいい方をすれば、「一般的ないい親」のイメージに合わせようとしている親は、結局自分のことを一番に考えているのだ。「私」が「一般的ないい親」になるにはどうすればいいのか、という問いが先にある。

そこには「一般的ないい親」と「私」との関係があるだけで、「自分の子ども」はどんな人なのか、「自分の子ども」と「私」との関係はどんなものなのか、という視点が欠けている。

そうではなくて、いい親であるためには、あくまでも自分の子どもとの、特別で唯一の独特な他にはない関係が先にあるのだ。

一般的ないい親、一般的ないい教師、一般的ないい社長から学ぶことも大切だろう。でも、やはり最後は、自分の子どもの親であり、自分の児童生徒の教師であり、自分の社員や会社の社長であることを忘れてはいけないと思う。


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