さいきん、よく思っていたこと。

わたしの、みえる、せかいを、

わたしの、ことばで、あらわすと、

詩になってしまう。

まどみちおさんの、この詩をよんで、そのことを、また、思い出した。

詩が、さいきん、売れているとか、そういう噂を聞いた。

いんたーねっとの普及で、

短い文しか、人は、読めないようになったからとか、なんだとか、自説を述べる人もいた。

そうなのかもしれない。

でも、わたしは、詩が、読まれることは、

それだけではない、理由があるとおもう。

もう、いままでの、ことば。

流通している、ことばや、表現では、

なにが起きているのか、

わたしのこと

わたしのきもち

わたしのみている、せかい

を、説明できないからでは、ないかとおもう。

なにが起きてるのか、わからない

わたしのなかで、なにがおきているのか、わからない

でも、わからないことを、そのままにしておくことは、

もはや、どうしても、できない臨界点。

そういうときに、

人から与えられ、学び、飲み下してきた、ことばや、言葉の表出の仕方ではない、

ことば

のにおいを、

嗅ぐのではないか。

詩。

あたらしい言葉の創出。

生み出す過程にある ことば。

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