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ラムさんが逃げた話。

20代の時、インドカレー屋でホールとして働いていた。インドカレーの凄いところは毎日、毎日、本当にカレーがまかないなのに飽きなかったところだ。

さすがに日本のカレーだと、1日目にそのままカレー、2日目にカレーうどん、3日目は温め直したカレーをパンに乗せてチーズカレーパンでカレーの限界を迎える。しかしインドカレーには終わりは無い。

店のまかないは一応、キーマカレー、バターチキンカレー、ほうれん草カレーなど種類は選べた。味わい深く、私は休憩時間になると毎日ラムさんにその日のカレーリクエストをした。

社長はターバンを巻いたインドの人がやっていて、その下に日本人が働いていたが、業務用のミキサーが現場に必要なことが全然、通じずラムさんは困っていた。

小さな家庭用ミキサーで細々と店で提供するカレーを作り続けるラムさんは、ホールの私に業務用の大きなミキサーが欲しいと要望してきた。

私は、その日の日報FAXに業務用のミキサーください!ミキサーが小さくてカレーがあふれてますと、でかでかと毎日毎日、書き続けた。
かれこれ2週間ほど経った後、やれやれという感じで大きなミキサーがやっと届いた。

ある日、女性店長が店の売上金を全部持ち逃げして消えた。へなちょこアルバイトだった私は、いきなりシフト編成と店の管理を任された。私より年下の学生アルバイトはうろたえ、私はとにかく 臨時で今月だけだからな!という条件でとにかく目の前の雑務をこなした。

人を選ぶ立場でもないのに、人生初の履歴書を見て面接をする側にもなった。面接に来た異国の方は日本語が喋れず、履歴書の志望動機は真っ白で私は会話に困ってうろたえた。
『不合格』が通じず、私はバツとゴメンのポーズでなんとか切り抜けた。

時期は前後するが、この店はやばいと判断したコックのラムさんも白い制服を残し、逃亡した。
原因はある。私はラムさんに、この店は経営としても営業のやり方としても存続が難しいだろう。 別のきちんとしたところで働いた方がいいよと何度か助言をし、ラムさんはさっさと見切りをつけ、それを実行したのだ。

インドに奥さんと子供を残して、こちらに来日しているラムさんは、いかがわしい動画をおずおずと見せながら女性は一人で寂しい時にどうやって自分を慰めるのかという、直球ドストレートセクハラ発言をしてきた。

現在の私なら、そもそも出産してからそういう欲がなくなったんやけど、ハハハなどと軽口を叩けるが、若くウブだった私は、いや本を読んだり一人で出かけたり気分を紛らわすんじゃないゴニョゴニョとごまかした。ラムさんは隣のドンキホーテに大人のおもちゃが売っていて気になることを恥ずかしそうに話した。

別のコックの奥さんがインドから店に遊びに来たことがある。挨拶をそこそこに、ごろりと横になり肩ひじでテレビを見る時の格好で客席のソファで横になり始めた。家かよ!と頭の中でツッコんだが、民族衣装のサリーは美しかった。

ラムさんに続き、私は正式な手続きを取りここを退職した。そして1ヶ月も経たないうちに、この店は潰れ、カレーの匂いだけが残った。

ちなみにトップ画面に載せているカレーは、違う カレー屋のものだ。ここのカレーもとても美味しいし、インドの店員さんも感じがいい。国に帰ったか今でも日本にいるか、わからないがラムさんもこういうところで働けていたらいいなと思う。

それにしてもラッシーを作る時、白砂糖を8杯ぐらい入れていたため、あれは血糖値爆上げドリンクであることは、ここに記しておく。

読んでくれてありがとうございます。
ではまた。


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