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『権藤、権藤、雨、権藤』は実在した? 投手ローテ変遷調査PJ

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『権藤、権藤、雨、権藤、雨、雨、権藤、雨、権藤』 これは、1961~62年というたった2年間の間、連日のようにマウンドに上がり登板した“太く短く”生きた投手・権藤博(中日ドラゴン… もっと読む
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とりあえず1961(昭和36)年の権藤博登板間隔は網羅

▼あたりまえだが、現代とは起用法が全然違う  権藤博(中日)1年目の1961(昭和36)年シーズンの登板間隔の記録については、遡ること9月の中旬頃だったと思うが、残っていた9月~10月の調査、集計を済ませていた。  ただ、まだ検算が終わっておらず。パーッと確認したところ、試合数と投球回数が実際の記録と若干数字がズレているようなので、確認しなくてはならないのだが……。  それを後回しにして、現状の要修正の内訳表も公開しておこうと思う。 【1961(昭和36)年 権藤博(

1956~1961年に実在した「中日なのに『広島』」という名の投手・広島衛(尚保)という存在

権藤博の登板を調べ始めると、1961年当時のプロ野球における投手起用に驚かされるわけだが、ほかにも新鮮な情報は数しれず。すべてが興味深い。 それだけ、この時代のことについて、これまで本腰を入れて勉強していなかったということが露呈され、もっと頑張らなくてはいけないと自覚させられるのだが……。 まあ、それはいいとして、そうした発見は中日ドラゴンズのピッチングスタッフにおいてもあった。 当時、権藤博の僚友として、後にタレントとしても一世風靡した板東英二が主力にいたことくらいは当然

『権藤、権藤、雨、権藤』は本当にあったのか? 投手ローテーションの変遷 プロジェクト <002>1961年8月分追加調査

先日、バイトの帰りに都立中央図書館に立ち寄り、4時間近くかけて調査した1961(昭和36)年権藤博(中日)の投球内容調査の続き。 初回調査では、開幕から7月までにとどまり、ぶっちゃけ首が前後左右に動かせなくなるほどこわばってしまったので、2回目の今回からは「さらっと、軽く。オレの悪い癖でもある“のめり込み”を避け、やりこまないこと」を命題にし、今度はさっと1時間半のみ。 新聞の縮刷版とにらめっこして、権藤博の登板内容を書き写してきた。 まあ、そもそも、現在は本業の書き仕事

ずっと昔から妄想構想していた「『権藤、権藤、雨、権藤』は本当にあったのか? 投手ローテーションの変遷」プロジェクトを唐突に勝手スタート

インスタに書いたものだが、note再開のきっかけにしたくて、終わりの方を若干アレンジして転載した。 まあ、備忘録的なものとして、とにかく以下残しておきます。。。 ******** せっかく #有栖川宮記念公園 を週2回(今月から3回に増加)も通過しているのだから、帰りに積極活用しない手はない と、思っていながら、案外難しかった都立中央図書館。 先日ようやく立ち寄りが叶い、小手調べ的な調べ物を4時間ほど行った。 新聞の縮刷版からデータを抜き出すだけだが、本当に小手調べ