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出会い

 彼女と初めてあったのは、2021年10月の初め。きっかけはひょんなことだった。

 たまたまジモティを徘徊していたわたしは、「たすけてください」という見出しを目にとめた。よく見たら「食品、生活品助けてください」とあった。ジモティはよく見ているが、助け合いという項目をみることはめったになく、「ああ、こういう使いかたをしている人もいるんだ」と思ったと同時に、発信者の場所は自転車でなんとかいける範囲内にどきりとした。不穏な空気を感じ取って、発信者のこと、そしてその投稿に関しすることを食い入るように見る。発信者が投稿しているのは三件。1件は、お米差し上げます、という内容。そこには、自分は病気がちで生活苦だけれども、お米は7合ほどあるので、自分より困っている人がいたら分けてあげたい、というもの。2つめは、コーヒーメーカー譲ってください。というもの。3つめがわたしが見た、食品、生活品助けてください、といったものだ。本人確認書類として、ジモティには保険証を提示しているということもわかった。

 コメント欄に目をうつす。何人かの人が、大丈夫ですか?と支援の手を差し伸べている状態だ。でも、どの人もコメントが返せないんですが、とか、私の投稿にコメントしてきてください、などシステムの不具合をうったえたり、解決策を模索しているコメントが続いている。

 人助けをしてみたい。そんな思いがむくむくと頭をもたげていたときではあった。人のためになにかしてみる、ということに興味がわいていたのだ。「いのっちの電話」をしている坂口恭平さん、誰にも看取られることなくなくなった方の棺桶を作る活動をしているかわのあいさん。お金のためではない、困っている人を助けるカッコいい人たちを、近頃わたしはツイッターでよく目にしてきた。ヒーロー願望に近いものがある。ここは、言っておかねばならない気はする。

 その人たちを救いたいという気持ちはもちろんある。けれども、それは半分興味でもある。それをすることで、自分にどういう副反応がおきるのか、もっかの興味はそこなのだ。今までボランティアや人助けなど、あからさまな形ではやってこなかったが、そういう立場に置かれている人と関わる、ということはどういうことか。なぜ、人助けをする人たちは、それを続けていられるのか。坂口恭平さんは、いのっちの電話をすることで、自殺願望がある人たちに自分も助けられている、と言っている。それはどういうことなのか?身を以て体験するきっかけを与えられた!とわたしは、ジモティのその発信者の投稿に思った。

 思い切ってコメントを返してみる。行けない距離ではないので、明日9時に食品など家にあるものですがお持ちしますよ、と。すぐに返事がきた。助かります・・・ありがとうございます・・・。全部3点リーダーがついているところから、疲れを感じさせる文面となっている気がする。罠だったらどうしよう、そう思わないでもない。待ち合わせ場所にいって、知らない男が待っていて、拉致されたらどうしよう、とか、あらぬことを考えてしまうのも事実だ。

 翌日、わたしは餅やりんご、誰かにもらったスプラウトの種、パスタソースなどを詰め込んで待ち合わせ場所に出かけた。高揚していた、間違いなく。どんな人だろう。メッセージのやりとりで、こんな服を着て待っています、と写真を送ってきてくれていた。黒いTシャツを着た若い女の人の上半身だった。若い女性ということで、少しほっとした。

 その間、ひとつトラブルがあった。発信者は、どうやら同様の投稿を何度かしている様子で、そのたびにジモティの運営に規約違反を言い渡され、アカウントを削除されている、と言っている。もしかしたら今回もそうなるかもしれませんが、9時には指定の場所に必ずいますので、と。案の定、朝になってスマホをみてみると、わたしのほうにも、取引相手は規約違反がありますので、今すぐ取引を中止してください、と連絡が入っていた。ジモティのガイドラインに目を通す。具体的な品名などを書かずに、なんでもくださいという内容はNGだそうだ。物乞いばかりが増えるからだろうか。あと、同じ内容の投稿を何度もする、というのも規約に違反しているらしかった。おそらく発信者はこの2点で引っかかったのだと思った。

 発信者は、スマホ片手に待ち合わせ場所にいた。黒いTシャツに黒いロングのカーディガンを羽織っていた。若い女の人だと思った。会う前は、どんなテンションで話しかけようかと悩んでいた。静かに寄り添おうか、または妙なハイテンションで、元気出して~!じゃーねー!なんて言って、品物を押し付けて風のように去ってしまおうか、キャラ設定に悩んだが、ラインは聞くつもりでいたし、長く付き合うようになるなら、柄でもないキャラを装っても行き詰まるだろうと思った。

 「こんにちはー!」朝だが、緊張からかそんな言葉が出た。わたしは自転車で近づき、声をかけた。向こうはびっくりしたような顔をして、すぐに気づいてあいさつを返してくれた。肩より少し短めの髪は根元からベトついて、しばらく洗髪がされていないことを物語っていた。体は意外とふくよかだった。大きめのカーディガンで隠してはいるが、ガリガリに痩せて・・・ということではなさそうで拍子抜けした。そう、生活困窮者とはいえ、なんとか暮らしてはいけてるわけだからカリカリに全員痩せてなければいけないわけではない。でも、ちゃんと食べれてんじゃん、と思ってしまったのが正直なところだ。でも、状況は悪い、なんとなく感じた。目の下にはくまがある。

 確認したかったのは、病気というのはメンタルのほうか、ということだ。そこはわたしにとって重要だった。坂口恭平さんになった気分でいるのだ。現に、坂口恭平さんのツイキャスでいのっちの電話の対応の仕方とか、著書に書いてあるような自殺願望のある人への対処の仕方をわたしは見てきた。だいたい精神に問題がある。そういう人に、つらいね、手伝うね、とひたすらに寄り添う姿勢でいかなくてもある程度大丈夫なことを、なんとなくつかんでいる。そういう人だってなんとか日常をこなす健常者の感覚もあわせもつ。坂口恭平さんは、そういう人を諭すには、論破する、という気持ちで向かう、とどこかに書いてあったっけ。死んだほうがいい、と思いこんでいる人に対して、その論点をずらす、自殺に向かう思いをずらしてあげられれば成功なのだ。

 彼女は28歳の女性だといった。28ときいて、びっくりした。そのわりには老けているのだ。それはそうだろう、いろいろと日々気持ちの波に揺さぶられ続けているのだ。消耗するんだろう。結局ジモティで連絡をとってきたわたし以外の人たちとは連絡が途絶え、「なんだったんだろう?って感じです」と小さな声で話す。「何度も同じ投稿をしているけど、心ない人が通報をして、そのたびに削除されるんです」と。通報、という言葉がひっかかる。誰かの悪意で消されている、と思い込んでいる。ジモティの規約違反なんだって、ということを伝えたかったが、わたしも緊張していて、しどろもどろになって結局伝えることはできなかった。

 持ち込んだ食べ物の説明をする。パスタソース、もち、りんごとかだけど、と。とにかく何度も彼女は頭を下げてお礼を言った。朝から予定があるにもかかわらず、飛んできたんだから、労われた気持ちになってお礼がうれしかった。

 ふつーに話ができる。発達障害であること、引っ越してきたばかりであること、などをきいた。長居は無用だと思った。彼女も疲れるかもしれないし、わたしもきっと疲弊している。興味半分でコンタクトをとったが、自分もそこまで強い人間ではないから、スポイルされてしまう可能性もある。そして、まだ彼女の心を開放することはできない。なにか鬱の影をまとってしまわぬうちにこの場から離れないと、と自分の危機察知能力がそういっていた。

「また困ったことがあったら言ってね!」ラインを交換し、なるべく明るい声で言って逃げるようにチャリをこいだ。わたしの背中を彼女はどんな風にしてみていたんだろう。帰り道の自転車は、鼻歌がでるほど快走し、昨夜どすんと重石がのって重かった気持ちがふわふわと軽くなったのを覚えている。


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