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17歳のカルテ
ずっと見たかった17歳のカルテやっとやっと見れた。これ今書かないと明確に覚えていられないと思って今書いてる。
今思ってること
私なんでこんなに暗いものが好きなんだろう。いいなって思うドラマとか映画とかに底抜けに明るくてさわやかなものない。だけどこれらが私を作ってきたし、’その感情’を表す言葉を分かち合える人を探してきた。
探し物の途中で気づいたことは、私は彼らになることはできない ということ。すごくつらくて無気力でからっぽでも死ねるほどじゃない。この映画に出てきた彼女たちのように精神病棟に入れられるほどじゃない。ただ真っ暗なクローゼットに閉じこもって泣いてもう涙も出なくなってただぼーっと座ってるだけ。心のどこかですごく不自然さを感じながら、でもそれも正常の範囲内の異常ということ。たかだか学校で生徒指導に好かれる程度の異常度。
だからって死にたいのかと聞かれたら別に死にたくない生きたい。
ただ生きる理由もなければ死ぬ理由もない。すごく滑稽だな。
なのになぜ、共感しちゃうんだろう。
You know, there's too many buttons in the world. There's too many buttons and they're just - There's way too many just begging to be pressed, they're just begging to be pressed, you know? They're just - they're just begging to be pressed, and it makes me wonder, it really makes me fucking wonder, why doesn't anyone ever press mine? Why am I so neglected? Why doesn't anyone reach in and rip out the truth and tell me that I'm a fucking whore, or that my parents wish I were dead?
訳)崖っぷちの人間は大勢いる。押せば落っこちる。実はみんな背中を押されたがってるんだ。ただ不思議なのはなぜ誰も、私を押さない?どうして無視する?真実を暴けばいいのに、私の親は私が死ぬことを望んでいると。
幸いにも今この瞬間は、背中を押されたがっていないし誰も私が落ちることを望んでないと知ってる。だけど彼女の言葉の意味がわかる。
なぜ?なぜ不幸なフリを続けようとしてるの?
日本のお家には自分の部屋があってベッドと机とお洋服と靴があった。ママもパパも弟も友達もいた。親のお金で18まで生きて、海外の大学まで来た。それで私はなぜ空っぽな気持ちに悩まされたり、人を信じることができないことについて考えなきゃいけないんだろう。
この先悩み事がだんだんよくなっていくのなら、それは崖っぷちの人間じゃなくなるということ。そして崖っぷちに立っている人間の気持ちはだんだん分からなくなっていく。そしていつか母親になったとき自分の子供に「あの子と関わるのはやめなさい」だとか「お願いだから普通の子でいてね」って言っちゃうのかな。
終わりに
人の多面性をなるべく受け入れたい。なんていえばいーのかな、、正反対のことが同時に起きても、驚かない。私は’やさしい人’では決してないけれどそれができる人を私は優しい人だと思うから。
です。心に余裕があるときに、17歳のカルテ見てみてください。
私は今ジブリが見たいです涙
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