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自分の軸を大切に 宮教大音楽科の学生たちと萩音会音楽祭

 仙台にある教員養成大学・宮城教育大学の音楽科。現在は初等音楽コース、中等音楽専攻という呼び方になっていますが、簡単に言うと小学校や中学校、高校の先生になるであろう学生たちが音楽を学ぶ場です。音楽科には、各学年約20名ほどの学生と数名の大学院生がいます。ここでは、毎年度末に音楽科が催している「萩音会音楽祭」という行事についてメモをしてみようと思います。

 「萩音会(しゅうおんかい)」は、音楽科の学生、卒業生と教員を結ぶ緩やかな同窓会組織で、「音楽祭」は、毎年2月に大学講堂で行う授業発表や個人、グループが自由に参加する演奏、作品の発表、3月には学外のホールを会場に行なわれる「卒業研究発表会」からなっています。通常はそれぞれ2日間という長丁場で、2021年は、2月12~13日、3月6~7日に開催されました。

 2月は、独奏、アンサンブル、和楽器や合唱、合奏、作品発表など多彩なプログラムが並びます。自由に参加といっても、途中の成果を聴きあう「中間発表」もあり、自ら音楽的な力をつけるために本気で取り組んでいます。卒業生が参加することも多く、ふだん学校の教員として、あるいは社会人として忙しい中で時間を作って練習し参加してくれるのは嬉しいことですし、現役学生たちにとっても刺激になっているでしょう。

 3月の「卒業研究発表会」は、卒業予定者が卒業論文や演奏、作品を発表する、いわば大学での音楽的な学びを総まとめする機会となっています。成績によって選ばれた学生たちではなく、卒業研究に合格した学生は全員参加できるのが、大規模な音楽大学などとは大きく異なるところでしょう。

 さらに、この「音楽祭」の最大の特徴は、教員の協力を得ながらも、すべての学生たちが力を寄せ合って会を運営しているところにあります。

 ひとつコンサートが成り立つためには、実はものすごくたくさんの仕事があるのです。コンサート当日までには、運営やステージ進行やスケジュールの立案・分担が必要だし、授業参加の先生方や受講者、演奏者、演奏グループとの調整もしなければなりません。出演者は何人、どんな楽器編成で、舞台上にどんなふうに配置するのか、演奏時間はどのくらいか、大型楽器や必要な機器、譜面台などは、いつ誰がどんな手段で会場に搬入するか、開演時間、終演時間を何時にするか、準備や撤収はどのような段取りにするか。。。事前には広報、宣伝、プログラムの作成、印刷、ステージでのリハーサル手順の作成や進行が必要であり、当日は舞台設営や舞台転換を担うステージマネージャーのチームはもちろんのこと、会場受付や扉の開閉、照明、アナウンス、写真、記録録音・録画など様々な仕事がありますが、これらを学生全員が分担して進めます。係の仕事を担当しながらある時間には出演もするということにもなるので、この期間の学生さんたちはかなり忙しいでしょう。

 3年生の(通称)実委長、ステマネ長がリーダーとなって仕事を進めますが、私が教員として学生たちを見てきて感心するのは、その働きがいつも実に見事であることです。ステマネ係が作った進行表では、驚くほど時間の誤差が生じないし、セッティング転換の動きも、慌ただしいとか要領が悪いとか思わせることは一切なくて、無駄がなくそれでいて落ち着いていて、コンサートの流れを邪魔しません。暗転した舞台で働く姿がとても美しいのです。今年はコロナ禍の中にあるため、転換ごとに消毒するというひと手間が加わり、気を遣わなくてはならないのですが、それすら転換の流れの中で行われてスムーズでした。プロの世界でもこのまま通用するでしょう。

 コンサートを作る過程では、目に見える仕事、見えない仕事、いろいろありますが、何よりも嬉しいのは、関わる学生たちみんな「出演者が気持ちよく演奏できるように」と考えているのがよくわかることです。仕事の内容や段取りなどは、先輩たちが残してくれたマニュアルを上書きしながら進めていると思いますが、マニュアルには書かれていない「出演者のために」という気持ちがずっと受け継がれてきたことは、何よりも誇らしく感じます。

 今年も「卒業研究発表会」の舞台に立った4年生たちの発表は、誰もがとても立派でした。予定していた学外のホールが、2月13日に起きた地震の被害で使えなくなり、会場を大学講堂に変更せざるを得ませんでしたし、コロナ禍が予断を許さない状況で開催自体が危ぶまれ、落ち着いて準備することができなかったかも知れません。しかし、そんな様子は微塵も感じられませんでした。長い時間かけて取り組んできた論文や演奏は、毎年のことながら、学生たちのポテンシャルの高さを示していたと思います。

 この音楽祭は今年が第45回目。つまり45年前から、基本的には同じ形で続いてきたのです。簡単なようですが、すごいことだと思います。私はその歴史の半分以上に付き合ってきたことになるわけですが、ただ、思い返せばいつも順調だったわけではありません。学生どうしの人間関係がぎくしゃくしたり、特定の人の負担が過重になったり、参加意識の薄い学生がいたりで、衰退、消滅の危機が迫ったこともありました。当時担当教員であった私自身も、この良き行事を途切れさせないよう腐心した時期もありますが、近年は担当の先生方の手厚いフォローもあって、活気のある音楽祭になっています。

 この音楽祭が実践してきたことは、単なる音楽発表会ではありません。たくさんある仕事を分担して力を合わせること、気を働かせて臨機応変に対応すること、自分だけが中心ではなく仲間や他者のために動き、仲間の危機を察して手を差し伸べること、積み重ね磨いてきた知識や技術、感性を人前で試して課題を見つけること、自分自身の課題と向き合い、自己肯定すべき部分とより高めるべきこととを見極めるなど、決して自分ひとりではできない重要な学びの機会なのです。近年、教員養成大学に高い専門性は必要ない、教え方を教えることに注力すべしという風潮が次第に強くなっていますが、果たしてそれだけで良いのでしょうか。高い専門性と言うと、コンクールで良い成績を取るみたいなことは学校現場には必要がないなどというふうに話を逸らされてしまうのですが、そうではありません。学生生活を通して、「浅く広く」でも良いから、様々な音楽体験を重ね視野を広げることが大切なのは言うまでもありませんが、逆に、ひとつの専門を掘り下げることによって、仲間や他者の深い専門性にも思いを寄せることができる、自分自身の軸をしっかり見つめてこそ身につけることのできる「他者へのリスペクト」が、教員養成大学の学生たちに最も重要なのではないかと考えるのです。

 私は専任教員として音楽(作曲、音楽理論)の授業を持ってきました。昨年3月に定年退職しましたが、今年度はプラス1年間、非常勤を勤めてきました。合計28年6ヶ月勤めたことになります。萩音会音楽祭は、私にとっても、これまでともに学んだすべての学生さんたちにとっても、かけがえのない経験を積ませてくれた大切な時間だったと信じています。(2021.03.09)

 付記

 毎年「卒業研究発表会」が終わった夜には、市内の飲食店で全学生、全教員が集ってレセプションを行ないます。会の成功を祝い、仕事を終えた学生たちの労をねぎらい、卒業生に感謝し別れを惜しんで温かい気持ちが混じりあう、とてもすてきなひとときです。しかし、このコロナ禍でレセプションはできないので、代わりに講堂で「閉会式」が行われました。お祝いと感謝と引き継ぎの時間が持てたのは、とても良かったと思います。写真はそのスナップです。

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