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仏の元で

殺生を忌む仏教の国であるミャンマーやかつてのカンボジアで、どうして為政者がいとも簡単に自国民を殺害できるんだろう。

カンボジアではクメール・ルージュが山地民族を使役して市民の殺害を実行したという話があって、本田勝一氏などは異民族だから抵抗がないのだろうと納得していたようだけど、それは手段の話であって、目的を遂行する理由にはならない。

それを知るには、各国の僧侶たちが虐殺に対してどういう態度で臨んだかを知らなければならないけれど、私はそこまで調べるほどの動機はない。

中国の文化大革命のときに亡くなった人々も、糾弾されて不自由し、死に至ったというのが大部分で、直接手を下して惨殺されたというのは多くはなかったと理解していた。
東南アジアではどうして一気にそこまで行くの?
(2023.2.26)

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