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舞台「文豪とアルケミスト 異端者ノ円舞(ワルツ)」感想その1

2020年1月に書いていた文章です。


2019年12月27日に大阪でスタートして今年1月8日から東京公演が始まった舞台「文豪とアルケミスト 異端者ノ円舞(ワルツ)」を観て参りました。

残念ながら千秋楽は行けないので配信で観る予定ですが、舞台で観てきたことを覚えているうちに一つ二つ書き留めておきたいことがあったので、ひとまず本作の中で描かれている友情にスポットを当てた感想記事として残しておくことにしました。

何につけてもこの舞台は見ると胸がいっぱいになってしまい、心が動いたところについて言葉にするのはまだちょっと早いかなという気もするのですが、とりあえず感想の骨子を書いておこうと思います。
7公演見たものの正確性はあやしいところもありますが、ネタバレを含んでおりますので、これから観る予定の方はお控えいただき、とにかくまずは観ていただくのが良いかなと思います。
これもネタバレになるかもしれませんが、この作品、2回目以降に観ている(と思しき)人が明らかに早い段階ですすり泣く(こともある)仕様になっており、初見のときのなるほど感を大事にしていただくのが宜しいかと思いますので...個人的な意見ではありますが...。


それでは感想、および覚書です。



前作は配信と円盤で観たのみなのですが、1作目から完成度の高い舞台で、続編を楽しみにしつつ、1作目で相当のものが出てきたから次はどうなるのか、気になっておりました。
観に行く前にTwitterでハンカチとティッシュの話が出ていたのでそこそこ覚悟の上で臨みましたが、割と素直に泣いてしまいました。

本作は転生された萩原朔太郎が志賀直哉と武者小路実篤がやり取りしていた書簡を読んでいるという場面から始まるのですが、ここで読み上げられる手紙が中盤~クライマックスにとっても効いてくるため、最後まで観た観客がまた違う回を最初から観たとき、最初からグサッとくることがあるのではないかと思います。
手紙の内容は大きく2つに分かれていて、ざっくりいうと、
①志賀と武者小路が親しい友達になった経緯を振り返るやり取り
②武者小路が新作『友情』を書いている時点でのやり取り
a)武者小路が『友情』で描きたいもの
 -1 友情
 -2 若者が青春時代に経験するだろういろいろなこと(すべてのことだったかも)
b)武者小路の『友情』に対する気持ちとそれを受けての志賀のコメント
を武者小路と志賀がそれぞれが読み上げるていで始まります。
萩原がその書簡を闇を照らすものだと感じるように、最初観ていると(前作でもそうだったけど)志賀と武者はほんとに親密な友達同士なんだな~仲良いな~ってニコニコする系のやり取りになっているのですが、②a)-2については中盤でそれってそういうことも含んでたのか~......と心がきりきり痛むような影の部分をはらんでいたことが明らかになり、そこに①と②b)がかぶさってくるので、光と影の対比が際立って余計につらい気持ちになる演出になっていました。
そういえば照明も光と影が際立つものになっていましたね。
ここはもう何回観ても涙が堪え辛いところであります。


文劇は侵蝕が進むと作家(転生文豪)本人にも影響が出てくる設定で、武者小路が志賀に『友情』について改めて語る時点では侵蝕が進んでいるため、武者小路と志賀と『友情』の関係がその時に武者小路が語ったことが全てということもないのかなとは思いつつ(終盤の武者小路のセリフからしても)、『友情』がなくなってもいいという趣旨の話はさておき、同じ道を志した親しい人との差が開いていくのを実感しつつどうにも埋まらないことへの嫉妬、羨望、不安、焦燥、などなどの感情を抱えることって多くの若者が青春時代に経験することだろうなという実感もあるので、親友を裏切る登場人物として志賀を登場させたという武者小路の説明はそうなのか...と納得するところがありました。
実際に侵蝕者は志賀の投影みたいな部分があったので、そうなんでしょうね。
いつも前向きで明るい武者小路の影の部分については芥川もにわかには信じがたい様子だったし、とはいえそうなんだからそうだったのでしょというスタンスの国木田&島崎も意外そうではありましたが、面と向かってあれこれ言われた志賀が怒りつつもだいぶ落胆している様子がうかがえるところからすると(実際自分の動きを読んでいるかのような侵蝕者と対峙した後のことだし)、ある程度のことは認めざるを得ないんだろうな~と思って観ておりました。
このあたりのことは島崎の分析が結構正しいところもあって、武者小路は『友情』に自分の理想の友情を重ね合わせたんだろう、という国木田のセリフがクライマックスにきちんとリンクしていたように受け取っております。

安吾に言わせると「喧嘩」ではありますが、これまでの蜜月ぶりからすると志賀と武者小路の友情が危機的状況に陥り、その上武者小路がひとりで『友情』に潜書していってしまう、という危険な状況からクライマックスに向かう流れがまた熱いし、素で泣いてしまいました。
周りもすんすんされていたので、ここからはハンカチ必須でしょう。
鼻が弱い方はティッシュがあると安心です。

ひとりで『友情』に潜書した武者小路を志賀が安吾、有島、萩原と一緒に追っていくことになり、もちろんそれは武者小路を助けるためではあるのですが、ここに②b)のセリフの応酬が効いてくるんですよね。
武者小路は②a)のようなことを描きたいから多くの若者に読んでほしい、と言い、それに対してそれなら何十年、何百年も読み継がれるものにしないとな、というようなことを志賀が返しているのですが、侵蝕されてしまう→作品が喪われる→(存在自体が最初からなかったも同然になるのと同時に)今後読み継がれることもないということになってしまうわけですから、志賀は(なくなってもいいと言いつつ結局侵蝕を止めるためにひとりで潜書してしまった)武者小路の『友情』を守り、武者小路の『友情』に対する想いを実現するために潜書していくので、「もうお前に背を向けたりしない」というような熱いセリフと状況がもうぴったり釣り合っているのがすごいです。
侵蝕者に取り込まれそうな武者小路を志賀が助けに来て、救い出そうとする場面もそのままの熱量で行くのですが、取り込まれてしまったかと思われた武者小路が侵蝕者に圧倒されていた志賀を助けに来るところからがいやまあクライマックスってすごいな! という展開なので、ちょっとここは毎回がまんしづらいところです。
武者小路が「友情というのは離れていても相手のことを想い続けること」というようなことを言うのですが、それはまさに志賀の示した行動そのものではないですか.......武者小路に突き放されて物理的にも本の外(現実世界)と中と隔たっていても、武者小路を想い続けて、武者小路が実現しようとしていたことを叶えようとして、同時に侵蝕されかけていた自分の著作を措いて(芥川に任せて)武者小路を追いかけてきたわけですからね。
ついでに言うと武者小路が『友情』で描こうとした友情がそういうものだとすると、それは国木田に言わせると武者小路の理想の友情ですから、もうここで胸がいっぱいになってしまいます。
最終決戦ではボス風の侵蝕者が2人になって、おそらくこれが負の感情を増幅させた『友情』の中の親友同士と思われ、志賀と武者小路で対峙することになるのですが、このときのやり取りも心動くところがあるんですよね。
最初に潜書したときに深手を負った志賀に武者小路が無理しないよう言ったのに対して、志賀が無理をしてでも道を切り開く、そうやって生き抜いてきたというようなことを言っていましたが、前作でもクライマックス手前で自分の道は自分で切り開くというようなことを言っていたので、その辺は志賀の矜持なんだろうな~と思って聞いておりました。
2人とも満身創痍っぽいし敵も強いしで中々決着がつかない中、お互いが心の支えにしているお互いの言葉を言い合うのも何というかこう...ベタなのかもしれませんが直球で刺さりました。
志賀が①の手紙に書いた、心を許せる友達になってほしい、ということを武者小路が言うのはもう何というかこう......とどめを刺しに来た感じがしました。
「いい友達を持ったな」「お互いにね」という応酬とシチュエーションのぴったり感も良かったですね。

浄化完了した後、本の中に取り残されたと思っていた2人の前に現れた自転車が現れた正確な仕組みはちょっとまだわかっていないのですが、「一見すると無理そうなこと」に対する2人の言動、非常に雑に言うと「やれるかやれないかじゃなくて必要なら実現(に向かって努力)するのみ」というようなところとリンクしているんでしょうか...?
文字が戻ってくるところの演出が好きでいつもわくわくしながら観ておりまして、自転車が現れるパートは比較的コミカルな部分なのであんまり深く考えて観ておりませんが、本の中の世界だし自由なんでしょうか...謎です。

武者小路が侵蝕者に取り込まれそうになった時にもうわごとみたいに似たようなことを言っていましたが、最後の「志賀がいればそこが理想郷なのかもしれないね」というような武者小路のセリフは、(世の中は友情があれば良いということもないかもしれないけど)志賀との理想の友情とはまた釣り合いがとれていて、物語全体からするとおさまりが良いセリフともいえるかもしれませんね。
ただ、あれはたとえ他に聞いている人がいなくても素で言われたら言った方も言われた方も照れてしまうだろうなというもので、観た中で6公演は志賀が照れる展開、1公演だけ武者小路が先に照れてしまい志賀がからかってごまかすという展開になっていました。
個人的には「有島にはまだ早い」という志賀のごまかし方がツボでした。



駆け足のつもりで書いてきましたが、気づいたらそこそこの長さになっておりました。
友情に関しては、島崎、安吾、萩原もちらほらと心の裡といいますか、寂しさをこぼす場面があり、友達がいたからこその寂しさというのもあるよな~とも思います。
ただ、本作では、萩原が冒頭で語る闇=人生の孤独と思われ、それを照らすものとしての友情が割とストレートに描かれているので、程度の差こそあれ自分の経験に照らして思い出すこともあって、余計に心動くのかなとも思います。

文劇は本筋は本当に無駄がなくて、最後にきちんと全部はまるな~~~と思うのですが、その分、というのか、回替わりのゆるさが目立つ日もありますね。
しかしだんだん志賀と武者小路の仲睦まじさ度がアップしてきた感じがするので、千秋楽はどのようになるのか気になります。


今回は友情の描写についてあれこれ書いておきたいことを思いのままに書いてしまいましたが、千秋楽を映像で観て、その他の細かいところについてはまた別に書くかもしれません。
おまけでそれぞれのキャラクターについて書こうとしていたらまた長くなったので、それは別記事にしようかと思っております。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

2020.01.13



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