湿原祭祈

「湿原祭祈」という書名の本がある。(1975 法政大学出版会)
前から気になってたけど、これまでは、見てもその内容が頭に入らなかった。
でも、ある出来事により関心が高まったので、これから図書館へ探しにいく。

仙台市図書館で探したら、あった。
「ものと人間の文化史 24」。閉架書庫に入ってたので、司書さんに出してもらった。

そもそも、有史以前の人たちは湿原にカミを見ていたのかどうかという疑問がある。
縄文海進が終わると、それまで海の底だった土地は広大な平野となったけど、ヨシやガマ、ヤナギやその他の草木が生い茂る泥濘の土地であり、人に恵みをもたらすような土地であったのかどうか。

今より温暖な場所ではマラリアが発生したかもしれないし、様々な蚊や日本住血吸虫やらが出る場所であり、人の居住を拒む疫糲の土地ではなかったのかなあ。

尾瀬とかの湿原を見てきれいだ、と思うのは、自然保護運動が活発になってから、そのような場所は貴重で価値が高いものだ、と繰り返し刷り込まれたせいではないかと思ったりもする。

稲作が広がって、米が多くの人たちを養う最重要な作物になってからはなおさらで、湿原はなにをおいても干拓して水田にするべき場所であり、それができないぐじゅぐじゅした谷地(土へんに卒の字を書いて「そね」と読ませたりする)は、利用価値のない最低の場所と思われていたのではなかったか。

河口や氾濫湿原とは別に、登山の途中で見るような高層湿原や、川の源流で水が湧くような地形のところにできる湿原もある。

こちらのほうは、川に流れて下流の土地を潤す水の源流だということで、渇かぬように崇め奉る、ということはあるかもしれない。

そういえば、蔵王の刈田駐車場の西のほうに、「御田神」という名で呼ばれる湿原があった。名の由来や、信仰の対象であったかどうかはわからない。

病気の巣で人が住めない谷地についても、そこには人に災いをなす神が棲むというので、祟らぬように注連縄を張って結界を作り、魔が外へ迷いだしてこないように拝む、というのはあるかもしれない。

さて、そこまで整理しておいてから読む「湿原祭祀」(タイトルが違ってた)。どういう視点で何を対象に、どう論じているのか。書物の中にしばし埋没(ブクブク・・)。

「湿原聖地」「豊葦原の瑞穂の国」ときたか。私の湿原観とは真っ向から対立してるな。

古代稲作と湿原聖地との関係。稲作は湿原を潰して成立するものではなかったのか。

「湿原聖地」というのは、著者の金井典美氏(1928東京生まれ、早稲田大国史科卒、日本古代・中世史専攻)の造語だった。

河川敷のアシが食用になり、家屋や燃料に使われる資源だということは忘れてたな。

高層湿原の池が、涸れることのない不思議な水として雨乞いをする場所になってたりするというのはわかる。

『「神の田圃」型の湿原聖地』という定義、あるいは分類が出てきた。地域は中部地方以北、東北に限られるとしている。

「長者が原」の伝承を引いて、不吉な死気のただよう忌地(とされる湿原)への言及もあった。

あ、湿原信仰を6つに分類してる。それぞれについて、その由来を探るらしい。

稲荷神がここで出てきたかぁ。

谷地のカミを荒ぶる神とする神話(風土記)を引いている。祀って祟りを封ずる発想。葦の茂る場所は「悪しき土地」だとする見方。私の湿原観に近い。それは、稲作以前のこと。

池、沼、湿原をごっちゃにして論じているような気がするなあ。いずれも水に関わりがあるものだとはいえ。

まだたったの100ページしか読んでないのに、疲れてきた;;

中国や朝鮮、インドの話を引き始めたし~( >﹏<)

タイやマレーシア、カンボジアまで話が広がってきた。違う文化圏の習俗を日本民俗学の発想で語ろうとするのは大怪我の元だぞ。

私も、これまで山野を駆け回ってきて、森や高い山を身近に感じられるという自負はあるけど、水辺に暮らす人々と視点を共有できるわけではなかった。
この本をそれなりに読めるようになってきたとはいえ、内容について論じるにはまだまだ力不足だったなー。

おし、読むのはここまでにしておいて、返却しようっと。
来年とか5年後とかには、また別の視点を持って読めるかもしれない。どんど晴れ。(2017.5.13)


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