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元・天才キッズ動画配信者の末路⑨

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 こんにちは。キブシです。

 これが最後の投稿になります。短い間でしたが、読んで下さった皆様ありがとうございました。

 私は、どうしても再会したい人がいて、この文章を書き始めました。その、どうしても再会したい“彼”が「元・天才キッズ動画配信者」だったのです。私がキー坊と呼んでいた“彼”の名を語る事で、本人の目に留まる事があるのでは無いかと期待して始めた次第です。

 読んでくださって、話題にして下さった皆様を騙す様な形になってしまい、本当に申し訳ありませんでした。ただ、ここで書いてきた物語は私が見てきた事をもとにしているのは本当です。

 先日も書いた通り、私はキー坊と再会する事ができました。最後の更新として、キー坊と私が交わした会話で締めさせて頂きます。

 宜しければ、最後までお付き合い頂けますと幸いです。

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9

 カーテンを開けると、ベランダに雪が積もっていた。東京で雪を見るのは久しぶりだと思った。猫の額ほどのベランダには近所で拾ったパイプ椅子が置いてある。雪の感触を確かめたあと、干してあった凍りかけの手ぬぐいで拭き取った。

 「冷た…!」

 まだ湿ったパイプ椅子に座ると、スウェット越しにも冬の冷たさが伝わってくる。さみぃさみぃと独り言を言いながら、煙草に火をつけた。私は、スマホのメッセージアプリで、キー坊から送られてきた文章を読み返す。もう暗記する程読んだのだけれど、何度読んでもニヤけてしまった。念願は、叶った。ついに彼と会えるのだ。

 渋谷駅から少し離れた、行きつけの喫茶店で待ち合わせをした。あれから10年、ここで良い感じになった女の子とデートをしたりした。甘い思い出も苦い思い出も、この店にある。キー坊にも、そんな思い出が出来たのだろうか。そういう話のひとつやふたつあってもおかしくない年齢だろう。キー坊は、今年高校を卒業する年齢のはず。(あとで高校には行かなかったと聞かされたが。)とにかく、私が知っている彼では、もう無いかも知れない。

 雪でツルツルと滑りやすくなった渋谷の坂道をおそるおそる歩きながら、会えなかった10年間に想いを馳せていた。転びそうになって咄嗟にガードレールにしがみつくOL。こんな日にパンプスは危ないなと思ったが、私も私でかかとを踏みすぎてくたびれてしまった合皮のスニーカーだったから、これまた非常に滑りやすい。雪が無ければ、小走りで向かいたい所だったのだが、はやる気持ちを飲み込んで出来るだけ急いで喫茶店を目指していた。

 彼の今の動画も見た。彼が、いわゆる迷惑系動画配信者になっている事は、この文章をきっかけに連絡をもらうまで知らなかった。さすがに、登録者数万人程度の動画配信者を把握し切れる訳も無かったし、何より彼はキッズ動画配信者だった事を隠していた。彼が人様に迷惑をかける人間になってしまった事自体は、残念だと思う。でも、動画を見た時に感じたのは、例えば甥っ子みたいな、そういう親しい間柄の子どもが大きくなって元気に(荒ぶって?)動いている姿を見られただけで、腹の底から湧き上がってくる愛情みたいな感情があったのだ。私は、とにかく五体満足で彼が生きている事が、何より嬉しく思う。

 店の前でメッセージアプリを開く。キー坊は、もう店内にいるそうだ。動画を見たから今の顔は知っている。今の声も知っている。だけど、中身までは分からない。この10年で彼は変わってしまったのだろうか。そんな具合に頭の中で、期待と不安がずっとせめぎ合いをしているのだけれど、やっぱり期待が勝るのだ。私はとにかく、キー坊と会いたかった。どんな手を使ってでも、名前を偽ってブログを始めるとか、そういう正攻法では無いやり方をしてでも、藁にもすがる思いで会える方法を探していた。私は、喫茶店の扉を開いた。店内の暖かな空気が、頬を温める。

 「ヒゲ、無いじゃん。」

 私を見つけたキー坊は、開口一番そう言って笑った。確かに、私のトレードマークは口髭だった。サンタクロースのようにヒゲをたくわえているから“サンタ”。実際サンタクロースの髭は白いし、冷静に考えると似ても似つかないのだけれど、子どもからするとヒゲ=サンタクロースだったのだろう。実に子どもらしいネーミングセンスだ。私も、つられて笑みがこぼれる。「ヒゲ、モテないんだよな。」と言いながら、彼の向いに腰かけた。

 「オレ、サンタが死んだと思った。」

 キー坊はホットコーヒーを頼みながら、そう言った。当然そこから話すべきだと思っていた。こちらから切り出そうと思っていたのだけれど、私はキー坊がホットコーヒーを頼んでいるという光景に驚いて、つい出遅れてしまった。

 「いや、実際かなり危なかったらしいんだけど、すぐ病院に運ばれたし大丈夫だった。でも目が覚めたのは二日後とかで。起きたら、すぐ警察がきてさ…。それで…。」

 私は、この話の伝え方を何度も吟味してきたつもりだったが、いざ話し始めるとやっぱり言い訳がましくなる。何よりも、私はキー坊に謝りたかったのだ。彼を助けるつもりで、あの奇妙な動画配信一家の家に戻ってきて、長女の部屋から日記を盗み出したまでは良かったけれど、その結果何も助けになるような事ができなかった。その挙句、彼と10年も会えなくなるなんて。目も当てられない情けないヒーローだ。

 「すまなかった…。キー坊。ごめん。」

 下げた頭を戻すと、キー坊は当時を思い出させる愛らしい微笑みを見せてくれた。

 「生きてて良かった。とにかく。本当に。別に、オレは本当の事が知りたかっただけで、サンタにあの家から連れ出して欲しいとか、そういう期待をしてたわけじゃないし。だから、別にいいよ。とにかく、生きてて良かった。」

 テーブルの上にホットコーヒーが二つ運ばれてきた。私は少しの間、その湯気を眺めていた。キー坊は、やはり賢い。勉強ができる訳では無いだろうけど、物事を冷静に見る事ができる子だ。感情に左右される訳では無い。彼は、10年前も一貫して本当の事を知りたがっていた。それを知る事で自分が傷つくとか、今の生活が一変するとか、そういう心配よりも先に“知りたい”と思うタイプだった。だからこそ、私はこの後に及んで嘘をつくのは止めようと思った。コーヒーを口に含むと、私は彼に真実を話した。

 「撮影機材が倒れるように細工したのは、僕じゃなかったんだ。」

 「え…?」キー坊は聞き直すように、そう言った。

 「細工をしたのは、君のママだよ。ママって言うか…ママ役の、さ。あの動画配信ビジネスを仕切っていた彼女。彼女には全てバレていたんだ。僕が何の目的で、あの現場に戻ってきたのかも全て。あの家の事を嗅ぎ回ってる事を知って、しかも元・テレビ局員だっただろ?彼女は、僕がマジのジャーナリストだと思い込んで、暴露本でも出すと思ったんだろう。それを阻止するために、わざと見える場所で泳がせた。僕を最初から殺すつもりで、まぁ…単に脅かすつもりだったのかも知れないけど、撮影のパパ役オーディションに受け入れたんだろうな。」

 「じゃあ…ママ…って言うか、あの人は…。」

 「うん、殺人未遂で有罪。他にも余罪が山程あって裁判が長引いてたみたいだ。いま刑務所にいるのかまでは知らないけど、とにかく全ての罪が明るみになった。キー坊にとって、良いニュースじゃないとは、思うけど…。」

 キー坊は、コーヒーを眺めながら小さく「そうか。」と呟いた。それから、彼はゆっくりと話し始めた。会えなかった10年で何があったのか。そして、あの頃の自分と、今の自分の話を。そして、最後にこんな話をした。

 「よく映画でさ、すごい金持ちになったり、すごい有名になった主人公がさ、道を踏み間違えて失敗して、その反動でラストシーンで田舎でひっそり暮らしてる…みたいなのって、あるじゃん。パッと具体例出てこないけど、なんかあるじゃん、そういうのって。田舎で土いじってるのが人間だよね、的な。やっぱり、そこに戻らないと的な。エヴァも最後そんなシーンあったよね。ああいうのが、本当によくわかんなくてさ。」

 「キー坊は、キッズ動画配信者をしていた事を、後悔してない?」

 「後悔も何も、そうだった、ってだけだよ。オレは今更田舎でひっそりと土をいじって暮らす気は無いよ。動画配信で生きてきた自分は、やっぱり動画配信でしか生きられなかった。だって、それ以外はポンコツだって分かってるから。今はあの頃と比べたら登録者も少ないし、全然イケてないけど、だからと言って自分の人生を後悔して、田舎に行こう、みたいにはならないんだよ。どうしょうもないレベルの高校に行って、スーツを着て働こうとか、思わないんだよ。自分がやってきた事を後悔するとか、違うんじゃ無いかって。動画配信にしがみついて、見苦しく続けるのが“正解”だと思ってる訳じゃ無いんだけど、別に人生って正解するためにあるわけじゃないと思うし。うん…。正解するために、あるわけじゃない。失敗だったんなら、失敗だったで良いと思って。」

 「失敗だったら…失敗だったで、良い…。」私は、キー坊の言った言葉を、そのまま繰り返した。私は、自分の人生を後悔した事がある。なんなら、後悔してる部分の方が大きい。望んでいた報道の仕事にも就けなかったし、キー坊を救いたいというエゴイズムでさえも叶える事はできなかった。なのに、彼ときたら後悔なんてひとつも無いと言う。

 「僕が会いに来たのは、まだキー坊の力になりたいからだ。何か出来る事が無いかなって、今でも思ってる。」

 私は、キー坊の目を見ながら出来るだけ真摯にそう伝えた。キー坊の事を忘れた事は一度もなかったのは本当だった。彼の靴紐を結んでいた記憶は、いまだに鮮明に残っている。私の口髭を見て、キャッキャと喜んで触ってくれた感触。親子ほど年齢は離れてないし、兄弟ほど年齢は近くない。だから、何かに例える事はできない関係だけれど、私にとってキー坊は大切な存在だった。心から、彼のために何かしてあげたかった。

 「じゃあ、あの文章を最後まで書いて欲しい。」

 私は意外な答えに驚いた。勝手に書いた事を怒られる覚悟で来たと言うのに、彼は真逆の事を言ったのだ。

 「どうして?」

 「あった事を、あった通りに書いて欲しい。サンタの感想とか入れなくていいからさ、今のままオレ視点の文章でいいから、あった事を残して欲しいんだ。何て言うか、オレの人生って全部動画なんだよ。チャンネルに動画のサムネが並んでるじゃん、あれが人生そのものでさ。それ以外は別に、なんでも無いって言うか。動画の中で起きてる事が、全部人生で、動画の外で起きた事はオマケって言うか。だから、結局オレは人に見られて、知られて、覚えてもらう事でしか自分の人生に価値を感じられないんだと思う。でも、オレ文章書けないし。だから、あれすごくいいよ。動画じゃない形でも、残せるんだと思って。良いなって。」

 私は、キー坊が本心からそう言っている事が分かった。分かったからこそ、つい感想を言いたくなった。その感想を書く事も、伝える事も、彼は望んでいないから、それはその場で飲み込んだ。

 「あの文章さ、思ったより反響あったんだ。10万PVとか…まぁキー坊の動画と比べたら大した数字じゃ無いけど…。」

 「10万すごいじゃん。今のチャンネル、そんな回ってない。」

 「そっか。まぁ、とにかく割と読んでもらえたから…。僕の文章が良いとかじゃなくて、ちょっと釣りタイトルというか、まぁキャッチーな題材だったって事だと思うんだけど、何よりキー坊の人生が普通の人からすると面白かったんだろうなって。」

 「うん。」

 「だからさ、読者に一言もらえないかな?」

 私がキー坊にしてあげられる事は何も無かったし、彼はそんなに弱く無かった。私に出来る事は、彼の代弁者として文章を書き上げる事だけだった。だからこそ、彼が望んでいる物語の締めくくりは、彼自身の“本物”の言葉にしたかった。なぜなら、彼は“物語”の中でしか生きられないから。動画や、文章、媒体は違えど、彼は何らかの物語として人に知られる事で、自分の人生を肯定できるのだ。その中に、本当の彼の言葉を入れる事で、この物語は“本物”になると思った。

 キー坊は少しだけ考えて、コーヒーを飲み干してから一言だけこう言った。

 「チャンネル登録お願いします。」

 外に出ると、まだ雪が舞っていた。このあと撮影があるからと、その場で解散する事になった。私は店の前で、かじかむ手でライターを取り出し、煙草に火をつけた。まだ、坂の上にキー坊の後ろ姿が見える。ダウンジャケットのポケットに手を突っ込み、足早に歩く彼が転ばないか心配しながら眺めていた。

 キー坊が立ち止まり、靴紐を結び直しているのが見える。

 彼の言う退屈な映画のラストシーンみたいに、気が利いた台詞を背中に向かって叫びたい衝動もあった。それをニコチンと一緒に肺に吸い込んで、真っ白の息にして吐き出した。私は、見えなくなるまで彼の背中を見守っていた。

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元・天才キッズ動画配信者の末路 完





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