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「褒めて伸ばす」つもりが「伸ばしたいところを褒める」になっていないか

現在、幸い子育て中である。子供と一口に言っても千差万別・十人十色で十把一絡げにはできないが、我が息子5歳くんと接していて最近感じたことを残しておこう。

5歳くんは、明らかに自分の世界を持っている。好みのトレンドは、死語かもしれないが男の子っぽいものが確かに多い。動物・魚・恐竜・昆虫は図鑑を穴が空くほど見ているし、プラレール系の玩具も好きだ。外遊びも大好きで、ビビりながらも様々なことに挑戦しちゃうような5歳くんだ。

でも、明らかに自分の世界をお持ちだ。「子供は皆そんなもん」なのかもしれないが、私は5歳くんと共に生きていると強くそう感じる。発達特性系の支援も受けているからそう感じているのかもしれない。様々なところで「彼の世界」を感じることがある。ここでは、それらを羅列するのではなく、私がハッとしたのは「彼の世界」と「褒めて伸ばす」が私の中で嫌なリンクをしてしまったときのことを残しておこう。

「褒めて伸ばす」と聞くと、対象者の長所に目を向ける優しいイメージではないだろうか。私も体罰まではなかったが、スポ根は色濃く残る学生時代だったため「褒めて伸ばす」が真に浸透・実践されれば良いのに、、と思う。ただし世界を持っている5歳くんと接していて気づいたのは「褒めて伸ばす」ことの影響力だ。

妹の1歳ちゃんには「褒めて伸ばす」が強く影響するようだ。一度強力に褒めると永遠にその作業を繰り返す(もういいよ、、というほど)。逆に褒められないと「見てなかった?アタシやったよね?褒めないの?」というように訴えてくる。まぁよくある子育て話だろう。

一方5歳くんは「褒められる」ことへの関心?興味?が低いのだろう。褒められようが怒られようが無視されようが、彼の世界で最優先事項に夢中に取り組んでいる。いつか誰かが言っていた「努力も熱中には勝てない」を体現するかのように、5歳くん自身の最優先事項に取り組んでいる。それでも最低限の配慮はしてくれるため、親サイドはさほどの苦労はないが、多少は「褒めて誘導すればこちらのしてほしいことをしてくれるかなぁ(片付けとかお手伝いとか)」と下心を抱くこともしばしば。

そこで痛感した。ハッとした。「褒めて伸ばす」に下心があった場合は最悪になるかもしれない、、と。つまり「伸ばしたいところを褒める」になってしまったら最悪なんだ。これが暴走して「こんなにやってあげたのに!」という武器に変わってしまうんだろう。

「褒める」ということの価値は間違いなく絶大だ。保育士さん等の、褒めるスキルは膝を打ちまくるほど素晴らしい。ただ、「褒められようがなんだろうが自分がやりたいことをやるパワー」も、それと等しく or それ以上に価値のあることなんだと今回教えてくれた。きっと5歳くんは、彼が最優先にしていることで世界一になろうが、町内で100番目だろうが、そんな結果にとらわれず彼の中で優先度が高い限り熱中するのだろう。そして飽きた瞬間に、それは視野にも入らないのだw。誰も予測できないし、する価値もないのだろう。

なんて素晴らしいんだ、なんて素敵なんだ、なんて面白いんだ。また一つ5歳くん・1歳ちゃんに、豊かにしてもらった。なんて幸せなのだろう。

最後に事実関係不明な話を。

これはふんわり聞いた話なので、事実関係は保証できないが、チベット?ミャンマー?では「イヤイヤ期」という言葉がないらしい。というか「イヤイヤ期」は先進国にしかないらしい。「イヤイヤ期」という言葉の代わりに「ブラブラ期」という言葉があるらしく、「イヤイヤ、とは誰から見たものですか?親からみてイヤイヤでは?子供から見たらただ素直なだけです」と誰かが教えてくれたw(確か小児科医)。

事実かどうかは別として、私はこの話が腑に落ちた。その記憶がフラッシュバックして、今日は今日の5歳くんの最優先事項であろう「野原を走るとマリオカートみたいになる」を体感するために、1歳ちゃんとも一緒に3人で熱中した。

きっと、今年も豊かな一年にすることができるだろう。


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