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元・天才キッズ動画配信者の末路⑧

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 その日は、まだ肌寒さが残る春だった。朝の冷気とは対照的に、穏やかな日差しに満たされた街並み。これから暖かくなるんだろうなという期待感からか、コートを羽織った学生達もどこか浮かれている。

 その車は、建物の前にゆっくりと停車した。高級車では無いが、よく手入れされた黒い車だ。並木通りの木漏れ日が、車の屋根を彩る。それから、ひとりの少女が降りて来た。少女は真っ白のワンピースに上品な茶色いカーディガンを羽織って、まるで童話のお姫様のようだった。あの頃“遊び”で着ていたような、コスプレチックなプリンセスでは無い。あの服みたいにキラキラしたプラスチックの宝石は付いていないし、色味もずっと地味だけど、私の目には今の方が何倍も“本物”に見えた。優しそうな初老の男性が運転席の窓を開け、少女に何か告げている。車を駐車場に停めてくるからすぐ戻るよ、そんな会話でもしたのだろうか。車が立ち去ると、少女は発表会に思いを馳せて、緊張なのか高揚なのか分からないキラキラした表情を見せていた。私が見たことの無い表情だったけど、あれは紛れもなく妹だと分かった。

 「ひとりになった。建物に入る前に、やるよ。」

姉は鞄からガムテープを取り出した。ガムテープ。その辺で買って来たようなガムテープひとつで誘拐が出来るのだろうか。とは言え、私もそれ以外に何を用意すれば可能なのか検討もつかなかった。私も姉も、知能指数は大差が無いのかも知れないと思うとうんざりした。とにかく、こんなガムテープで引越しの荷造りのように妹を縛り上げるつもりなら、私は我慢ならなかった。

 「や…やめよう…。」

私の絞り出した言葉なんて耳に届かず、姉は物陰から弾かれるように飛び出した。私はとっさに、姉が手首にかけていた鞄を引っ張った。「あっ」と姉が言った瞬間、鞄の中身は穏やかな朝に包まれた並木通りに飛び出した。私は、まるでスポーツ中継のスローモーションのように、空に放り出された荷物を目で追っていた。

 パーティーグッズの手錠。まだ封を開けていないカッターナイフ。メイク道具が入ったポーチからは韓国製のリップが飛び出していた。そして、ツナマヨのおにぎり。

 まるで“誘拐ごっこ”だと思った。姉はしたり顔で完璧な計画のように言っていたけど、思えばこの人は結局は馬鹿なのだ。共犯になる私にろくに説明もせずに、ぶっつけ本番。挙句、装備はパーティーグッズ。私は頭がくらくらしてきた。姉は、やっぱり動画配信者として育てられたせいで馬鹿になってしまったに違いない。そして、私も同じ穴の狢だ。いや、むしろ私の方が長く動画配信にのめり込んだ。側から見たら、私達は何も変わらないどころか、私の方が一枚上手の馬鹿に見えるのだろう。私は、鼻の奥がツンとした。生まれて初めて、自分が哀れで泣いたのだ。涙で歪んだ視界に、春の日差しに照らされたツナマヨが飛んでいる。

 スローモーションは、ツナマヨが地面に叩きつけられるのと同時に終わった。「逃げよう。」そう言いかけた次の瞬間、妹が物音に気が付きこちらを見た。妹は、不思議そうに姉を見つめていた。幸い、妹は姉の事を覚えていなかった。無理も無い、姉が出ていった時に妹はまだ物心がついていなかった。姉は足元に転がったツナマヨを思い切り踏みつけてから私を睨みつけ、通りの向こう側へ走って逃げていった。良かった、これで妹の危機は去った。私も立ち去ろうとしたが、足がすくんで上手く動かない。私は、まだ涙が止まらなかった。妹の視界に映るのでさえ申し訳ない気持ちがして、思わず顔を伏せた。

 「お兄ちゃん…?」

 私は心臓が握り潰される心地がした。もう感情がぐちゃぐちゃだ。妹は私を覚えていたのか?そんなはずない。百歩譲って、もしそうだとしても、私は混乱させたく無い。妹の人生の邪魔をしたくない。妹の“本物”の人生を。今度は背を向けるようにして、歩き始める。

 「お兄ちゃんでしょ?お兄ちゃんだ…!」

 私は、早足でとにかくこの場を立ち去ろうとした。後ろから幼い少女の足音が付いてくる。私はさらに足を早める。背後から私を呼ぶ妹の声がする。涙がより一層こみ上げてくる。辛い。悲しい。恥ずかしい。最低な気分だった。私は、いよいよ走り出した。消えたい。これまでの人生を無かったことにして、消え去りたい。妹の人生から、私と言う存在を消し去りたいと思った。

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 あれから、何年が経っただろう。

 私は中学を卒業したあと、すぐに自立した。自立と言うか、家出に近い。案の定、母親は私を探さなかったし、二度と会う事も無かった。あの誘拐騒ぎの直後、母親は若い男と再婚した。きっと、ある程度幸せな日々を過ごしているはずだ。私は結局、動画配信をしていた頃に住んでいた土地に戻って来た。そこで、あの頃の10分の1くらいの広さのアパートに住んでいる。家賃は月4万円。これなら自分の収益だけでも、なんとかやっていける。

 狭いアパートの一室で、スマホの録画ボタンを押す。これが毎日のルーティンだ。いつも決まって、この時間に配信を始めて、常連から小銭のチップを集めている。生配信の機能は、キッズ配信者時代には無かったものだ。しかし、収益化が楽になった訳では無い。

 「はい、正義の動画配信者キー坊ですけども。最近、駅前に停めてある自転車がマジうざくて。あれですよ、無断駐車。おじいさんおばあさんが道通り辛くてすっごい困ってるわけ。だからさ、そんな自転車ぶっ潰しても良いと思わない?」

 配信のコメント欄には、暇人たちが「やれ、やれ」と書き込みをする。私はあれから、動画配信者に戻っていた。もうキッズでは無いし、ましてや天才でも無い。私は正義の鉄槌を社会に下すという名目で、人様に迷惑行為を撒き散らすタチの悪い“迷惑系動画配信者”になっていた。

 私は、あれ程色々な事にあらがってきたというのに、結局また同じ場所に戻って来ていた。私は無能だ。学歴も資格も無いも持っていない。あるのは、カメラの前で偽りの自分を演じるという才能だけだった。そして、その才能も時間と共に劣化し、今となっては残骸に過ぎない。

 「生配信のチップ…全然ダメだな…。三日間で二千円…って。これじゃロクなもん食えねぇ…。食品ロス問題を切るとか言って、スーパーの刺身でも盗んじまうか…。」

 私はツイッターで自分の名前を検索していた。検索数2。いつもの常連と、私の裏垢だ。登録者数もなかなか伸びない。あの頃は500万登録だったのに、今は3万にも満たない登録者数だ。やっと収益化しても、ほんの数万円。ツイッターを眺めていると、noteで小銭を稼いでいる連中がいる。文章なんて書いた事無いけど、もしかしたら動画配信よりも稼げるかも知れない。そんな事を思いながら、noteの新着記事を眺めていた。

 その時、とんでもない釣りタイトルが目に止まった。何だこの悪趣味なタイトルは。それに、まるで自分の事を言われているかのようなタイトルだった。少なからず不愉快だった。何が「天才キッズ動画配信者」だ?何かこき下ろすようなコメントの一つでも残してやろうかと記事をタップした。そこで、信じられない一文を目にしたのだ。

 私は10年前、某動画配信プラットフォームの登録者500万人を超えるチャンネルで「キッズ配信者」をしていました。

 私は、その場で立ち上がった。一体、なんだこれは。一つ目の記事を読み終えると、すぐさま二つ目、三つ目と読み進めた。読んでも読んでも、既視感しか無い。これは知っている物語だ。これは、他でも無い私の事。私の半生を、私の視点で書いてある。

 この文章を書いたのは、一体誰なんだ?

 恐怖よりも、怒りよりも、何よりそれを知りたかった。私は、いてもたってもいられなくなり、その文章を書いた「キブシ」という人物と会う事にした。

「キブシ」という名前をネットで検索してみると、どうやら花の名前のようだった。木五倍子(キブシ)の花言葉は「嘘」と「待ち合わせ」だった。

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>⑨(最終)







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