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民生委員とつながる

 あれから何度かラインをした。お礼のライン、雑談など。いろいろ聞いてみたいという欲求と、聞きすぎて距離が近づいて、巻き込まれて私もぐちゃぐちゃになってしまったらどうしようという不安も大いにある。そう、わたしだって、結構くよくよする人間なんだ。でも、育児を経験を経た今、そういうどうにもならない他人に対して、自分を偽って寄り添いすぎるとろくなことにならないことを知っている。なるべく彼女に率直なことを話そうと試みる。できるだけ、軽いテンションで。それは自分のためにも。

 「カラーボックスありませんか」「また食料お願いします」。こないだあげたばかりなのに、と思うが、たびたびやんわりと催促のラインが流れてくる。無理はできないからね、こちらも3人子供がいるから、とこちらも状況も話してみる。すみません、頼ってしまって、、と理解はしてくれる。基本的には礼儀正しいいい子なのだ。そして前向きに自立しようという気持ちも強くもっている。

 ただ、状況の悪さと体質から、いろんな不安に煽られて、わたしが心の拠り所となってしまっているようだ。わたしに抱えきれるかますます不安になってくる。現に、彼女からラインが流れてくると、ズンと心にきてしまうのだ。これを乗り越える遊びだと思い込んでやりすごしても、結局、何か支援をして終わることになり、そのたびに私の時間と心は少しずつ削られていく。

 つらくなってきたので、公園でママ友に話すことにした。ひょんなことから出会ったけんぴちゃん(芋けんぴを喜んでくれたのでこう呼ぶことにした)。ママ友の反応は二分された。

 それは甘えだよ、そんなのに付き合ってたら依存されちゃわないか心配だよ、という主張。もちろんそうなのだが、そういう人の場合、その人の精神障害のことをあまり考えられていないのだと思う。気持ちのコントロールができないから、本人の願望とは別に依存することになってしまうこと。甘えではなく、とにかく不安になってしまう、死にたくなるからすぐにこの不安を解消しないとやばい、という精神構造への理解がすっとばされているなと感じる。甘えとかじゃないんだよ、けんぴちゃんは!って肩を持ちたくなる。

 その一方で、その話を興味をもって聞いて「わたしも余ってるものあれば置いておくよ!」と即答してくれる人もいる。ほかの人に支援をしたり、虐待を受けてる子の相談相手になったりしているママ友だ。それは民生委員とつながればいいよ、と適切な回答をくれた。すぐに探してみる。ちゃんといるんだ、⚪︎丁目担当という小さな区分けで、困りごと相談ごとをきいてくれる担当者が! 市のホームページに、⚪︎丁目は何々さん、電話番号が書かれた表のようなものがずらっと出てきた瞬間、「助かった!!」と心底思った。気持ちがふっと軽くなったのを覚えている。

 電話をしてみる。出ない、出ない、出ない。そうだよな、みんなこんなこと好き好んでやるわけないんだと、また沈みこんでしまいそうになったとき、その様子を見ていた友達は「忙しいからねー、民生委員も」と言った。そうだよね。けんぴちゃんに何かを届けなきゃいけなくなったときも、おっくうだと思う自分に対して、たかだかチャリで片道20分じゃないか、とツッこむ自分もいるけど、荷物を用意してまとめて、喜んでくれるようなものはないかと考え、子供を預けて(または連れて)いくわけだから、ワンアクションどころではない。それも人のために動くなんて人生においてあまりやってきてないから、なんで私が、と思ってしまうのも事実だ。その精神状態での片道20分のチャリはあまりにもペダルが重い。私にも、民生委員にも当然、生活はある。それを、市のホームページに電話番号を公開して、ウェルカム状態でやってる民生委員の方々はすごいぞ! なんてことだ!

 留守電にメッセージを入れたりもう一回かけてみたりしているうちに、けんぴちゃんの担当部署とは少し離れているが、同じ町の民生委員の方とつながった。オオタニさんという78歳のおじいちゃんだった。
 聞かれるまま、けんぴちゃんのことを話す。「そーですかぁ、お気の毒ですよねぇ。そういう病気をもっておられると生きにくくてねぇ」と。たくさんそういう方と接してきた貫禄の落ち着きであった。電話口に三男がきて、電話をはやく切れ、相手をしろと騒ぐ。それをいなしながら話していると、「あなたも大変でしたね。でもわたしとこうして繋がったのも何かのご縁ですから。突然このように電話がかかってきて、わたしも驚いているんですよ。でも、あなたにもどうも小さなお子さんがいらっしゃるようで。うちは孫が11人もいるんでねー、大変でしょう」と。生き仏か!この人は! 熱いものがこみ上げる。

 そーなのよ!おじいちゃん!わたしはこの数日興味本位で身の丈に合わないことして、ぶっちゃけ食欲もなにもなくなっているし、子供に余裕をもって接することもできなくなってるんですよ!と思わずぶっちゃけたくなったが、ぐっとこらえた。これは私に与えられた課題のようなものだと思うことにした。オオタニさんの「縁」という言葉が印象的だった。けんぴちゃんと私も、なにかの縁なのだ。

 とにかくオオタニさんのはからいで、今度の市の民生委員の集まりでけんぴちゃんの情報を共有すると言ってくれた。それがまだ10日以上も先の話だったので、では直接の相談はそれからになりますか?と焦ってきいてしまった。わたしは今すぐにでも、私の両肩をもって支えてくれる人が必要だった。オオタニさんはそれを電話口で察してくれたんだと思う。「あ、今私も家内が骨折して、家のなにもかも私がやらねばならないことになってましてですねぇ、あははは。でも、大丈夫ですよ。明日にでも、その方の担当の方をお調べしましてですね、またあなたと、その方にね、連絡をとるようにいたしますからね」

 電話を切って、わたしはキッチンに座りこんだ。というか、キッチンのシンクの前でペタンと座って最後は話しこんでいた。救われた、と思った。私もけんぴちゃんもね。このままでは、わたしもけんぴちゃんも共倒れになっちゃうところだった。三人きょうだいの末っ子だから、私は人に寄りかかられることになれていない。簡単に寄りかかることもできるし、擦り寄るのもお手の物だけど、逆にされたことはまったくない。でも、育児を通して、ままならない存在、でも大切な存在と一緒に暮らしたり、楽しんだりするスキルは多少身につけてきたはずだ。三男がぼちぼち社会生活をはじめる3歳が近づき、わたしはなにか他に見守る存在を受け入れてもいいのではないかと、頭で、いや体でなんとなく最近感じていたのだ。このけんぴちゃんの一件は、そういった意味でグッドタイミングだったといえる。それは間違いない。

 慣れないことで、本当にしんどいけど、オオタニさんに話をきいてもらえたこと、心あるママ友に協力すると言ってもらえたこと、そのときに感じた心にぐっとくるものの強さは、今まで感じたことのないものだった。温かいし、力づよい。これを糧に、もしかしてこれから自分は生きていくかもしれないなと感じるほどだ。

 けんぴちゃんからラインがきた。いろいろ渡したものの中にチンゲン菜のタネ、小さい植木鉢を入れておいた。「さっそく植えてみました!」という報告だった。そんなことだけでも、前向きにわたしを受け入れてくれてると感じてうれしい。そしてクイックルワイパーがなくなる・・・と不安に押しつぶされてしまいそうだったから、今朝駅で古いタオルを渡して、これで雑巾を縫って、洗って使えばクイックルワイパーを買わずにすむからね、と伝えたところ、それに関してもしばらくして連絡がきた。「今日は、いただいたタオルで掃除をしてみました。いろんなところが拭けてよかったです!」と。もう泣いちゃう、こんなことで。でも今は元気な時間帯。1日の中で気持ちの波が激しくある体質なのだ。またきっと闇が彼女を襲うだろうけど、間違いなく、こんなことで喜べる豊かな時間があったことを、けんぴちゃんだけでなく私もちゃんと覚えている。それがうれしくてまた泣きそうになった。


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