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夜闇に叫ぶ

金華山島の山中で夜に,一度だけ見知らぬ人が現れたことがある。

季節はたしか秋も深い10月。一日中サルの群れについて歩き,日没後,シカの鳴き声を聞きながら,手元の明かりを頼りにして泊まり場所の近くまで帰ってきたとき。

遠くの暗闇のなかから,おおーい,と人を呼ぶ声がする。

最初は,同じように帰ってくる同宿者(5人ぐらい)の誰かが叫んでいるのかと思ったけれど,どうも様子がおかしい。

泊まり場所に着いたら,戸口に2人が出ていて,外の叫び声に耳を傾けている。私が最後で,他の同宿者は皆帰ってきているのだという。
だとすれば,誰か知らない人が道に迷い,船便のないこんな時間まで外にいるということだ。

探しに行こうということになり,準備を整えて3人?が出発する。

やがて,捜索に行った人が2人連れの遭難者を連れて帰ってきた。若い男性と女性だ。町の中を歩くような格好をしている。道を見失い,自分たちの居場所がわからなくなって夜になり(ライト無し),助けを呼ぶため大声で叫びながら山中をさまよい歩いていたのだという。

私たちに会った彼らは怯え,これは一体どういう状況なのでしょうか,とびくびくしている。こんなところに人が集っているとは予想していなかったらしい。迷い家に追い込まれて取って喰われる,とでも思ったのだろうか。

ふたりには暖かい飲み物を振る舞ったあと,同宿者のひとりが明かりを持ち,人が常駐している神社まで送り届けた。

その晩は遅くなってから雨が降り出したので,私たちのような者がいなければ危なかった。

ああ,携帯電話が普及していなかった頃の話だ。

その後二人はどうしただろうか。一緒に非日常的な時間を過ごしたので絆が深まったのか。あるいは頼りにならない男に彼女が愛想を尽かしたか。

同宿者の意見は,みんな後者だった。

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