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鈍い人

感受性は豊かな方だと自負していた。
痛そうな表現は苦手だ。作中の人物が痛がっていると私自身も同じように痛い気がしてきて苦しいから。
あらゆる物事にはすぐに影響を受けるし、あらゆる作品を鑑賞する度によく泣きよく怒りよく笑う。
感受性が豊かだと気軽に心が揺れ動くのでコスパが良いななんて考えたりした。

ただ最近思うのは、感受性が豊かであることと、人の気持ちを察知する能力があるかどうかは別問題だということ。

私は私が気付かないうちに、大切な人を考えなしの言葉で傷つけてはいないだろうか。

これは陰キャあるあるだと思うが、人と会話し終えた後、ひとりになった瞬間に、あのときのあの発言は大丈夫だったか?と不安になったりするアレ。
最近そのアレがよく起こる。
いや、これがただの会話に慣れていない陰キャの思い過ごしであればいい。
ただなんとなく、思い過ごしでなく、私は無意識に相手を不快にする発言をしているのでないかと、そういう気がしてならない。

私の実家は山奥で米農家をしていた。
隣の家は数百メートル離れていて、車はほぼ通らない。
同じ集落にも年の近い子供はいたが、徒歩で遊びに行ける距離ではないので、幼少期はほとんどひとりでテレビを見るか、山を散策して時間をつぶしていた。
幼稚園小学校中学校は実家から車で15分かかる場所にあった。
同級生もみんな、車で15分かかる町中に住んでいた。
何が言いたいかというと、幼少期に家族以外と交流する機会がほぼなかったから、私は他の人よりもコミュニケーション能力が低いのでは?ということ。
いや、知らん。
わからん。これはもうわからん。世間の皆様がどういう幼少期を過ごしていたかもよく知らんのだもの。
ただ今思い起こしてみると、こういう所も陰キャ要因であったりするのかなと思って書いてみたりしたわけだ。

問題は次。

私は父親が嫌いだ。
理由は、私が嫌がることをあえて言ってくるから。
「誕生日?何歳?はぁ、ババアじゃん」
「お前腹出てきたな。俺にはわかる」
「お前もこうなる(実母を指さしながら)」
「お前が子供作ることになるなんてなぁ(にやにや)」
私の父親は、こういう発言が面白いと思っている。
こういうことを瞬時に返せる俺、かっこいいと思っている。
虫唾が走る。
私は物心ついたころから父親が大嫌いだった。
虐待はされていない。
でも私が発言する度に、私を、母を、小馬鹿にしなければ気が済まないらしい。昔から。ことあるごとに。ずっと。
嫌いにならないわけがない。
私の旦那はこんなことは一切言わない。私は私の父親とは真逆の人間を伴侶に選んだ。

「あなたは、こういう行動をすると、次に何が起こるのかを、あまり考えていないよね」
たびたび旦那に言われる。
元は、私がよくものにぶつかるとか、ものをおとすとかこぼすとかなくすとか、そういったことに対して言った言葉なんだが、
発言についても暗に言われているような気がする。
私は私の発言が相手にどのように作用するのか考えて発言できているだろうか。
思いつくまま気の向くままに発言して、後で後悔しているのではないか。
無意識に、人の傷つく発言をしていないだろうか。父親と同じように。

自分の発言には責任を持つべきだと思う。
大人になった今の私の発する言葉に父親は関係ない。
気を付けて発言をするべきだ。とは思うが。
ここでやはり思うのは、私の人の気持ちを察する能力が低いのではないかという懸念。
わからない、相手が実際どう思っているのか。
鈍い。もし私の発言で相手が傷つき距離をとられたとて、私は気づかない自信がある。察することができない、のではないかという恐怖。
今までももしかしたらあったのかもしれない。けれど、鈍いのでたぶん気づいていない。

気づかないうちに大切だと思うものが離れて行ってしまわないように何ができるだろうか。


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