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私とへし切長谷部という刀について本気出して考えてみた。

※一部刀剣乱舞の舞台、ミュージカル、ゲームの内容のネタバレが含まれます。

自問自答の練習に、と思ったけど、めちゃくちゃ長くなったし感情がだだ漏れているうえ、所々夢女の私が顔を出して気持ち悪いことになっている(夢女と言うとちょっと違う気がするのだが、私は自分の職業を『審神者』と思っているところがあり、恋愛感情抜いても男士たちと普通に脳内で会話するので便宜上夢女としておく)
その上、細かく補足してないのでジャンルを知らないとなんの話をしているか分からないと思う不親切仕様になった。
感情整理用のメモなのでご了承ください。

自問自答ガールズの方にとても興味深いお話を聞かせていただいて、なんで私は今更彼のことが好きになったんだろう、なんで苦手だったんだろうとちょっと真剣に考えてみた。

最初に。
これを書いたらもう手遅れだろうなと思っている。
未だに「好きというのはなんだか悔しい」という発作のような感情に定期的に襲われている。
でも、これから書こうとしていることを形にしたら、もう手遅れだ。自覚してしまうだろうな、という確信がある。

私は刀剣乱舞リリース3日目に就任した審神者なので、長谷部との付き合いは8年前からだ。
始めて、割と早々に鍛刀で来てくれたことを覚えている。当時の打刀の中ではちょっと入手しづらい部類だったので、来てくれた時はうれしかった。
でも重用することなく、なんか苦手だなあと思っていたのは、多分、彼の二面性に戸惑ったからだと思う。

へし切長谷部という刀は、近侍に据えればやわらかく、穏やかな、甘いと言っても過言ではない声音で過去の主への複雑な感情や「あなたの一番になりたいです」という心がにじむ言葉を口にする。
かと思えば、戦場では苛烈で容赦がなく、怖い、と感じられるほど荒々しい。
審神者に就任したての私は、そのギャップに戸惑い、こいつ何考えてるのかわからないな、と感じた。
こちらに向ける甘い声にも含みがあるんじゃないか、本心ではそんなこと思ってないんじゃないか、どうしてもそう思ってしまって苦手だったんだと思う。
そう、『なんか怖い』のであるこの男。

刀剣乱舞はいろんなメディアミックス作品があり、長谷部もそのキャラクター故か織田信長という戦国ビッグネームを元の主に持つが故か、登場する作品が多い。
刀剣乱舞は作品の性質上、同じキャラクターであっても登場する作品や媒体が違えば「別個体」とされるのだが(多少語弊のある言い方になるが、同じ型のロボットがたくさんいる、みたいなものだと思ってもらえればいい)性格に多少の差異はあれど、この長谷部という男、大体どの媒体の作品でも怒っている。喜怒哀楽で言えば怒八割残りすべてが二割という感じで、大体ブチ切れているし、ブチ切れた結果他の男士の地雷を踏んで顔面をグーパンされたりしている。「たまに折りたくなる」と仲間に面と向かって言われるような刀を私は他に知らない。気性難にもほどがあるだろ。
そのくせ対審神者だと前述の柔らか甘やかしボイスで話しかけてくるのだから私は「胡散臭い」「なんだこいつは」となってしまったのだ。
その特別扱いが嬉しい、気難しい子が自分だけに懐くのが可愛い、という人も多かったと思うし、それ故に長谷部は人気のあるキャラクターなのもわかっていたが、私はその「魅力」とされるポイントが「なんか怖」かったのだ。
「たまたま出会った今代の主人」というだけで無条件に慕ってくる感覚が理解できなかったんだと思う。内心でどう思っているんだろう。その苛烈さがこちらに向くことはないんだろうか。盲目的に慕ってくれる理由がわからない。
前述の通り審神者以外にはとりあえず唸って威嚇するところがあるので、その「いつも怒ってる」という印象がネガティブなイメージになっていたのも苦手な理由だった気がする。
あとまあ、これは長谷部自身には全く関係ないので本刃には申し訳ないのだけど、長谷部好きな人は割と過激派というか、どっぷり愛して同担拒否、みたいな方も散見されたので(もちろんそうじゃない人もたくさんいると思うけれど、どうしてもそういう『強い』人は目立つ)そのせいもあって「なんか怖い界隈」という印象がついてしまっていた。
総合すると「長谷部かあ……人気があるのはわかるんだけどなんか怖いんだよね、本人も界隈も」という感じだった。

八年の間つかず離れず、修行には出して極めてきてもらったりしつつ、という関係でここまできたのだが、少し変化が起きたのは昨年のことだった。
新しいメディアミックスのひとつである刀剣乱舞無双(ゲーム)が発売され、長谷部は今回も登場キャラクターとして選抜された。
この刀剣乱舞無双がとてもよくできたストーリーだったのだ。
このゲームの中の長谷部は「主人」を失っている。
長谷部は先の通り「主」という存在を自分の核に置いていると思わしきところがあるのだが、この世界に彼の「主」はいない。詳しく語られることはないが、敵の襲撃を受けて行方不明になっているらしい。
多分、このストーリーの長谷部は私が知っているどの長谷部よりもぶっちぎりで怒り続けている。
ゲームオリジナルキャラクターが一人いるのだが、彼が本丸に合流して長谷部の部隊に入った時は、それはもうすごかった。何か言うたびにすごい勢いで噛み付く。怒り、拒絶し、眉をつりあげる様は、不審者に吠え掛かる番犬のようだった。
(実際、オリジナルキャラクターの彼も人付き合いが上手いタイプではなく、長谷部の地雷をことごとく踏み抜いたのも原因だとは思うが)
登場シーンの九割怒っていると言っても過言ではない状態だったのだが、私は不思議と嫌な気分はしなかった。長谷部が怖いとも思わなかった。
長谷部が怒り、噛みつき続けるのは、本丸を守るためであり、主を守れなかった自分への苛立ちのせいだとわかったからだ。
彼は心底「主」を慕い、焦がれ、行方不明の審神者を待ち続けていた。私が勝手に感じていた「含み」なんてものはなく、本当に、一心に「主」という存在をまっすぐに思っているのだ。
「主」という存在を失った状態の彼を見て、私はようやくその痛々しいほどの健気さに気づいた。
同時に、長谷部は直情的ですぐに頭に血が上るが、一度相手を懐に入れるとその苛烈な性質と同じくらい情が深いのだ、ということもわかった。
最初衝突していた新参者と歩み寄った後は、不器用に、そんなんじゃ伝わらないよ、とこちらが苦笑してしまいそうなほどおぼつかない様子で、けれど誰よりも相手のことを案じていた。
オリジナルキャラクターがストーリー上で一時行方不明になるくだりがあるのだが、居場所がわかったと聞けば仲間の誰よりも早く反応し、彼にそっくりな人物が敵を引き連れて現れる場面では、動揺する仲間たちの中、一目見ただけで「あれはあいつではない」と断言する。
思わず笑ってしまうほどめちゃくちゃ懐に入れている。最初の噛みつき方はなんだったのか。

もちろん、この長谷部には彼の「主」との物語がバックグラウンドにあるので、イコールすべての長谷部がこういう性格か、と言えば多分そうではない。
けれど「全にして個」である刀剣男士は、どの個体も根本的な性質は変わらないと私は思っている。どんな長谷部も、この真面目さ、生き下手さ、情の深さを持っている。
「裏で何考えているんだろう」という感覚も、私が勝手に勘ぐっただけで、そも彼は嘘をつけるような刀ではなかった。嘘をつけるだけの器用さがあるなら、もっとうまいこと周りとぶつからないように立ち回るはずだ。少なくとも同輩にグーパンされるようなことにはならない。
長谷部は人間関係にしろ、何にしろ『手を抜く』ということができない。全力で噛みつき、全力で愛する。不器用で、一生懸命なのだ。
他者を懐に入れるにしても、諦めや割り切りで適度な距離を保てば傷つかないだろうに、彼は毎回全力で近づき、愛し、別れの度に傷つき、その喪失に上手く折り合いをつけることもできず「大切すぎるから忘れる」などと言う。数多の傷を引きずって増やしながら、時に同じ間違いを繰り返しながら、必要とされないことに怯え、再び『捨てられる』(事実がそうでなくても、彼は「織田信長に見放された」と思っていたのだろうと思う)ことに怯え、それを適当に放ることも上手く隠すこと表現することもできずにいる。
ちゃんと仲間を思う心があるのに、他者に噛みつくのは怖いからだ。自分の居場所を守ろうと必死なのだ。
不器用すぎんか。神様でしょう、君。何百年この世にあるの。そんなのまるで人間みたいじゃないか。

なんか思ってるほど怖いやつでも、わからないやつでもなさそうだぞ、と気づいて少しずつ抵抗感がなくなってきたころ、新作ミュージカルのキャストが発表された。長谷部がいた。
何度も言うようだが、刀剣乱舞というジャンルは、同じキャラクターだからと言ってどの媒体でも同じ性格をしているとは限らない。全く違う環境で育っているからだ。
だから私は「長谷部のことは苦手じゃなくなったけど、ミュージカルの長谷部のことを好きになれるかは、見てみないとわからないな」と思っていた。
幸い現地で見る機会に恵まれ、彼が舞台の上に現れて一番最初に発した歌声を聞いた瞬間に「あ、私はこのひとのことを好きになる」と思った。
びっくりするくらい、声が優しかったのだ。
それは長谷部ではなく演じた役者の特性だ、と言われればそれまでかもしれないが、私は刀剣乱舞の舞台作品に関しては「役者の特性も含めてキャラクターの個性・個体差である」と考えている。
(役者の特性を生かした脚本や演技が、キャラクターの個性として定着していく様子が個人的にとても好きなのだけど、これは余談)
ミュージカルで描かれた長谷部は、今まで私が見たことのあるどの長谷部よりも穏やかで、やわらかく、素直だった。
たっぷりの愛情と信頼を受けてすくすく健やかに育っている。それが明言されなくてもわかる。
どんな育て方したらあの気難しい刀がこんな朗らかに育つんですか??? ミュ本丸審神者はトップブリーダーなの?????
今作の物語の中で、長谷部が激昂する場面はほとんどない。いや、ところどころ怒ってはいるのだが、基本的に怒り方がなんというか「かわいい」のだ。ぷんすこ、という擬音が見える。本気で怒っている顔や声ではない。
彼は、主はもちろん同部隊の仲間たちと穏やかに言葉を、笑顔を交わし、その様子からは言外にも仲間たちのことを思いやっていることが伝わってくる。
『頑固で力強く、どこまでも真っ直ぐ』と作中で評されるその姿が私はとても好きだ。
けれど『ミュージカルの長谷部が特異』だとは思わない。私が好きになるだろうと予感したのは、そしてその通りになったのは、去年一端を掴んだ長谷部の本質がそこに重なったからだ。
確かに『ほとんど怒らない、怒鳴らない』という長谷部はまあ、うん、他にはあんまりいないかな……というのは事実として否めないのだが、キャラクターが変わっている、本質が違っている、とは思わない。
多分この本丸の審神者は物凄く長谷部のストレスコントロールが上手い。コンディションが絶好調で彼の美徳、善性、長所を最大限に表に出したらこうなる、そういう姿だと思った。ちょっとばかり、ほかの本丸の長谷部よりも気性が素直なだけなのだ。
そして、そんな彼も作中のソロで、私が一声で好きだと思った歌声で『この目は、耳は、体はすべてあなた(主)のため、あなたに仇なすものを打ち払うため』と歌う。そこには私が最初感じていた『なにか裏があるのでは』と感じさせるような含みは何も無く、本当に真っ直ぐに、そんなに全力で預けてしまって大丈夫か? と少し心配になるほどに、己の今代の主人への忠誠と崇敬の心を歌う。
作中の曲の中で、私はこの歌が一番好きだ。

多分、私も8年の間に変わったし、長谷部の描かれ方自体も時を経て環境が変わり、媒体が増え、少しずつ情報が足されたり、描かれなかった側面を見る機会が増えたりしている。
そのせいもあると思うが、お互いの本質が変わっていないとしたら、苦手だと思ったのは勝手に私が勘ぐったからで、私は私の心を長谷部に投影して否定していたのだ。
『私はこんな心を寄せてもらえるほど大した人間では無い』
『なんの見返りもなくこんな言葉を貰えるはずがない』
『私にはそんな価値は無い。だからきっとなにか裏がある』
そんな心が根底にあった気がする。
今もちょっとある気がする。
でも、まっすぐな、ただ私が私であるというだけで寄せてもらえる好意を素直に受け取ってもいいのかもしれない、と少し思う。
へし切長谷部という刀は多分、私が私であるというだけで、地獄の果までついてきてくれるような、そういうやつなのだ。やっぱりちょっと怖い。というか重い。でも、悔しいけれど、今更だけど、この危なっかしい刀のことが私はもう苦手ではないし、好きだと言えるようになったと思う。
待たせてごめん。待っててくれてありがとう。

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