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生活範囲、10センチ。

わかっていても、辞められないことがある。

お酒・タバコ・パチンコといった、いわゆる世間一般的に依存すると辞められないと言われている代表のものたち。
それから、近年でいえばホストだの、アイドルだの、推しと呼ばれる概念もそれにあたると思う。

顔の見えない誰かへの誹謗中傷、存在しない架空のものへの思い込みと宗教化。
そして、私が今直面している”それ”の名前はーー『インターネット』だ。



「またトんでんの?」
「……うん」
柔らかい出汁の匂いが腹を刺した。気づいたらもう、23時になろうとしている。私は、曖昧な返事を返しながら、また手元の小さな画面に目を落とした。

感情を手に入れたくなる時がある。
私に感情がないわけではないが、誰かの感情ーーおもに、愛とか恋とかいう、とても幸せで、私には無いもの。
私がそれらを摂取しているとき、彼女はその状態のことを、トんでいる、と表現する。いわく、画面ではなく、その向こうを見ているふうに見えるらしい。
彼女の持ってきてくれた味噌汁は、帰宅後なにも口にせずに一心不乱にインターネットをしていた私の腹を、やさしく満たした。

彼女は私と暮らす赤の他人で、気のおける友人である。
料理が好きで掃除が下手な、みっつ年上の人間だ。私とは違う、真人間。そんな彼女の無言の肯定に、いつも救われているーーそれでいて、私は彼女に、早く自分のことを殺してほしいと願っている。
自分にない感情を、インターネットとかいう有象無象の海から拾って、自分で磨いて、自分の好きな味にして噛み締めて。それでいて、さも自分のなかに元からあったような顔をして生きる私のことを、早く終わらせてほしいのだ。

自分の手では、終われない。
せめて最期くらいは、綺麗なままで。

そして、その自分勝手な願いのために、だれかの手を汚すことを全くもって厭わないーーそんな私のことを、この世から塵も残さないくらい、正しく綺麗に、ぶっ殺して欲しいのだ。

何者でもない、彼女の手で。
そんな私と、私の世界の距離感である、この10センチを。

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