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便利さと引き換えに失ったものは

土鍋でご飯を炊いた。

私は1960年生まれ、高度成長の幕開けと共に私も大きくなった。
だから「便利になる」は素晴らしいことだったし、そのために次々登場する家電製品を売るのが実家の生業だった。
スイッチひとつでご飯が炊けて、保温もできるのは当たり前だったし、時間がかかるのもご飯が変色するのも、そんなものなんだと思ってた。

鍋でご飯が炊けるっていう、当たり前の事実に気づいたのはいつだったかなあ。考えてみれば、炊飯ジャーが出る前は鍋だよね。圧力鍋なんてものもなかったし。

わが家の炊事担当の夫は、圧力鍋でご飯を炊いてる。でも、使い方でうるさいこと言うので、私は触らないww

なので、自分がご飯にしたい時に、土鍋で炊くことにした。

土鍋はなあ、吹きこぼれるのがなあ。。。と思ってたけど、一合炊いてみたら、大きめの土鍋なので、ふきこぼれない。
それに、時間がかからない!すぐ炊ける。
そうよね、米粒だもんね。
そして、ふっくらと美味しい。

なんで、この手間を惜しんで、電気を使ってご飯を炊いてたんだろう。

そして、気づく。
手間をかけることで、気持ちが穏やかになることに。

家事全般にいえることだけど、手間を惜しんで、いろんな機器を使うことで得られるものは何か。
時間?
少なくとも、ご飯を炊くことなら、時間は短縮されないぞ。

ドラム式の洗濯乾燥機とか食洗器とかなら、まあ。。。時間はできるかな。

でも、それで得られた時間で、何をするのかといえば、大したことはしていない気がする。

いや、ワンオペで子育てと家事と仕事をしているお母さんにとっては、文明の発達はありがたいことだろうけど、そういう便利家電で助けられる人じゃなくって、私のように時間があってのんびり暮らしている人間にとっては、家電品はもはや必要じゃない。

そして、便利に慣れ過ぎた結果、手を動かすことが億劫になり、ちょっとした作業もめんどくさいと思うようになることで失われるものは、けっこう大きいと思う。

頭を使い、手や身体を動かすことで、手先も器用になるし、いろんなスキルも身に着く。工夫もするし段取りも良くなる。

何より、手を動かすことで、精神的に安定すると思う。

つまり、便利さと引き換えに、精神の安定と手を使って何かするスキルを失っているんだ。

だって、家電製品に囲まれて暮らしている現代人は、ちっとも幸せになっていないんだも。

電化製品に限らず、「手間を省く」「便利」を謳っている製品や代行サービスについて、自分が利用しているものを一度見直して「これ、ほんとに必要なのかな」って検討してみるようにしよう。

そんなわが家は、いよいよ炊飯ジャーを断捨離するフェーズ。

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妹の同僚で、嫁ぎ先のお姑さんのあまりな仕打ちに耐え切れず、身ひとつで家を出た人がいるというから、使って頂こうと思います。

また明日。

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