不一不異
「人間の個性はたまねぎの皮」という思想から言うと、芯だと思っていたものが実は皮であり、いつでも剥ぎ取れる皮だと思っていたものが実体だったりする。
それとも、皮に厚い薄いという軽重があったりするのだろうか。そこに重み付けをすることで、主・客の区別がつくのだろうか。不常不断・不一不異。
「不一不異」と断じること自体が既に、目前の実体に目を背けていることなのかもしれない。
西欧の思想だとこの場面では、「一」を愛することもまた、主の名の元に許容されていると説くのだろうか。
それは人が主から発した被造物であるがゆえに。
(2024.1.11)
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