どんなものにもひび割れがある。そこから光が差してくる。
今日はこの言葉について。仕事が自宅での勤務となり、普段会っていた同僚とも気軽に会えない日々が続いています。
プロジェクトの進みは、多少の支障はありつつも遠隔でも進めることはでき、かかっていた時間を別のことにさいたりと、今までとは違う成果のようなものにも目がいくようにはなったりと変化の日々です。
その中でもオンラインの弊害が出ているのも事実。先に言っておくとこの記事はオンラインの弊害をなくすすべやテクニックが書かれてるわけではありません。
オンラインの弊害はいたる所で語られていますが、例えば、部署チームをこえた同僚が何をやっているかが見えにくい、それすごくいいデザインだね、アイデアだねの雑談ができない、コミュニケーションのロスト。
顔を合わせて伝えていたことが、チャットなどの文字だけ見ることのトゲトゲしさ。怒ってはいないのになんだかきつく見えたり、冷たい印象になってしまったりと、活字で伝わることの心情の変化。
そもそも自分たちの本当の価値ってなんだろう?らしさって?などの企業カルチャーの希薄による帰属意識の低下。
段取りや示し合わせなくてもそれぞれが考えて動くグルーヴが足りなかったり。
小さな会社なんて、もうそれはそれは課題先進国状態ですね。
なんとなく”仕組み目線”のお話が多くなってきちゃったんじゃないかと個人的には感じています。
それってあなたの願いは叶うけど、隣で誰か泣いてるんじゃないの?というように、倫理観が失われていたり。仕組みで回そうとするあまり、人や会社のカルチャーには気にも止めてなかったり。
もっと人の気持ちをデザインすることが必要だと思うし、それって本当は自分たちが提供しているブランディングのことじゃないのかなと。
いつも私たちは、お客さんはオーダーして待つだけのようなスタイルではなく、一緒につくる、参加するといった”共創”ということを大事にしています。社内の事においても同じなのですが、顔を合せられないことにより、その”共に”という部分がうまく回ってない面が増えてきたなと(今は)。それが先のオンラインの弊害だったりするのですが。
「なんでこんな言い方なんだろう」「この人全然汲み取ってないな」「もっとこっちのことに今は力を入れるべきでしょ!」
など、個人的に少しダークなモードに陥った時に、表題の言葉を見たのです。
どんなものにもひび割れがある。そこから光が差してくる。
なにかこう、ひと呼吸置けた気がしたんですね。
負に考える前に、自分に対してお前さんはちゃんとコミュニケーションとってるのかと。人という相手がいるのに、チャットやアプリ使って伝えた気になるデジタル一辺倒になってやしないかと。
そんなちょっとした日々の中のマインドの変化のきっかけの言葉でした。
ブランディングという仕事柄、言葉に接する機会は多いです。ただ名言をひろうのは好きではないのですが、その時の心情やストーリーもあるなぁと。たまに「言葉」についても残しておこうと思います。
書きながら、企業のカルチャーについてはあらためて大事と痛感してまして、どこかで書いてみたいと思います。ほとんどの経営者も軽視してるんじゃないでしょうか?定量的なものでもないし、なぜ大事なの?とは一筋縄では言えないものですね。ただ、企業のカルチャーを軽視する状態を例えるなら、家が完成してから基礎工事をやるようなもの。だと思っています。これは、また別のお話で。。。
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