人は誰だってイヤなものはイヤ

昨日のこと。
散歩がてらぶんちゃんのおやつを買うつもりで、車で駅前に行きました。
ぶんちゃんはタピオカティとクレープが大好き。
駐車場から歩いて駅の向こうのタピオカ屋さんまで行き、タピオカティとクレープを買って公園へ。
座っておやつの時間にして、歩いて駐車場まで……という、一昨年くらいまでは頻繁に散歩したルートです。
この1年、とにかく歩くことをぶんちゃんがイヤがり、そのせいで移動支援の方とトラブルがあったり、バスストップのポイントを変えていただいたりもしていたため、『今はそういう時期! イヤなことはまた大丈夫になるまで無理強いしない!』と散歩自体を休止していたのです。
なので昨日は、『グズったり座り込んだりしても怒らない。本人の気が向くまで待つ』と夫婦で事前確認をしてから、久しぶりの散歩に挑んだのですが。

車を降りて10歩くらい歩いたところで、渾身のブーブー唾吐きが始まり(とにかくイヤですぜったいイヤですの意思表示)、これじゃ人混みに出せない……となり、散歩を中止して帰宅しました。

とにかく身体を動かすことが嫌いな子になってしまった、大好きなタピオカを買いに行くってわかってても歩けない子になってしまった……と夫婦でしょんぼりしたのですが、互いの意見を交換するうち、気付きがありました。

自閉傾向の強い子の特性として、先の見通しが立たないと不安になってしまうというのがあります。
今日はこれから学校にいって、授業を受けたら給食を食べて、終わったら放デイさんで、そのあとおうちに帰ってきます、とかを伝えてあげると安心するやつです。
昨日のぶんちゃんはあまりに散歩が久しぶりすぎて、『駐車場から歩いて駅の向こうのタピオカ屋さんまで行き、タピオカティとクレープを買って公園へ……』という流れを忘れちゃってたのではないか。
もちろん、それを移動中に説明はしていましたが、確かに忘れちゃってたとしたらわかるわけないのです。
説明すれば見通しが立つという、それは親の思い込みでした。

それと、さらにもうひとつの気付き。

ここ1年、ある場所に行くための徒歩を異様にイヤがり、前述の通り移動支援の方とトラブルがあったりしていました。
何年も何年も、同じ曜日、同じ時間に通った場所です。
ぶんちゃんにとって、見通しが立ってなかったはずありません。
それでも毎度、移動中に大騒ぎになるので、ぶんちゃんは歩いたり身体を動かしたりすることが嫌いになっちゃったんだという結論を出していたのです。
でも、気付いてしまいました。

見通しが立っていようといなかろうと、イヤなことはイヤなのです。
誰だって。

『今から歯医者さんに言って、先生の前でおくちを開けて、器具を使ってむしばいきんをやっつけてもらいます』
『今から婦人科に行って、台の上で足を開いて、まんこの中に器具を入れられ子宮がんの検査をしてもらいます』
そんなのいくら説明を受けて見通しが立ったって、健常・定型の子どもだって、それこそ大人だってイヤでしょう。

ぶんちゃんはまる6年通ったその場所が、キライだから歩きたくなかったのではないか?
行ったら楽しいよ、おやつが出るよ、みんなが遊んでくれるよ。
いくら親がそう言い聞かせようと、おそらくぶんちゃんはあの場所がキライだったのです。
(言い訳?というのではないですが、ぶんちゃんがキライだったのはその場所の環境という一点に尽きると考えています。
スタッフの方々はぶんちゃんをとても可愛がってくださいましたし、適切な療育を常に模索しつづけてくださっていたのを知っています)

自閉傾向の強い子の特性として、先の見通しが立たないと不安になってしまうというのがあるのと、もうひとつ。

自閉も定型も年齢も性別も関係なく、人は誰だってイヤなものはイヤ。

子が困り感を出していると、つい障害由来前提で対応しようとしてしまいがちなのですが、その困り感、ちょっと俯瞰して見てみたら、また違う対応の仕方、寄り添い方が見えてくるかも? ということに気付いた、という話でした。


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