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救いの無い状況からのサルベージ〜その2〜

前回までは認知症になった両親の部屋の片付けと重要物の探索を行う過程の一部を書きました。

今回は2ヶ月後に戻って作業した記録を書いていくことにします。


郵送物などの書類を整理していくと、保険や銀行などの現況届が多数混ざっていたので提出していない状況が伺えた。
母宛のものが殆どであった。
一つ一つ郵送物の内容を精査し、重複しないようにエクセル表をまとめていく。
現況届が届いている保険会社に電話をして現在の状況を確認していく。
生きている保険があり、それらの受取期限が過ぎていたので手続きが必要だと言う。
僕も兄も関東に住んでいるので、実家の北海道にはそれほど帰ることは出来ない。

何をするかタイムスケジュールを組んでその通りに動いていく。
記帳を行い、入出金の状況を確認した。
大きな金額の移動は無いため、名寄せをして2つの通帳にお金を集約した。引き出しても置いておく場所が無い、捨てられてしまう可能性が高いから。

母のキャッシュカードがまだ見つからない。
前回探索した場所を含め全て0から探していく。
気がついたことは書類等の移動が行われていることだった。
誰が移動させているのだろう?
この時はまだデイケアの人は入っていない時期。


そして、不思議なことに一度探した場所を翌日に探すと移動した形跡がある。
二人に訊いても知らないと言う。
昼、夜となく起きている両親、30分〜1時間ほど寝ては起きての繰り返し。
どうやら母が重要書類関係を移動させていることがわかった。

二階で寝ていた僕は夜中に物音がしたので母が書類を片付けているのを見ることになった。
それが重要であることはどうやら分かっているらしい。
折角探し出した書類を何処かに仕舞い込まれると困るので、いじらなくていいと言って一階に戻す。

次の日に年金手帳が見つかった。

発見した場所はバスマットの下だった、印鑑の時に比べるとトリッキーな事はしなくなってきている。
考えるのが面倒になっているのだろう、これらの隠し場所は全て父親考え行った模様。

翌日の朝に二重底の引き出しを作って重要書類をその中に入れた。
日常的な移動がある以上、毎日同じ場所を探索する必要性が出てきたので根気よく続けることにした。
3日目の朝に何度も探索した貴重品を入れの引き出しから母のキャッシュカードが見つかった。

信金のものではなくゆうちょ銀行のキャッシュカードだった。
母が移動させたのであろう事は分かった。
直ぐに確保し、隠し場所の引き出しに入れた。
あとは暗証番号か・・・

暗証番号がわからない。

探索を続けるうちに父親がCADソフトで作成した一覧表が出てきた。
どうやら暗証番号のヒント表であることがわかった。
父親のは僕が持っていた暗証番号に間違いないだろうと思われた、その表に書かれたヒントは答えと合致していた。
母親の欄には”掛け算”とだけ書かれている。

探索を続けているうちに年金手帳を仕舞うケースを発見した。
このケースの中には印鑑証明カードが含まれていた。
そこに4桁の番号が記載されている、これなのかなと思ったので近くの郵便局で残高照会をしてみた。

2817という番号。

祈るような気持ちでキャッシュカードをATMに挿入して暗証番号を入力した。
2回入力して失敗、その日は諦めることにした。

父のキャッシュカードが出て来ない理由が分かった。
自分でお金を下ろしに行ってATMに吸い込まれたパターンだとわかった。
銀行に奴が来てキャッシュカードを盗んだと幻覚の男がやったんだと言ってたからだ。

家に戻り探索を続けた。

何を目的に使っているか分からない棚の中を初めて探索した。
化粧用のポーチが出てきたので、その中をくまなく調べた。
使い捨てマスクがいたるところから出てくる、うんざりする。
何度この光景を見たことか・・・

期待しないでポーチの中を仕分けていった時に母が昔使っていたアドレス帳が出てきた。
ページをめくり書かれている内容を見ていく。
最後のページに奇妙なアルファベット1文字と数字の組み合わせが出てきた。
アルファベットはh, t, s, jの4つで識別されている。

思い出した、子供の頃に僕らの下着にはアルファベットがマジックで書かれていたことを・・・
jはじゅんの意味ね、hは父親、sは兄、tは過去に一度も見たこと無かったが消去法で母であると理解した。
智恵子のt cではないあたりが昔の人なのだろう。
そこに2816と書いてあった。

あぁ、これなんだ、ニハチジュウロク。
掛け算のヒントに合致している、母は昭和16年生まれ。
翌日、郵便局に行きATMで残高照会を行った。
頼む、頼む、頼む、頼むと心で祈って入力した。
素直に通ってくれた、あの瞬間は一生忘れないだろう。

安堵で車の中でしばらく呆然としていた。

いつまで続くかわからない父母の生活費を兄弟で負担し続けるのは無理があったのと、そろそろ現金書留も受取が難しくなってきていたので、実家に戻った際に隠し場所を決めて必要時にその場所からお金を出してもらうことにしていた。
現金書留を送っても寝ているケースがあって、何度も再配達をお願いするのは現実的ではない。
なので、数ヶ月に一度は帰らないといけない状態だった。


車の中で回収した預金通帳類の中を眺めていた。
その頃には父親の信金とゆうちょ銀行の預金通帳も見つかっていたので中身を確認していた。
父親の年金は信金、インフラ関係は全てゆうちょ銀行から引落しになっていた。
4月の北海道はまだ寒い、ストーブ等は焚く必要がある。

ついでなので、父親のゆうちょ銀行で記帳を行った。
最近1ヶ月ほど前の電気代が引落し出来ていないことが分かった。
まだ止められていない、大丈夫だと心を落ち着かせるも我ながらよく発見できたなと思った。
それまでも通帳や印鑑など全ての発見物は僕が見つけ出した。
兄は人の気持ちが全くわからない人だから殆ど見つけられない、彼が見つけたのは運転免許証だけ。

母のキャッシュカードには1,2年は贅沢しなければ生きていけるだけのお金が入っていたので、そこから父親のゆうちょ銀行の口座に振込みした。
iPhoneの計算機を使って額を算出して一年分に相当する額を入れておくことにした。

これでとりあえずは安心だなと思った。
残りは灯油か・・・灯油はモダ石油という会社のクレジットカードから支払われているが、父親のゆうちょ銀行の口座から引落しが設定されていた。
電気代が滞っているなら可能性はあるなと思っていた。

こういう時は重なるように神様は計らってくださるのか、その日の夕方に父親が取った電話で異変が起きていた。
何やら揉めている様子。
切った後に直ぐに電話が来たので今度は僕が取った。

カード会社からだった、モダ石油のカードはJACCSカード系で、そこのカスタマーサポートからの電話だった。
本人に代わってくれと言われたが、事情を説明して用件は何かを教えて欲しいと伝えた。
支払いが滞っているとのこと。

暫くやり取りが続いたが、相手の要求する内容は全て無理だったので社内で検討して欲しいと伝えた。
最終的に振込先を教えてもらい、僕が指定口座に振り込んだ。
これで暫くは生きていけるだろうと思った。
その日は疲れ果てたので早めに寝た。



翌日、母親を連れて信金に行き、信金の口座にあるお金をゆうちょ銀行の母親の口座に入れた。

これで今回のミッションは終了と思えた。
午後にはケアマネージャーを呼んで介護認定を受けるための説明を受けた。その中でケアマネージャーから車についての指摘を受けた。
廃車してください、直ちにと・・・

車検証は今日現在でも紛失したまま・・・以前に見つかった際に重要書類をまとめたケースから抜き取られてから行方がわからない。
廃車は無理ですと答えた。
いや、でも、廃車しないと車運転している姿が近所で目撃されていますと言われた。

車検に出していると嘘をつく父親、業者名は何処なのか?の質問に知り合いのところだと適当にあしらおうとする。
88歳で車を運転する父、何も言わない兄、結果を出せず嘆く姿は見飽きた。
考え抜いてイエローハットに行き、ハンドルロックを購入した。
鍵を二階の天袋に隠しておいた。

次の日の朝に車庫に置いてあるゴミ袋を回収するために覗いたところ、車のキーを使った形跡がある。
鍵は掛けずにいたから直ぐに分かった、ロックされている・・・まだ乗る気なんだと。

危ねーなー💦 ハンドルロックを思いついたので助かったけど、全てを疑う難しさも知った。
想像力を働かせ対処していく難しさ。
サルベージについては粗方の事は対処した。


介護認定などの定番の手続き、母のホーム入所、父のホーム入所、父の年末の死去については別の記録として書こうと思います。

介護士が最も手こずるのは警察と教師だそう。

亡くなった父は教師、しかも、介護士曰く過去イチ手強いかもしれないと言われ奮闘した日々を記述します。

損得脳でしか考えられない兄、責任も取らない、約束もしない。

母を救いたい

■まとめ

兄が放置したことで状況は絶望的にまでに落ち、リカバリーにはかなりの困難が伴いました。
自分の終活は既に始めました。
皆さんの親には片付けだけでもやってくれ、手伝うからと伝えるのが何よりも大切です。
自分がこんなに酷い状況に追い込まれるとは思ってもみなかったからです。まだ物理的にスゴイ量のモノと家具、服、山のような母のコレクションが残ってます。

ここからは業者に相談することになるでしょう、もぅ無理、吐き気がする。

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