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米沢の越後縮

天保年間に発刊された「北越雪譜」には、著者の鈴木牧之がそれを扱う仲買人だったこともあって、青苧(カラムシ)の繊維を使って織る布「越後縮」についての記載が多い。
これが作られていた越後の魚沼では、冬に雪で閉ざされている間の、女性の主な仕事だったようだ。

越後縮の布地を上方に売っていた上杉氏は大きな利益を上げていたというが、江戸期に入って米沢に封じられてからも、そこで青苧を原料にした織物の生産を続けていたらしい。

現在、米沢織として生産されている製品は蚕糸(今は輸入)から作られているけど、原料を青苧から蚕糸へと転換したのは上杉鷹山の時代だったという。
江戸に入ってから200年ぐらい経っている。

「北越雪譜」の初版が発行されたのは1837年だから、その頃には米沢では絹織物の生産へと移行している。
その一方で、元祖の魚沼では青苧を原料とした越後縮を作り続けていたということなのか。ここまで判った。

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