8 二つの国家に生きて思う

「明治150年」の持つ意味を考えてみようと始めたこのシリーズですが、前半部分に私と妻の戦争体験、それに親友の原爆被災実録などを少々、くどいほどに具体的にお話しして来ました。この地獄の物語は、77年前、日本列島に生きた人々が等しく体験したのです。

なぜ、私は、くどい話を長々と述べ立てているのか? 終戦の年に生まれた人々が77歳になった今、あの悲惨な地獄の時代を自らの言葉で、語ることが出来る人が少なくなってきたからです。そしてしみじみありがたく思うのですが。今、92歳になったごく少数の人、「”予科練”と呼ばれた少年志願兵」を最後に日本人は誰一人、戦争に駆り出されることがありませんでした。

現在、91歳以下の男女で兵役経験なく、ましてて戦争に参加した経験者は一人もいない国・・・これは、全世界を見渡しても稀有の幸運です。

第二次世界大戦の勝利者であるアメリカは、その後、77年間、朝鮮で、ベトナムで、イラン・イラク、アフガニスタン、パキスタン・・世界各地で紛争を起こし、戦争に明け暮れし、多くの若者が死んでいます。

無条件降伏で武装解除され、丸裸にされた日本が”平和に徹する”国作りを世界に表明し繁栄の道を歩み世界が羨む経済大国となり、勝った英国、フランス、オランダなど連合軍諸国はアジア・アフリカの植民地を失い斜陽化し衰退しました。

唯一、大躍進を遂げたアメリカは、新興覇権大国になったばかりに「世界の警察国家」を自認し、”民主主義国”の盟主として共産主義と対峙、防共戦線を張り巡らせて各地の紛争・戦争に巻き込まれ今や身動きも自由ならぬ悲惨な状況に追い込まれています。歴史の皮肉を思わざるを得ません。

これより私は、「明治150年」後半、つまり【昭和20年8月15日の大日本帝国崩壊】後の【国民主権の福祉国家建設】 現代の国の形に蘇った時代の話に入りたいと思います。

一体、戦前と戦後では何が、どのように違うのか?
それを考える場合、やはり一番、分かり良いのは、それぞれの時代の国の姿・形を比較することだと思います。戦前の我が国の姿は、「大日本帝国憲法」(前文ご7章76条)戦後は「日本国憲法」(前文と10章103常)に明示されています。

昭和5年(1930)生まれの私は、昭和20年(1945)の敗戦までの15年間を”富国強兵”の「大日本帝国」 その後の77年間を”戦争放棄・平和に徹する”「福祉国家」・・両極端な理念を掲げる二つの国家像の中で生きて来ました。

普通、この変革は「軍国国家から主権在民民主国家へ」と、表現されていますが、もっとわかり易く、砕いていえば、何事も国のことが最優先される時代から、個々人の福祉が重視される時代へ大転換したのです。
 
国の姿・形が違うと、庶民の人生は、どのように変わるのか? これから少し、この二つの国で、国民の生活はどのようであったのか? その比較・検証を自らの体験を通して、具体的にお話ししたいと思います。

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