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不忘の碑奇譚

その日,私は蔵王連峰の南端,標高1,705㍍の不忘山にいた。周囲は雲に包まれ,濃い霧が風とともに稜線を越えて谷へと流れ落ちている。こんな天気だ。登山道を歩く者は他に誰もいない。岩の間を縫い,赤茶けた小石を踏み,霧の中を一歩ずつ,山頂に向かって歩いてゆく。

南蔵王の山麓を徒歩で一周しようと思いつき,テント一式を担いで上り下りしていた行程の3日目だ。だいぶ疲労が溜まっており,不忘山を越えたら登山道の脇で仮眠して少し休もうと思っていた。目指す山頂は霧に包まれて見えず,景観も何もない。

もうすぐ山頂だという場所で,私の目の前に現れたのはB-29墜落の慰霊碑だ。太平洋戦争の終戦近く,1945年8月10日夜,航法を誤った3機のB-29がここに墜落し,34人の搭乗員が亡くなっている。私の地元では山麓から機体が燃える炎を見て,敵機が墜ちたというのでちょうちん行列をした,という話を聞いた。

大岩に嵌め込まれた「"In my Father's house are many mansions." John 14:2」の文字を眺めながら碑の脇を過ぎ,不忘山の山頂に立つ。さらに北に向かうが,南屏風岳の手前で路傍の岩に腰掛け,予定どおり仮眠を取る。30分ほどは眠っただろうか。目覚めても周囲は相変わらず濃い霧の中だった。

そこから再び歩き始めたが,どうも様子がおかしい。1/2.5万の地図を取り出して眺めると,越えたピークの数が多すぎる。もう開けたところまで出てもよいはずなのに。霧の中でコンパスを使った確認もできず,そのまま歩き続けるしかなかったが,何かを感じて振り向いた私のすぐ後ろにあったものとは。

先ほど通り過ぎたばかりの,B-29乗員の慰霊碑だった。え,何?どういうこと?と混乱したけど,やがて理解した。私は一本道であるはずの登山道を逆に進み,元いた場所へと戻ってきたのだ。おそらく仮眠から目覚めたとき,来た方向とは逆に歩き出したんだろう。登山ではこれをリングワンダリングという。

後にして思えば,このときの行程には無理があった。そのまま進み,屏風岳手前から辿る下りの道はコガ沢コースと呼ばれており,蔵王山中でも屈指の難所(ロープ,鎖場の急坂)。初めてのこの場所を疲労した状態で,重い荷物を背負い通過するのは大変だっただろう。転落事故に遭う怖れもあった。

それ故,あのときは慰霊碑を依り代にした米空軍将兵の亡霊が私を押し止め,この先には行くなと引き戻してくれたのだろう,と今でも思っている。私を守護した,異国の地に斃れて故郷に還ることが適わなかった若者たちの霊に,冥福の祈りを捧げたい。

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