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中国の流言飛語

1896年に中国四川省を旅したイザベラ・バードは、成都西方の彭県で、外国人への怖れと憎しみから集まった二千人以上の群衆に囲まれ、投石されて頭を負傷した。

その後には投宿した部屋に暴徒が押し寄せて、閉めた扉を破られる寸前まで壊されるという、命の危険に曝される状況にも遭遇している。

「洋鬼子!」「洋狗!」と叫び激昂する群衆を押し止めたのは地元の官吏で、政府発行の旅行免状を持つバード一行に対し、言い訳をしながらも身の安全を図ってくれたとのこと。

役人が到着したとたん「騒ぎは瞬時に収まった」というから、暴徒は外国人以上に官吏を恐れていたに違いない。

こういう事件が起きたのはそもそも、それまでの清国政府が、アヘン戦争・アロー戦争と続いた英国を始めとする諸国からの圧力に対抗しようと、民衆の間に根拠のない風説(外国人は子供を攫って食べるとか)を撒き散らしたのが原因だというのは、バードの著書(「中国奥地紀行」)から読み取れることだ。

内向けか外向けかの違いはあるにしろ、国家が主導して誹謗中傷の流言を拡散するというのは、現在の中国政府がやっていることと同じだ。「今も昔も変わっていない」。
(2023.8.28)

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