ほほで うたう

ボディーイメージのゆがみ

ゆがんでいて、とうぜん。

実際に、目を開いて見ているときの肩の位置と、
目を閉じて感じた肩とでは、
質感も位置もぜんぜんちがうので。

そこには、いつも、ゆがみがある
ゆらぎがある
ひらきがある


それは、とうぜんのこと。


歌うことは、からだを味わうこと。
さいきん、動画配信サービスで、歌っている。
たのしい。誰も聴いていないときが、いちばん、たのしい。


誰かに聴かれると、緊張する。
誰か1人になら、聴かれてもいい。2人以上で、アウトー!
途端に、緊張して、自由がなくなる。自由な声がなくなる。楽しくなくなる。逃げたくなる。


誰の目を気にすることもなく、歌うとき、
からだの感覚に、集中して、歌うことができる。

肩を使って歌ったり、

からだの側面、

背面、

背中、

あし、

あご、

おなか、

じゆうじざいに、響かせるところを変えながら、歌う。

表現の幅が広がっていくのがわかる。
じぶんでも、「こんな声、出るんだ」と、驚く。

たのしい たのしい からだの、おさんぽ からだの、旅

こういうときに感じている、からだは、
先に書いた、見えている方の体ではなく、
目を瞑って、感じている方の体である。

実際の体とは、異なるボディーイメージ上での、からだである。
無限とも言えるほど、広がりを持った、からだである。

だけど、こういう歌い方をしているとき、わたしは、まったくの無防備だから、
人が見ているような気がしていると、途端に、できない。
有意義なものを提供できている気がしなくて。正しくないような、気がして。

ただ、自分の身体の快楽のために、歌っているのだから。


なぜ、気持ちよくなっているところを、人に見られることを、恥ずかしく感じるのだろうか。

もっと、だれの目も気にすることなく、自由に振る舞いたい。


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