金銀の斧、身に付かず

斧を女神の泉に落とした木こりの話。

急に金銀の斧を貰っても持て余し、換金したとしてもあっという間に使い込んでしまうんだろうなあ、と思っていたけれど、だがしかし。

北米原住民の間で行われていたというポトラッチ(競争的贈与)のことを思い出す。
蓄財したものが盛大な宴を開き、集まった人々にたくさんの贈り物をして財産をみんな分け与えてしまう、というあれ。

運に恵まれており私欲の無い者だ、という評判を得て、財を持つことに対する妬みをリセットするための慣習だと考えれば合理性がある。長い目で見れば当人に利益がありそうだ。
斧木こりの場合も、そのような遣い方をすればいいのかなと思った。

そのような慣習が社会の中に組み込まれているという視点から見れば、私達のところで結婚式や祝い事があったときに盛大な宴を催して、沢山の引き出物を持たせるというのも同じなのかなあ。

今は、違った価値観が優勢だからその機能は失われつつあり、ほとんど形骸化しているのだろうけれど。
(2024.5.21)

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