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“そのままを見る“ことの難しさ

23年は、明けから体調を崩し、5日である本日現在、まだ寝たり起きたりを繰り返している。
流行りのアレではなく、単なる風邪に腰痛が加わるという、私らしい体調の崩し方。
経験上、どちらの不調もストレスが開放された時に出やすい。
ということは、昨年度は仕事で緊張し、無理していたということだ。そういうことを体調に教えられることになった年始めは、休みになったらやろうと思っていたことなど何一つできず、
Amazonが届けてくれるレトルト食品で生活を繋いでいる状況だ。
どうせなら、正月休みではなく、仕事に入ってから不調になってくれば堂々と休めるのに。

喉の具合もいまいちなので、温かい飲み物でも作ろうかと、ヤカンを火にかけてお湯を作っていた。
その時、小学生の頃の理科の授業を思い出した。

温度計を刺したビーカーに水を入れて、沸騰石を入れて、アルコールランプで熱する。
水を沸騰させ、その時水が何度になっているか、どんなふうに水泡ができるか、どんなふうに湯気が立つか、
つぶさに観察し、先生と一緒にみなで発表し合う。

湯を沸かす、というのは、考えてみれば日常の風景であり、
小学生とはいえ、家庭によってはそれを目の前で見ている人もたくさんいただろう。
だけど、実際に見てみると、沸騰石やビーカー壁から水泡が上がっていたり、沸騰温度は必ずしも100度ピッタリでなかったり、
湯気は水面から少しだけ距離を保って湯気に変わっていたり、と、
'当たり前に思っていること'と'実際のこと'が、異なるのだと知ることになる。
実にシンプルで奥深い実験だったと思う。

水がどう沸騰するかを細かく知らなくたって、確かに生活には何の支障もない。水を火にかければ、湯が沸くのだと知っていれば、料理はできる。
でもここで大切なのは、実物を見てみないと、案外何も分かっていないし、意識しないと見えないものが沢山ある、と理解することなんだと思う。

さて、対象が「水を火にかけて沸騰させる」という、一連のシンプルな流れを持っているものならば、
じっと意識して見ることで、思い込みを塗り替えていくことは比較的簡単だ。
しかし、それが普段目にする様々な、生活上の、仕事上の、人間関係上の、アレコレの問題点だとしたら、どうだろうか。
思い返してみると、結構、見知っていると思いこんでいることが多くはないか。
実際に確かめてみれば良かったのに、話をしておけば良かったのに、そんなことが時々起きてしまう。
そんなことで、トラブルや後悔が増えている事例を、周囲でも時々見かけるように思う。

ところで、テレ東BIZというYoutubeチャンネルが好きで、よく見ている。
ひと月ほど前に上がっていた、テレ東ニュースアカデミーというコンテンツで、「GE帝国盛衰史」という本の紹介がとても面白かった。
この盛衰史という本は、当時の関係者に長年インタビューを重ね、予断をせずに事実を積み重ねていくように綴られた本だそうで。

で、見ていて何が面白かったって、解説員の方が「私、ウェルチのことはずっと絶賛してたんです」と何度も繰り返しながらも、
「これを読んで、彼には優れている部分もありながら、負の部分もあったのだ」と考えを部分的に改め、「反省した」と述べていること。

GEを対象とする場合は、水の沸騰のように、そのままを見に行くことは難しいのだけれど、
この本のように、なるべく事実に近いものを指向して書かれた情報が出てくると、思い込みとは違う部分がやはり沢山出てくるのだろうと思う。

締めに「企業が悪くなっていくときは『これが悪い』と明らかに指摘できるような『原因』があるのではなく、
本人たちも、周囲も、何が悪いかわからないまま、駄目になっていく」というようなことを言っていた。
健全に見える時に、まだ問題がシンプルな時に、事実を見て、1つずつ解決しておかないといけない、ということなんだろう。

少し正月休み=体調不良が明けたら、また仕事に戻っていくのだけれど、
さて、私は事実をしっかり見て、1つずつ解決していくような行動ができるだろうか。
仕事でも、私生活でも。

そうしていきたいな。手遅れかも知れないが。
それが2023年の抱負と言っておこう。