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ファミマの幸福論

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選挙で分かったこと。本物の政治家(自分の為でなく本当に国体と国民の為に政治をしている為政者)が暗殺されても、投票率は思った程に上がらなかった。我々の為に本当に政治を行う為政者を弔う感情を持つ日本人の少なさ。

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日本の選挙に不正は無いこと。日本は本当に自由であること。



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日本は自由である。働く目的も自由である。名声・地位・ステータス・女・金・自己顕示欲。何の為に働いてもいい。自分の利益の為に働いてもいい。


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功利主義とは・・

こうり‐しゅぎ【功利主義】
①自分の幸福だけを考える立場、②他人の幸福を主とする立場、③世間一般のすべての人々が幸福になることを問題とする立場とがある。 倫理学では、この最後のものをさしていい、「最大多数の最大幸福」を原理とするベンサムやミルの倫理・政治学説に代表される。


今回の記事は功利主義の意味を①自分の幸福だけを考える立場だけの意味合いで書く。


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2022年に成っても働くパーパスが定義されていない。

日本の現実

日本の国民は漠然と無目的にナントナク働いている。


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もうハッキリさせよう。ファミリーマートが働く目的を定義しよう。

本来、天国に行くことから逆算して働かなければいけないのである。と言えば現代感覚からすれば噴飯物であろう。宗教のレッテルを張られるだろう。だがこれは真実であり真理である。死後に全ての人が腹落ちする事実である。

人生の定義

人生=生前(ショート)+死後(ロング)

丹波哲郎は「死後の世界はあるのです」と言った。これを現代人は笑うだろう。だが真実である。死後の世界は有る。科学は森羅万象の3%しか証明できていないと言う。97%は証明できていない。

生きている時間は短く、死んだ後の時間の方が長い。それを日本人は本能的に直観的に薄々気づいている。それが仏壇を買い、お盆には墓参りをするパーパスである。

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機械の体を買い不死を手に入れる。それは間違っている。そもそも人間とは「身体」は死ぬが「心」は死なない。生き通しである。

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松下幸之助が採用面接の基準を「君は運がいいか?」に置いた。この基準は極めて論理的ではない。何故ならば「運」とは非論理的なものだからだ。いや違うのである。「君は運がいいか?」は極めて合理的なクエスチョンである。大谷よりも佐々木よりも練習量が多いベテラン選手は沢山いるだろう。何故、練習量が少なくても頭角を現わせるのか?

才能の定義

前世からの努力量

大谷や佐々木の練習量は実はベテラン選手よりも多い。

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霊長類ヒト=神の分霊を宿す生物

神が人を作った理由=自分を知る為

運=前世と今生を含めたダルマとカルマの決算

ダルマ=感謝・利他

カルマ=不満・利己

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ニュータイプ は、『ガンダムシリーズ』に登場する架空の概念である。劇中においては、時空を超えた非言語的コミュニケーション能力を獲得し、超人的な直感力と洞察力を持つ、新しい人類とされる人間を指すが、その概念は明確にされず、さまざまな解釈が可能で想像の余地を残した形で描かれる。

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ニュータイプの定義

利他の心を内蔵

オールドタイプの定義

利己の心を内蔵

そうニュータイプを再定義してみる。この定義で書いていく。


ニュータイプ

故安倍晋三・澤田貴司・足立光・前澤友作etc



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「劇薬」の仕事術 P79
常に大きな「ギブ」を意識する


母方の祖母である宝田あいは、内村鑑三の弟子の一人として、キリスト教の世界ではそれなりに名の知られた人でした。彼女に自分が子供の頃からずっと言われてきたのが、この言葉でした。

「LOVE IS GIVING」

人に与えなさい。そうすれば、いつか何かが戻ってくるかもしれないよと、と。

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CMO。安倍氏は真に「愛」の人でした。しかし現実はどうでしょうか?マスコミにモリカケサクラで突かれ最後は、どうでもいい人間による暗殺です。与えれば与えられるという原理原則・プリンシプル上において論理破綻した人生の最期でした。

与えれば与えられるは何のエビデンスも無い精神論?

キリスト教は真の政治家の結末をどう説明するのでしょうか?安倍氏の死は、愛に生きるモチベーションを削ぎます。

そもそもイエス・キリストも愛に生きたにも関わらず惨殺されています。キリスト教は本当に人生に効くのでしょうか?

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ただし、もし「神」は本当に実在し「死後」も本当に実在するという前提で安倍氏とイエスキリストを鑑みた時、安倍氏とイエスキリストは不幸の最期ではなくエクスタシーの始まりだと解釈できます。

自分の為ではなく世の為に生き最期は惨殺

このような人間こそ神は・・

これこそがロマンの中の最高のロマンであり最高のギャンブル。


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仮説

前世も来世も宗教ではなく科学

報われない努力は無い。今生で報われなかった努力は必ず来世で咲く。

宗教の言っていることは全てが真実ではないが真実も玉石混淆の様に混じっている。輪廻転生は玉石の中の玉、つまり真実。

これは仮説の域を出ない。だがこの仮説は蓋然性が高い。

この仮説に張ることこそ最高の人生のギャンブル。死後に必ず判明する。ギャンブルでもなく蓋然性でもなく必然性であったと。


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人は神社で願い事をする。人は運を上げる為にパワースポットに行く。これを他力本願と呼ぶ。しかし本当に努力しないで願い事をすれば叶うのだろうか?極めて非論理的である。

運の構成要素の定義

前世から合算したGIVEとTAKEの総和Sum

GIVEの量によって幸運は決定される。TAKEの量によって不幸は決定される。

であるならばGIVEの総量を増やす場にいることが最適解である。

その場とはどこか?

人と多く接する場である。

それがファミリーマートである。


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「何を考えながら、仕事をしていますか」 突然、背後から英語で問いかけられた私は、手早くしていた皿並べの手を止めて、「別に何も」と答えました。すると返ってきたのは、厳しい叱責。「あなたは時間を無駄にしています」アメリカのボストンで修練者として生活していた、ある昼下がりのことでした。
 百数十名のシスターたちの夕食の配膳を割り当てられていた私は手際よく、しかし心の中では「なんとつまらない仕事、早く済ませてしまおう」とだけ考えていました。

 「同じ並べるのなら、やがて食卓につく一人ひとりのために、祈りながらしたらどうですか」修練長は諭すように言われ、何も考えず、ロボットと同じく機械的に仕事をしていたのでは、時間がもったいないということを教えてくださったのでした。


この話を読んで本当に祈る人はいるか?この話には欠陥がある。その欠陥とはReason To Believeである。

何故、一皿一皿を、その料理を食べる人の幸せを祈りながらする方が、人生の最大化、労働生産性を高めるのか?の論理的な理由が欠陥しているので、腹落ちできず、単なる精神論だとステレオタイプ的に捨てられる。

何故、一皿一皿を、その料理を食べる人の幸せを祈りながらする方が、人生の最大化、労働生産性を高めるのか?


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量子力学では人間の「意識」によって物理現象に変化が起こるのは定説である。簡単に言えば、人の脳波は物理現象を起こすということである。

宗教は科学である。

良い事を思えば良い事が起こるのは科学である。


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ファミリーマートの再定義

神社・パワースポット<ファミリーマート

神社やパワーポイントよりも自分の願いが叶いやすい場所


但し必要条件がある

一人一人、心中で顧客の幸せをイメージしながら接客


これは突飛で馬鹿げた考えだと思われるだろう。だが因果応報のコンテクストでは論理的であり極めてロジックが有る考えである。

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幸せの構成要素とはGIVEである。ではGIVEする原資が無いとできないか?釈迦は無財の七布施を説いた。気配り心配りは布施だと言った。

幸せの構成要素の定義

気配り心配り

ではこの気配り心配りの回数を量産すれば論理的に幸せの総量は増える。幸福を科学する。

量産できる場に立つ。それがキーである。その場がファミリーマートに相当する。

一人一人、顧客の幸せをイメージすること。気持ちよく入店してもらい気持ちよく帰ってもらう。それは取るに足らないことではない。必然性の高いギャンブルである。いや、ギャンブルではなく必然である。

つまり言いたいことは、ファミリーマートで働くことは自分の幸せをデザインするのに最も最適な場であるということ。

ファミリーマートで働くと幸運に成る


負けていたのはイメージだった。では何で負けているのか?接客のCXが低いからである。「ファミリーマートで働くと幸運に成る」。このコンテクストを直観的に伝える広告を電通かGOに作成依頼することが抜本的解決策である。雑な接客は不幸を確定し、良い接客は幸福を確定する。それを理解すればむしろ良い接客を自発的にしだす。このロジックしかない。加盟店に良い接客をしてもらうには。「LOVE IS GIVE」。この理念にこの原理原則に共感できるEQの高い人間だけを採用する。

キリスト教の教会に週に一度通っても、実際に実生活で実践しなければ自分の人生にはキリスト教は効かない。

キリスト教徒でも幸せに成らない人は、洗礼を受けただけで満足し、本当に愛を実践していないからだ。

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コンビニはフェイスオフの連続。勝手に喧嘩を売られるケースが多い。それでもイケイケの兄ちゃんに愛を与えてみる。それは伝わる。それがコンビニの醍醐味である。自分自身を人間のエゴのフィルターにしてエゴを濾過する。無言の会話。イケイケの兄ちゃんの幸せをイメージすることができるように成ること。それがゲームクリア―である。



駐輪場にシルバー人材のリタイアした初老の従業員がいつも2人働いている。

料金を払うと従業員1が、この紙をドロヨケに張る。

①従業員が必要最低限で腰を屈める位置に自転車を止める

従業員1の指示に従い、指定のエリアに行く。そして従業員2に自転車を仕舞ってもらう。

普通はこのスタンドを蹴って自転車を立てる。だが、ココを蹴ると駐輪場に痛々しい音が立つ。そして何か従業員2に対して失礼である。そこで必要最低限の力でスタンドを立てるように蹴るのではなく足で押し込む。最後に頭を下げ「よろしくお願いします」とアウトプットする。そして〆は「いってきまーす」。

何が言いたいのか?私は功利主義者である。シルバー人材にも最大限の気配りをすることは自分の未来の幸せを確定させている。そのように賭けていると言いたい。

これは幸福の科学である。

この話は経営においてミニマムかも知れない。だがこのミニマムがマキシマムを生むと思う。

国民の為に政治をしていた安倍氏

マスコミからの評価は低かった

加盟店の為に経営をした澤田顧問

伊藤忠からの評価は低かった


誰かの為に何かをしてもろくなことにならなかったイエスキリスト

だが、人生とは「生前」と「死後」で構成されている。


死後に総決算はある。生前にGIVEが返ってこなくても死後に、あるいは来世に必ずGIVEはインプットされる。

2022年に成ってなお、働くパーパスが具体的に定義されていない。働くとは他人の傍を楽にさせることが語源である。そして他人の傍を楽にさせる働き方こそが功利的である。なぜならこの世は因果応報の法則性が貫徹されているからだ。

CMOの本質とは何か?

それは現時点の科学では実証されていない宇宙の法則を知っている。そしてそれを生き方の原理原則にしていることである。実践者である。

「お客さんが舐めてレジに来るからやり返しているは論理的に間違っている。働き方に創意工夫が無いから舐められる。すべては自分自身の選択だ。舐められないように礼儀をプリペイドすれば顧客はむしろ尊敬しだす。」

「自分のまわりの人を幸せにすること。これは理に適っている。何故ならば幸せとは周りの人を幸せにしたことの作用と反作用の物理現象だからだ」

人を幸せにすること。それは青臭いことだろうか?実は極めて功利的で実利的で合理的なことなのである。決して青臭い精神論ではなく、具体的な幸福のサイエンスである。

ファミリーマートは多数の交差点である。

無目的に働いても馬齢を重ねて終わるのは100%間違いない。

ファミマで人を幸せにすることは出来ない。だが少しでも気持ちよく入店してもらい、少しでも気持ちよく退店してもらうことはできる。これは精神論ではない。具体的な幸せの成り方である。

このロジックでしか良い接客は実現できない。唯一の説得論である。


足立CMOはいつまでもファミリーマートにいないだろう。この唯一の最適解を理解できる経営者が足立CMOである。足立CMOが退任したら良い接客は実現しないだろう。スイカやPASMOが切符をディスラプトしたように、無人化に進むだろう。足立CMOが退任しても足立イズムを再現させるには足立イズムの共感者をファミリーマート内に忍ばせて置くこと。

このロジックが実現できた時、ファミリーマートのサスティナブルな利益は実現できる。何故なら、このロジックこそが社運を作るからだ。


このロジックを如何に宗教色を排除し直観的にインスピレーション的に伝えるか。それが鍵である。

これ以外に経営戦略は無い。

シンプルイズベスト。

結局、人。結局、心。

これはロジカルシンキングである。

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