逃げ出したい相手

前衛芸術と呼ばれる創作で、欧米のものと本邦のものを比べてみたとき。

既存の表現様式から離れるという点は共通しているとしても、欧米の作品は表現の可能性に挑戦し、自分だけの様式を作りあげたので見て欲しいという主張を強く感じるのに対して、本邦のそれでは既存の様式を破壊し、否定すること自体が目的になっているような印象を受けていた。
芸術は爆発だ!と言う人もいたし。

でも、破壊尽くした跡には何が残るというのか。そこにあるのは、人間のいない焼け野原だけではないのか。

まあ、廃墟に美を感じる人もいるから人それぞれではあるけれど、私達の社会ではそれだけ既存の様式からの同調圧力が強かったのかな、と思う。

欧米ではどうなんだろう。

彼らがそこから逃げ出したいという相手は神であり「理」だろうけど、結局「理」からは離れられないでいるのではという気がした。
(2024.5.22)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?